思 う が ま ま に(平成21年9月)

 1 

 2 

 3 

 4 

 5 

 6 

 7 

 8 

 9 

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31

 

平 成 2 1 年 9 月


 <平成21年9月30日 (水曜日)雨>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 9月の最後の日です。朝から雨が”しとしと”と、降っていました。

 天候が優れなく、そして仕事でどんなにいらついて居ても、飲み屋で常連と笑っていると、
 昼間の鬱など吹き飛びます。
 隣の老紳士は、「この歳だから、笑って1日が終わるに限る」と、言います。
 そうです。笑いのあるたわいもない会話は、酒をよりおいしくさせます。

 今日も、9月の最後に相応しく笑いました。その一つです。
 私の飲み屋では、7時半のNHKの天気予報は必見です。
 他にどんな番組があっても見ることは、許されません。
 あの、お天気キャスターの半井小絵さんの最後の”ちょっこ”とお辞儀するのを見るためです。
 今日など、アップで映されるれたものですから、大変です。
 ほんの一寸前までは、ママから頂いたチベットの仏像の写真で、難しい文化論をしていた
 隣の老紳士も、尊敬する紳士も、手をたたいて喜びます。
 そして「良かったね」「今日は幸せだ」「今日のギャラは高いのかな」と、皆で笑います。
 どうやら、他局の女性キャスターにない彼女の自然な振る舞いが、好感をもたらすらしいです。
 日頃は、真面目な顔をしているいい歳をした男性の喜び姿は、シャッターチャンスだったかもしれません。

 そうそう、話は変わりますが、サーバの名誉のために断っておきましょう。
 明日10月1日は、このサーバの薮入りです。ビルの電源系統の定期保守日です。



 <平成21年9月29日 (火曜日)曇>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 もう、9月も終わりです。灰色に塗りつぶされた空の下で、つつがなく一日が終わりました。

 「知らなかったー、そんなことってあるんだー」です。
 先日、知人から「僕の闘病記録です」と、彼の書いた本を戴きました。
 「そろそろ感想の一言くらいメールしなければ」と、ぺらぺらと読み始めました。

 内容は、彼が死の宣告を受けて、社会復帰するまでの闘病ドラマでした。
 書評など書ける私ではありませんが、ただただびっくりです。
 骨髄移植で、血液型が”A”型から”O”型になってしまったらしいです。
 私は、血液型も指紋と同じように生まれたときから死ぬまで、変わらないものだと思っていました。
 しかも、完全に”O”型になるまでは、混合状態だそうです。

 血液型で性格が判るとか、血液型占いなどありますが、性格も変わってしまうのでしょうか。
 私は、このようなことを余り信じませんが、「以前よりおおらかになった」と、聞けば、
 頷きたくもなります。単純なおばさんです。
 なにやら、推理小説のネタになりそうです。



 <平成21年9月28日 (月曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 あれ鈴虫が鳴いている
 チンチロ・チンチロ・チンチロリン

 どんぐりころころ
 どんぐりこ

 仕事を少し早めに切り上げ、昔の会社の同僚を訪ね、懐かしい終業ベルに追われて、
 夕暮れの井の頭公園をぶらり・ぶらりと歩いて帰りました。
 カラスの鳴く声に混じって、虫の鳴き声が、聞こえます。
 そして、公園の木々は、まだまだ秋色にはほど遠いですが、あのむせるような生々さはなく、
 足元には、どんぐりを落としておりました。
 音感の乏しい私ですから、松虫も鈴虫も区別出来ませんですが、
 虫の音色やどんぐりを見れば、やはり秋です。

 食欲の秋です。私の秋は、文化とか運動でなく食欲が一番似合います。
 だから、飲み屋で隣の豆腐のお兄さんが、注文したお新香を間違えて食べてしまいました。(阿呆)
 だって、ママが、私の前に出すから何の疑いもなく、手を付けてしまいました。
 でも、お兄さんは優しいです。笑いながら一緒に食べてくれました。
 お兄さん、ごめんなさい。飢えたる間抜けなおばさんをお許しください。
 そして、楽しいお話ありがとう。私の胃袋は、十分満足しました。



 <平成21年9月27日 (日曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 私は、おまわりさんと学校の先生が、とても怖いです。
 何も悪い事をしてないのに、何故か幼児のように、おまわりさんが怖いです。
 車を運転したり、道を歩いていた時に。あの「police」と書かれた自動車を見ると、
 「ドッキ」として、なるべく近寄らないようにします。
 それだのに、今日などは、交通安全週間とかで、街の角々に「警視庁」と、
 書かれたチョッキを着たおまわりさんが、立っております。
 「私は、何も悪いことはしていないー。そんな真面目な顔で見回さないで」と、心でつぶやきます。
 だから、いつもは、家から出た四面道の交差点を渡るときは、車の来ないのを確認して、赤信号でも
 ゆうゆうと渡っていたのに、今日は、じーと我慢して青になるのを待ちます。
 交差点の向こうで、おまわりさんが、こっちを見ていますもの、
 「おい、こら!」なんて言われたくありません。

 途中で何人かのおまわりさんを見かけますが、目を合わさないように、小さな体を
 より小さくして、碁会所まで行きます。
 ところが、私が強い相手から指導碁を受けていると、元学校の先生がやって来て、
 私達の碁を観戦します。そして、昔の商売の癖が出てか、私の手を注意します。
 (私は、私なりに考えている。ほっといてくれ)と、言いたくなります。
 しかし、私は、先生は怖いのです。先生は恐れ多くて、何も言えません。

 小さい時、いたずらをすると、「おまわりさんに連れていかれるよ」「先生に言い付けるよ」と、
 言われていたことが、この歳になっても有効みたいです。

 

 <平成21年9月26日 (土曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 いつもの生活パターンに戻りました。いいえ、強引に戻しました。
 土曜日だと言うのに「怠け者の節句働き」です。
 溜まっている仕事を少しでも消化しようと、居候先の会社が営業日であるのを幸いに
 職場に顔を出しました。

 午後、竹とんぼの会合に参加し、早くも正月用の「門松作り」の話です。
 「竹の準備?」  「松の準備?」と、少し気が早いようですが、毎年子供達が、喜ぶので今年も竹工作の
 一つとして 実施する予定です。
 ボランテアと言えでも、準備を怠っては、折角の皆さんの楽しみが台無しになります。
 十分な準備と段取りが必要です。だから12月は、「竹取り物語」で忙しくなりそうです。

 それに比べれば、私の今の仕事のやり方は、なんとズサンなのでしょう。
 今日なども、あまり、考えずに仕様変更に答えようとするから、「もぐらたたき」のように
 ”あっちを立てれば、こっちが立たず”です。
 準備不足にちょっぴり反省!



 <平成21年9月25日 (金曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 帰ってきました。
 「ああ、楽しかった」、いや「ああ、疲れた」、それとも「ちょっと寂しかった」そんな気持ちのまま、
 畳の上で、大の字になっての旅の総括です。

 <その1>
 時代の流れか、政治のせいか判りませんが、地方都市の寂れていく姿を垣間見たような気がします。
 新幹線の出来る前は、熊本第二の都市であった八代市が、本当に静かな街になっていました。
 だから、以前は博多ー鹿児島間の特急列車も止まった、友の住む佐敷駅などは、
 早朝と夕刻は無人駅になり、静かな街になってしまっていました。
 新幹線は、忙しいビジネスマンのために、トンネルまたトンネルの山の中を走り、中間の小さな
 農漁村は、置き去りにされているように感じました。

 <その2>
 本当にショックでした。私を駅で迎える友を見たとき。「あれ! 痩せた」と、びっくりです。
 「どうしたの?、痩せた?」
 「うん、ちょっと数年ほど前に大病をしてね」と、静かに答える。
 理解できました、2年ほど前から、東京に来なくなった理由だったのです。
 彼女の話によると、数人いた従業員も一人にし、廃業も覚悟しているようです。
 二人で、「お互いに前期高齢者だからね」と、笑ってみましたが、
 「もう、いつ発作が起きるかと心配で、長時間運転も、長旅も無理なの」の言葉に、
 私の頭は、「ガツーン」と殴られました。
 今朝、別れ際に彼女の、「元気貰った。ありがとう」という言葉に。「来年も来るからね」と、
 答えてみるが、私も何時どうなるか判らない年齢です。(寂しい)

 熊本で、少し時間がありましたので、見納めになるかも知れない、熊本城を見学しました。



 <平成21年9月24日 (木曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 「我が胸の燃える想いに、比べれば煙が薄き桜島」です。
 しかしながら、現在の私では、こんな燃える想いは過去のものになりました。(悲しい!)

 二人とも歳をとり丸くなったのでしょうか。一昔前までは、旅先で行きたいところが異なると
 互いの我を張り別々の行動をしたのに、今回は妥協し、私の主張する島津邸と彼女のラッコです。
 写真は、島津邸からの桜島と、昨日の1両車両より、少し高等な指宿からの電車です。
 なお、帰りは、トンネルを串刺しにしたような九州新幹線に乗りました。
 以前の鹿児島本線は、短いトンネルを出ると、広い海がしばらく見え、
 そしてまた小さなトンネルの繰り返しでしたのに、新幹線は、長いトンネル、短い緑のがけです。



 <平成21年9月23日 (水曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 鹿児島水族館のラッコを見に行こうと言うことで、指宿温泉まで足を伸ばしました。
 しかし、車でもなく、九州新幹線も使わず、昔の鹿児島本線の海岸沿いを走る第三セクターの
 1両編成の電車で、”ガタンゴトン”揺られながら新幹線で30分足らずの距離を2時間も費やしてです。
 若い頃、リックを背に二人で旅した同じコースを、「ねー。この辺で喧嘩したこと覚えている?」などと、
 思い出しながら老人の旅です。

 写真は、ホテルからのみる鹿児島湾です。右手に薩摩半島、左手に大隈半島です。
 開聞岳が宿の窓からきれいに見えました、当然、砂風呂も経験してきました。



 <平成21年9月22日 (火曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 人吉の山に向って球磨川べりをさかのぼり、温泉に行きました。
 写真は、球磨川下りです。日照りが多くて、水かさがあまりありませんでした。
 また隣の写真(右)は、友の町の海岸で、万葉集に詠われている場所だそうです。
 歌は
   芦北の野坂の浦ゆ船出して
     水島に行かむ波立つなゆめ  (奈良時代:長田王)
 だそうです。



 <平成21年9月21日 (月曜日)曇>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 寝坊もせず、準備万端整いました。
 それなら、今日の日記だけでも書いてから行こうです。

 敬老の日です。私は国民から祝って貰えます。
 国民がらお祝いしていただくなんて、なんと光栄のことか。(笑い)
 こんなことは、子供の日以来です。子供も大事ですが、老人も大事ですよねー

 日記は、夜に一日を振り返って書くものですが、今日は、これからの一日の予測です。
 友は、「飛行場まで迎えに行きましょうか」と言ってくれますが、私は断ります。
 のーびり、とバスと電車で行きたいのです。
 あの、別名「不知火海」と呼ばれる八代海を右手に見ながらの鈍行列車が好きです。
 いつも、あのゆったり走る電車で海を眺めながら、彼女の処に向います。
 山間を縫う鈍行や海辺を走る電車に乗る旅は、「旅は、いかに詩人の吟嚢を肥やすものか」です。
 詩人でない私でさえそんな気持ちになります。

 車窓からの八代海で、向こうにかすかに見えるのが、天草です。



 <平成21年9月20日 (日曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 彼岸の入りです。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、夏の名残のような陽の光でした。
 しかしながら、吹く風は秋で、そんな中、師匠の墓参りに行って来ました。
 さて、墓参りのような辛気臭いは話は、これだけに留めます。

 私は、”うきうき”しています。まるで、遠足前の小学生みたいです。
 今晩、眠れなく、寝坊したらどうしよう。(笑い)
 明日は、空を飛んで、恋人(?)に会いに行きます。
 いや、恋人と言っては、彼女に申し訳ありません。だって、私達はレズではありませんから。

 九州の彼女は、学生時代からの友人で、卒業後は東京と熊本の生活でしたが、
 ほとんど毎年のように会っていました。
 ところが、ここニ年ほど電話会談だけでしたので、思い切り、私が出かけることにしました。
 何時戻っても良いように、片道の切符だけを用意して、あとは、行き当たりばったりの行動です。
 もしかしたら、熊本競輪場かもしれません。(阿呆!)
 それでもいいのです。連休中は、ビックレースですし、二人とも嫌いではありませんから・・・

 明日の今頃は、八代海の美味しい魚を食べているでしょう。
 だから、しばらくは、日記もお休みです。(あしからず!)



 <平成21年9月19日 (土曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 今日から秋の連休、シルバーウイークです。
 それにしても、21日は敬老の日で、23日は秋分の日であっても、中日の22日は何の日?
 思い当たるものは無いのでカレンダーを見ると、「国民の休日」とありました。
 「ふむふむ、おまけの日だ」 粋なことをする。

 連休初日ですが、現役時代とは異なり、「るんるん」と言うような浮かれた気分もありません
 ただ、たんたんと過ごした一日で、日記を書こうと思っても何も沸いてきません。

 美容院に行き、髪を切りました。
 大きな鏡に映る自分の顔を見れば、薄くて柔らかい毛は、白くなる一方です。(寂しい)
 「白髪が増えちゃってー」
 「そうでもありませんよ、私の方が多いかも」と、美容師さんは、鏡に頭を映す。
 私の担当の美容師さんとは、荻窪に越してきて以来の長い付き合いで、
 かれこれ40年近くなります。

 周りの若い美容師さんは、入れ替わっていますが、彼女は、あそこの主のように居ます。
 「長い付き合いね?」
 「そうねー、二人とも老人ね」と、老いを競うような会話です。(笑い)
 「連休は無いの」
 「休みませんよ、私達には、関係ないもの」
 そうそう、先日、いきつけのうどん屋の主人も、同じようなことを言っていました
 どうやら、おまけの日まで新設した連休は、お役人さんと、サラリーマンの為にあるようです。



 <平成21年9月18日 (金曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 今日は、朝から忙しいです。だって、私の家に弟夫妻という珍客が来る予定です。
 家の中を何時もより念入りに掃除をしなければなりません。(馬鹿者!)
 そうです。本を読み出してしまったからといって、掃除を怠ることは出来ません。

 午後2時頃、荻窪駅で落ち合い、「さて、これからどうしよう。飲むのに早すぎる。」
 さりとて、碁会所とか競輪と言う訳にはいきません。
 そこで思いついたのは、通勤途中にある「ジブリ美術館」です。
 仕事の行き帰りには、必ず通る道ですのに、未だ覗いたことの無かったので、チャンスとばかり
 井の頭公園のはずれを歩いて、行ってみました。

 これ以上書けば、小学生の作文になってしまうので、ただ一言。
 日本人の知的作業に対する労力を惜しまない性格を垣間み、アニメは日本の文化である事に頷く。
 そして、前総理の麻生さんは、このような物を作りたかったのかなー。



 <平成21年9月17日 (木曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 つい2、3時間前までは、今晩は赤飯を炊いて、祝う予定でしたのに麦飯になってしまいました。
 悲しいかな、終わって見れば、赤飯は、ほんの一時の夢でした。

 仕事を早めに切り上げ、碁会所に寄りました。
 メダカの紳士とTさんが碁を打っており、一寸覗くと”食うかくわれるか”の攻防です。
 互いに意地のつっぱりあいで、面白い碁であり、隣で眺めていると、メダカの紳士は、
 「折角、来たのだから、打ちな」と、自分の碁が終わると、Tさんの相手を譲ってくれました。
 Tさんとは、久し振りです。当然私が黒だと思い、黒石を引き寄せました。
 しかし、点数表で手合いを決めようとすると、私が白です。すなわち、私の方が上手(うわて)です。
 びっくりです。私が思わず「わー、貴方に白なんて、今晩は赤飯だ」と、大きな声がでしました。
 周り碁仇は、「篠ちゃんの田舎は、碁に勝てば赤飯を炊くのだ」と、笑います。
 「この手合いで勝ったら、赤飯を隣近所に、配らなければ・・・」と、私は答える。
 Tさんは、「赤飯など炊かせないよ」と、言いながら応戦します。
 戦いが進むにつれて、私の大石が死にそうです。メダカの紳士は、
 「篠ちゃん、赤飯どころか、『ご親戚の方をお呼びください』に、なっているよ」と、呟きます。
 その碁は負けました。一瞬の喜びも消え、白を取り返されました。

 次の碁も負けです。Tさんは、「僕に、白を持ち続けるには、10年とは言わないが未だ早い」です。
 やっと、3局目に勝ちました。
 づーと観戦していたメダカの紳士は、「赤飯は無理だから、麦飯にしな」と、笑う。
 「そうね、麦飯は、健康食だから、我慢します」の、私の言葉に、
 隣で碁を打っていた、ギューちゃんが、「ビールの一本くらいは、つけてもいいよ」です。
 「そうしまーす」 私は、メダカの紳士とTさんの三人で、碁会所を出ました。

 碁を打って笑って一日の憂さを忘れ、赤飯でなくとも美味しいお酒を飲みました。



 <平成21年9月16日 (水曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 鳩山丸は、船出したようです。
 いや、"小鳩丸"かもしれませんが、とにかく今日の秋口のさわやかな日に船出しました。
 宝を沢山積んでいますので、荒波に飲まれないように・・・
 政権交代の歴史的な1日に立ち会いました。
 でも、先日読んだ本のような「ベルリンの壁の崩壊」とは違って、
 私の環境には、何も変化ありません。あったら困ります。
 ここは、日本だから自然に、官僚指導の政治が変わっていくかも知れません。
 急激な変化で、私のような愚かなおばさんを、惑わしてはいけません。

 何時もの飲み屋で飲んで帰り、郵便受けを見れば、区役所からの封書がニ通ありました。
 最初に開いた一通は国民健康保険の取りすぎで、還付用の「振込み口座を知らせろ」です。
 「しめしめ、競輪代が増えた」と、喜びもつかの間です。
 もう一通を開封すると、国民健康保険の、10月からの請求書です。
 「確か、来月からは、年金からの天引きだったはずだー。どうなっているのだー」
 難しくてわかりません。

 今年は、どお言う訳かお役人さんとの、かかわりが多いです。
 先日、社会保険庁からは、「貴方の年金ではありませんか?」の「年金記録の確認書」を,
 受け取りました。そうそう、一ヶ月ほど前には、住民税の700円不足請求もありました。
 私は、事務処理能力の劣等生ですから、とても面倒くさいです。もっと単純にして欲しい。

 だから、新政権も「Simple is Best」であって欲しいです。
 しかし、「Simple」は、「Think」の 結果ですよ。
 昔、IBMの講習会に行ったとき、三角柱の名札板が机の上にあり、
 私の名前とは別なニ面に書いてありました。「なるほどー」と、感心した記憶があります。



 <平成21年9月15日 (火曜日)曇り>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 秋の空は、「三日の晴れ無し」と、言われるように、昨日の晴れた空とは、うって変わって
 灰色の雲が隅々まで、覆い、少し肌寒い日でした。これが、女心だか男心に例えられるのでしょう。

 とにかく、急ぎの仕事は、突貫工事で、でっち上げました。
 その為か、安堵と同時に虚脱状態で、思考が纏まりません。その上、窓から入る風は、
 少し冷たく陽気で暖かい文が書けません。こんな時には、暖かい話が良いです。

 イチローの9年連続200本アンダ記録は、日本人の近年にない快挙です。
 日本のプロ野球は、地上波放送が少なくなったためか、魅力がなくなってしまいましたが、
 このはれやかなニュースは、何辺観ても楽しくなります。
 去年の今頃は、100年に1度と言われる世界不況の引き金のニュースが、飛び込んできましたが、
 今年は、こんな明るいニュースです。景気は、相変わらず停滞ぎみですが、
 この、アメリカ発の明るい話題は、私たちを楽しませてくれます。
 それにしても彼の記録は、何処まで伸びていくのでしょう。
 「メジャーでは、測れません」と、今朝のテレビで洒落ていました。



 <平成21年9月14日 (月曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 やはり、サーバが、お休みしておりました。
 多分、何年も休まずに働いていたのだから、サボりたくなったのかもしれません。
 でも、ビルの電気系統保守日の、”薮入り”のような休みをだけでは、「働き過ぎだ」と、
 言いたかったのでしょう。

 働きすぎは健康に良くありません。
 それだのに、先週から、今週にかけては、とても忙しいです。
 「もう、12時か、もう5時か」と、いうように時間の経過を忘れて、仕事に没頭しております。
 急遽、依頼された短納期物件で、「せっせせっせ」と、現役時代のように密度高く動いています。
 「もう、歳だからのんびり」と、思っていますが、若い人達の頼みだと、喜んで引き受けちゃう。
 いつものパターンで、安請け合いをして、「しっまった!」です。(阿呆)
 しかし、クライアントが、若手の技術屋ですから、言葉が通じて気持ちよく製作でき、
 最近にない満足感を味わっています。

 今週末からの連休があります。
 そこで、「良く遊び」をして、この働き過ぎを、相殺するつもりです。(陽気もいいし)



 <平成21年9月13日 (日曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 サーバがダウンしてしまったようです。私の寿命も下り坂なら、サーバもいよいよ疲れて来たのかな?
 昨日、この日記をアップロードしようとしたら繋がりません。
 友人に連絡してリモートコントロールを、試してもらいましたが、
 Pingは、ルータまでしか通じないので、マシン事態に何かあったようです。
 生憎、今日は日曜日ですので、明日まで待つことにします。多分、再起動すれば直るでしょう。

 もう既に10年近くなります。職場の友人と、リナックスの勉強のために、立ち上げ、
 Webサーバ、メールサーバそしてポストグレのデータベースサーバに仕立て上げたものです。
 私達は、それを使い色々な事を試みて楽しみました。
 私達の可愛いおもちゃサーバですが、マシンが古くなったのでしょうか?(大丈夫のはずだがなー)

 とにかく、明日、調べてみることにします。

 皆様にはご迷惑をお掛けします。この日記もさることながら、メールを読めないのが堪えます。
 プライベートメールは、このサーバですから、友人への連絡が面倒です。
 今日、連絡しなければならない仕事関係は、別のメールサーバですから、問題ないのですが、
 すっかりマシンに使われている人間になってしまいました。



 <平成21年9月12日 (土曜日)曇:雨>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 菊の節句も過ぎ、涼しくなりました。

 10日間も「篤の夏」を書きましたが、やはり、あれは、私の文では無いみたいです。
 だから、今は一寸悔いています。昨日、1本に纏めてみて、読み直したら私の文ではないのです
 職場の友や、酒場の仲間から、私の本「笑いをふるまう親爺」を読んで、
 「第ニ作は何時?」、「たまには、日記に恋愛ものはどうか」等と、冷やかされ書いてみました。
 そうです。「幼稚な文であるが、面白い」のが、私の文です。(作家でないから)
 でも、自分で言うのは、可笑しいですが、「篤」と言う漢字から、「竹馬の友」を連想したことは、
 自分らしく思いました。これも、あれも全て、老人の自己満足です。
 「篤の夏」が終わると同時、私の夏も終わりました。おとなしく秋を迎えます。

 さて、今日からは、ずっこけおばさんの日記です。

 朝から渋つく雨で、引きこもりです。だって。随分以前にお借りした本を味わって読みたいです。
 何かに飢えていたのか、最近はやたらと縦書きの活字が恋しいです。
 しかし、「誰とも会話しない生活は、精神上良くない」と、夕刻に碁会所に出かけようと、
 表に出れば、私の愛車(博徒かー)が、お神楽のお休み所になってしまいました。
 毎年、駐車場の大家さんの店が、お祭りの神酒所になり、私の車の代わりに神楽が置かれます。
 今年は、どうやら何時もの年とは、違うみたいで、お御輿の宿にはなっていませんでしたが、
 私の「博徒かー」は、隅に追いやられいました。
 お祭りの寄付の奉納などしたことがありませんが、場所の提供が私の奉納です。
 だから、神酒所の世話役さんは、私に酒を振舞ってくださいます。
 「神に逆らってはいけない」と、近所のおじ様、おば様と、神の前で談笑しました


 <平成21年9月11日 (金曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(最終回)

 松本は、篤の持参したワインの栓を抜きながら、
 「美香も君の"竹馬(ちくば)の友"だ。君は、若い頃には、男女問わず、親しくなると、
 『僕の友は、誰でも、名前のとおり竹馬の友だ』と言っていたなー」
 「そんなこともあったなー」
 「村田でなく篤と呼ぶのは、竹馬の友だからだ。周りの女の子が、はじめだった」
 「お母さんも、篤さんの竹馬の友だったの?」
 「そうよ、そして、少し泣かされたの、最も私だけじゃないけどね」
 美香は、「そうなの?」と篤に顔をむけた。篤は、
 「いや、僕は、女性を愛しても、悲しませたことないよ」
 「そうだよ。男は単純だから、好きな女は、ただ一人、だが時々目移りするけどな」と、松本は笑った。
 奥さんは、ワインを注ぎながら「まーまー、今日からは、親子三人とも竹馬の友ね。乾杯しましょう」
 「乾杯!」と、篤のグラスに自分のそれを当てる。
 篤は、「この歳で、竹馬の友もでもないが、美香さん、時々飲みましょう?」と、
 美香の方にグラスを向けると、美香は、「はい、おっちゃんで」と、答える。

 「今日は、すっかりご馳走になりました。そろそろ・・・」
  篤が、帰ろうとしていると、美香は、「篤さんのために、私の作ったチーズケーキです」と、
  小さな手提げ袋を渡した。「戴きます。竹馬の友ですから・・・」

 篤は、秋の気配のする、夜道を阿佐ヶ谷駅に向かいながら、美香の胸の感触を思い出していた。
 しかし、秋風と共に、熱い感触から、さわやかなものに変っていた。
 携帯電話を取り出し、妻のメールを読む。篤の夏は終わった。      (終わり)

 ご愛読ありがとうございました。     最初から読むはここ



 <平成21年9月10日 (木曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(9)

 篤は、昔と余り変わらない庭先の植木を見ながら、古い井戸と離れの無いのに気づき、
 「おい、離れは売ったのか」
 「あー、相続税のためにな、庭も小さくなった」
 「来るとき、一瞬、道を間違えたと思った。桜の木の屋敷が無くなっている」
 「この辺も家並みが変わったからな、離れも隣の屋敷と一緒になってマンションさ」

 しばらく、とりとめのない話をしていると、
 階段を下りる音と同時に、美香が顔をだし、「いらっしゃいませ」と、挨拶しながら、篤に目配せをする。
 「お邪魔しておいります」
 松本は、娘と、孫を篤に簡単に紹介すと、美香は、「始めまして・・」と会釈して、篤の隣に座る。
 (松本の娘だったのかー )篤は、彼女の先日の冷静な態度に感謝した。

 男の子が、松本の膝に乗ると、「篤、孫はいいものだよ。君はまだか?」
 「あー。息子は、作り方を知らないらしい。それに、娘はまだ一人ものだから」
 「君の性格に似て、綿密な計画でもしているのだろう?」
 「さー、でも、僕は子作りには計画無しだった。二三回、妻の上で「うんー」言ったら出来ちゃった」
 「子作りなんてそんなもんだ」
 「南風の強い日に、めしべがおしべになびいただけ」
 「あら、篤さんから、こんな言葉を聞くのは、初めてね」
 「こいつも、社会に揉まれて、冗談を言えるようになった。あ、は、は・・・」
 篤も美香もつられて笑った。
 美香は、「父の親友と知りながら、からかってごめんなさい」と、言いたかったが、
 黙ってビールを注ぐ。
 「ありがとう」と、(松本に話してもかまわないよ)の、意味を込めて言った。  (つづく)



 <平成21年9月9日 (水曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(8)

 刷毛で塗ったようなどんよりとした日曜日の朝である。単身生活にも慣れ、家の掃除や洗濯を終え、
  コヒーを飲んでいると、電話が鳴る。松本からであった。
 「今晩は暇か?」
 「これと言った用事はない」
 「女房が、『家で食事でもしよう』 と言っている」
 「うんー。迷惑でないか?」
 「水臭いこと言うな。6時ごろ来いよ。待っている」
 松本は、篤の返事を待たずに、電話を切った。(相変わらず、強引だなー)
 篤は、温くなったコヒーを一口のみ、パソコンにむかい、昨日自宅に転送しておいたかっての部下の
 特許出願書の添削をした。共同出願者として、篤の名が書かれているが、削除すると同時に、
 「発明を二個に分けることも考えたらどうだろ」と、注釈の吹き出しを付け加えた。

 松本孝雄と篤は、学生時代はゼミも同じで、実験などのときは、いつも松本が中心であったが、
 機密な性格の篤にしてみれば頼もしいライバルであった。二人は、授業が忙しくてマージャンなどの
 遊びをしなく、時間の余裕があれば映画鑑賞を楽しんだ。
 そして篤が、阿佐ヶ谷に越してきてからは、時折、松本の母親の作る夕食をご馳走になった。

 篤は、夕方、駅前で、ワインと果物を買って松本の家に向い、玄関のベルを鳴らす。
 「はーい。お待ちしておりました」と、奥さんの迎えを得る。居間のテーブルには、
 既に宴会の用意がされてあり、松本は、雑誌を読んでいた。
 「お!良く来てくれた。そこに座れ、始めよう」と、ビール瓶に手をかけた。
 「まず、仏様にだけ、お参りさせてくれ」
 篤は、奥さんの案内で仏壇に線香をあげた。

 「美香、篤さんよ、降りていらっしゃい」と、奥さんが声をかけると、しばらくして男の子が顔をだした。
 篤は、「あ!あの子だ」と一瞬目を疑った。「挨拶は?」の声に
 「いらっしゃい」と、松本と奥さんの間に座る。
 「ママは?」
 「後から行くからって言っていたよ」
 奥さんは、子供にジュースを注ぎながら「お化粧でもしているのでしょう。はじめましょう」と、
 ビールの入ったコップを目の前にかざす。
 「再会を祝して、乾杯!」と、松本の合図で会が始まる。    (つづく)



 <平成21年9月8日 (火曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(7)

 二人は、表に出ると、秋風が酔った頬を撫でた。
 「少し、散歩しますか?」
 「ええ、子供はもう寝静まっているし・・」
 意外に素直な返事に、篤は驚きながら、小さな公園に向かう。
 篤は、(遠い昔もこんなことがあったなー)と、学生時代のガールフレンドとの事を思いだす。
 しかし、篤は、こんな情景のときに話す言葉は、思い出せず黙っていると、
 美香は、「この辺も、個人商店が少なくなったの」などと、話題を探していた。

 いつもタバコを吸うベンチに腰を下ろし、しばらくの沈黙があり、篤は、美香の背中に腕を回し、
 彼女を抱えるように寄せ、Tシャッツの上から、美香のふっくらとした胸に手を当て、
 やわらかい塊まりをさぐる。 美香は、しばらく素直に受け止めていた。
 篤は、高まる興奮を抑えきれず、目を閉じている顔に、唇を重ねようとすると、美香は、固く唇を閉ざし、
 「だめ、貴方には奥様がいる。そして父に・・・」と、目をパッチリ開け、篤の腕をはらった。
 篤は、はっとし、股間の高ぶる興奮を沈めようと、「ふー」と深呼吸し、
 「ごめん! お父さんがそんなに怖いの?」
 「はい、父の反対を押し切って結婚し、今は、母子二人、父に食べさせて貰っているから」

 美香は、何事もなかったように、少し乱れた衣服を直し、「帰りましょう」と、
 立ち上がり篤に手を差し出す。
 篤は、昼間みる男の子のように美香の手にすがって立ち上がり、黙って歩き出す。
 美香は、屈託もなく、「今日は、ご馳走さまでした。またおっちゃんでお会いしましょう」と、
 くるりと背を向けて歩き出した。
 篤は、答える言葉もなく、美香の背中を見送り、手に残る胸の感触を一振りする。
 (女の気持ちは、わからないなー。帰ったら、罪滅ぼしに妻に電話しよう)     (つづく)



 <平成21年9月7日 (月曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(6)

 篤は、会議・会議の連続に疲労を感じながら地下鉄を降りる。
 このまま帰っても寝付けないだろうと思い、おっちゃんに寄り、飲んででいると、美香が入ってきて、
 立ったまま「おっちゃん、ビールね。それに、冷奴」と言い、おっちゃんに目配せをしながら
 「こんばんは。隣に座ってもよろしいですか」と、気安く話かけてくる。
 篤は、「おや!」と、思いながら「どうぞ」と彼女用の椅子を後ろにずらす。
 美香は、「村田さんですよね。おっちゃんから聞きましたよ。
 学生時代にはここの常連だったのですって?」
 「はい。こんど東京勤務になったので、荻窪に住むようにしました」
 「単身赴任ですってね。私は子持ちのバツイチです。よろしくお願いします」
 「こちらこそ」
 「おっちゃんは『貴方なら親しくなっても大丈夫』と、言っていましたよ。だから・・」
 美香は、微笑んで、篤のコップに自分のビールを注いだ。
 「おっちゃん、そんなことまで話したのか?」と、言う。おっちゃんは
 「この前、美香ちゃんが、篤さんが帰った後にいろいろ聞くからついつい・・・」と、
 美香に目で合図する。
 篤は、嬉しくもあったが、少し戸惑いを感じた。
 東京にきて、仕事関係以外の人との会話も少なくなっており、
 まして、娘と変わらない歳恰好の女性との会話である。
 最初は、言葉を捜しながらであったが、酔いの後押しもあって、しだいに打ち解けてきた。
 自分からは、声をかけたくても出来なかったのに、彼女の方からである。
 (どうして急に変わったのだろう)と、おっちゃんと美香ちゃんと呼ばれる女性を見比べた。
 しかし、屈託無く明るく話をする彼女につられて、いつになく饒舌になっていた。

 「そろそろ、私は帰ります」と美香が勘定を請求すると、篤はちょっとためらったが、
 思い切って、「全部僕と一緒にしてください」と、彼女を制した。
 「それでは、あまり・・・」
 「女性と一緒に飲んで、とても楽しかったので、それに知り合いになった記念に、今日は僕が・・」
 美香は、助けを求めるように、「おっちゃん、どうしましょう」と、尋ねる。
 「今日は、甘えておきな。篤さんの折角の好意だ」
 その一言で、「そーね。ご馳走さま、お言葉に甘えます」と、ほんのりと赤くなった笑顔で会釈する。
                                              (つづく)



 <平成21年9月6日 (日曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

             竹馬(ちくば)の夏(5)

 おっちゃんで、そろそろ帰ろうと思っていたら、ドアが開き、女性が入ってきた。
 「いらっしゃい」
 女性は、篤の一つ隣に席とり、「枝まめとビールね。おっちゃん、父には・・・」と、
 唇に人差し指をあてる。
 「判ってます。美香ちゃんとの約束ですから」
 「父は出張で居ないし、母は孫と寝たから来たの」と、横を見て、篤に気づく。
 「あら!さっき、公園で・・・」
 篤は、彼女の入って来た時に、既に気づいていたが、
 「はい。どうも・・・」と、口をにごす。
 「時々、公園で見かけますね」
 「ええ、可愛いお子さんですね」篤は、潮汁を飲みながら、彼女のおいしそうにビールを飲む横顔を見る。
 そのしぐさは、公園での母親ではなく、円熟した女性としての艶やかさが漂っていた。

 しかし、その横顔は何処かで見たような気がするが、思いだせない。
 (旦那はどんな男なのだろう)
 篤は、彼女のビールが空になるまで、おっちゃんと四方山話をし、勘定をして出る。

 松本美香は、勘定をしようと
 「ご馳走さま。幾ら?」
 「はい、待ってください。」とおかーちゃんの返事に、おっちゃんが
 「美香ちゃん、あの人誰か知らないの? お父さんの友人の篤さんだよ。」
 「知らなかった。会ったことも無いから」
 「篤さんも気づいてないようなので、あえて言わなかった。美香ちゃんとの約束だからね」
 「最近のお客様かと思った。でも、公園で見かけることもあるの」
 「篤さん、まぶしそうに美香ちゃんを、見ていたよ」
 「そー。変な女と思ったのでしょう」
 「それはどうかな。美香ちゃん、いつかはお父さんにばれちゃうよ」
 「その時はそのときね。」
 美香は遅かれ早かれ父に知られることを覚悟した。
 美香は、両親の反対を押し切って、結婚し、数ヶ月前に別れて実家に戻り、
 両親には、「しばらく、おとなしくしていなさい」と、言われていた。   (つづく)



 <平成21年9月5日 (土曜日)晴>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 難しいです。一画面に一区切りを納めるのは。
 昨日は、少し長くなり、今日はまた短いです。
 画面設計において、横スクロールは、禁物ですが、縦スクロールは、少々許されることので、
 昨日は、長くなってしまいました。
 自己満足の遊びだから、気にしないことにします。

             竹馬(ちくば)の夏(4)

  篤は、早め目に帰宅できる日は、南阿佐ヶ谷で下車し、先日の公園で一服して、おっちゃんで飲むよう
 になった。真昼の太陽が暑くても、夕暮れになれば秋風を感じる日、公園に行くと、
 終わりかけた百日紅(さるすべり)の花の向こうで、母子が二人で小さなブランコに載っていた。
 母親は、赤いTシャッツ姿で、子供の動きに合わせてブランコを揺らすが、
 「ママの真似しちゃだめよ」と、言いながら、時々思い切り高く漕ぎあげる。
 篤の目は、知らず知らずのうちに、彼女のスカートの間から見え隠れする太ももに移る。
  単身赴任して数ヶ月になり、月1回ほどは家に帰るが、熟年夫婦であるから熱いものは、
 それほどない。それだのに、篤は、何処かから熱いものが沸いてくるような不思議な心持になる。
 (僕にもまだこんな気持ちになることもあるのだ)
  篤は、数年後に定年になる年齢であり、社会的地位からすれば、若者のように気軽に声をかけることも
 できない。タバコを1本吸ってその場を去る。
  背中の方から「さー、おばーちゃんの処に帰りましょう」と子共に話しかける声が聞こえる。
                                       (つづく)



 <平成21年9月4日 (金曜日)曇>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 夕刻より、シニアSOHO三鷹の創立10周年記念祝賀会に出席しました。
 創立当時の懐かしいメンバーに会い、昔の思い出話に花がさきました。

             竹馬(ちくば)の夏(3)

 篤が、おっちゃんの暖簾をくぐると、「いらっしゃい」と、昔と変らない声が返ってきた。
 「久しぶり。まだ営業しているのだ。懐かしいなー」
 「やー、お待ちしていましたよ。昨日、松本さんから『篤が来る。いいも仕入れておけよ』と、
 連絡がありました」
 篤は、L字型のカウンターの一角に席を取りながら、
 「おっちゃんもおかーちゃんも、あまり歳をとってないね」
 「頭を見てくれよ。白いものがめっきり多くなって・・・。昔のようにビールだね」と、
 おっちゃんは、付け出しとコップを、篤の前に並べた。
 「松本は、相変わらず寄るのか」
 「時々、松本さんの話では、随分偉くなったそうですね」
 「いや、技術馬鹿への定年前の褒美のようなものだ。現場で、半田ごてを握っている方が楽だ」
 「そんなものですかねー。わしらにはわからん」
 表のドアがあいて、松本が入ってきた。
 二人が隣同士に座り、ビールで乾杯していると、
 「あまり、良いものが無くー。近海の魚を少し・・・」
 「肴は、何でもいいよ。適当に見繕ってくれ。篤は、最後に味噌汁があれば満足するはずだ。
 おかあちゃん頼むね。」
 「はい。珍客ですからね。昔どおりの味で」と、他の客に酒を出していたおかあちゃんが、答えた。
 篤は、学生時代にはこの酒場で焼酎数杯を飲み、握り飯か、お茶づけで食事をし、
 おかあちゃんの作る味噌汁で閉めていた。
 二人は、ビールを飲みながら、近況を語り合う。
 「僕らも、定年まであと数年だが、君はどうするつもりだ」と篤の問に松本は
 「まだ、考えていない。子会社の役員と言う話もあるが迷っているのだ」
 「ゆっくり考えればいいよ。ところで家族は元気か?」
 「うん。元気だ。しかしな、娘の奴、嫁にいって、孫をつれて帰ってきちゃった。」
 「そうかー。それは大変だな。若い者は何とかするよ」
 「ああ、そうだ。女房が『君と会うから飯はいいよ』と言ったら、会いたいとさ」
 「奥さん、元気か」
 「日曜日でも、来いよ。肉ジャガとキンピラくらいは用意させておくよ」
 「君のお母さんの肉ジャガ懐かしいなー」
 篤は、趣味は、洋画やクラシック音楽など洋風なものであるが、食べ物だけは、
 おふくろの味であった。学生時代は、松本の母親が作る家庭料理を好んで食べた。
 「女房は、母ほどでもないが、味は似てきたよ」
 「うん。奥さんによろしく」
 「まあ、僕もここには時々くるが、君も顔をだせ。天沼なら歩いて帰られるだろ」
 「ああ、学生時代のように、ここで時々飲むことにするよ」
 二人は、電車に乗らないで帰れる気楽さから、閉店時間近くまで飲んだ。



 <平成21年9月3日 (木曜日)曇>          
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 日記だから、今日のイベントを先に書きます。
 昔の会社の先輩に、三鷹の小料理屋でご馳走になりました。
 私は、日頃の栄養不足を補おうと、一生懸命に食べてきました。
 ご馳走さま!、これでしばらく私の体力は、持ちそうです。

             竹馬(ちくば)の夏(2)

  「おじさん、ボール取って」と、男の子の声がする。
  篤は、我にかえり、足元に転がり込んだ小さなゴムボールを拾い、駆け寄る少年に渡すと、
 「ありがとう」少年は、ボールを受け取り、一緒に駆け寄ったママらしきタンクトップ姿の女性の
 手にすがる。
 女性が軽く会釈すると、篤は、彼女の胸元が広く開いた先の隠された膨みの裾野が目に入る。
 篤は、急いで目を逸らすと、ピンクのマニキアをしたサンダル履きの素足の爪が目に留まる。
 (きれいな人だなー。これが将来の荻窪婦人かー)
  篤は、さりげなくその場を去るが、約束の「おっちゃん」に向う途中も、なにやら懐かしく、
 親しみを覚えていた。
 (最近にない、感覚だなー、まずい!飲んで払い落とそう)
  篤は、おっちゃんの暖簾が見えると、足早になった。  (つづく)



 <平成21年9月2日 (水曜日)曇>         
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 この日記を書き始めて6ヶ月になります。飽きやすい私にしては、珍しい現象です。
 少し、趣を変えてみようかなー

 世の中に携帯小説なるものがあると、聞きます。そこで、私はWeb小説なるものを
 試みようとしますが、難しいです。一般にネットアクセスにおいて、一サイトに留まる時間は2秒平均で、
 これぞと見つけたときでも1、2分と言われており、その範囲で区切らなければなりません。
 その上、文は、歯切れよく、軽やかに運ばなければなりません。
 「駄目かー」と、躊躇しましたが、「所詮、自己満足な日記だ」と、夏休み中に書いた短編小説(?)
 試みました。

             竹馬(ちくば)の夏(1)

  日本の夏を象徴するような、蒸し暑い日です。
  村田篤は、冷房が人の発する熱量を冷やしきれない満員の地下鉄から降り、阿佐ヶ谷の街を、
 上着を片手に持ちながらJR阿佐ヶ谷駅前の商店街に向かう。
 街並みは、篤が住んでいた頃とは、路地こそ変わっていないが、大きな屋敷があっただろう処は、
 いくつかの似たような形をした建売住宅などに変貌しています。

  夏の陽は、まだ高く(飲み屋に行くのには少し早いなー)と、区役所横の中杉通りを外して、
 住宅街を歩き小さな公園を見つけてタバコに火をつける。
  篤にとって阿佐ヶ谷は、学生時代に住んでいた街であり、卒業後は、故郷に近い関西に工場と研究所を
 持つ会社に勤めていた。
 工場統合による人事異動で、東京本社勤務になり、妻と子供を関西に残し、
 阿佐ヶ谷と荻窪駅の中間に住まいを構え、一人の生活も慣れてきた頃であった。
 通常は、荻窪駅で下車するが、その日は、学生時代の友人である松本孝雄との約束で「南阿佐ヶ谷駅」で
 下車する。
 篤は、大学一年のときは、学校付近の下宿屋に下宿していたが、下宿人同士のマージャン付き合いに
 嫌気がさしたころ、松本の紹介で阿佐ヶ谷にアパートを借りた。
 卒業後も、篤が出張で東京に来たときなどは、互いに都合がつく限り、都心で酒を飲んでいたが、
 郊外の阿佐ヶ谷で飲むことは無かった。
 (おっちゃんは、未だ営業しているのだ。おかあちゃんは元気なのかなー)
 これからの再会を思いつつ、眺めるともなしに公園で遊ぶ母子を見ていた。   (つづく)


 <平成21年9月1日 (火曜日)晴れ>         
このページのトップ     前月へ  翌月へ

 二百十日です。台風一過というのか晴れて、暑い一日になりました。
 もしや、昨日の雨で空気が一掃され、真っ青な空ではないかと、期待して、目を覚ましましたが、
 台風の忘れ物の雲があちこちらに残っておりました。

 今朝は、5時頃起き、お尻に火がつきそうなことを、片つけました。
 まだ、少し余裕があるのですが、仕事のスケジュールと、夜の予定が立て込んでおり、
 「思いたった時が吉」と、金曜日の道楽の資料作りです。
 日頃は、ほとんど使ったことのないスキャナで、先日、日本棋院で求めた本から数枚抜粋し、
 初心者のための9路盤用テキスト作りです。

 「教えることは、学ぶことである」を、再認識しました。
 本当に初歩の初歩ですので、大部分は熟知しているはずですが、サンプルの9路盤棋譜を並べてみると、
 「私なら必然的にこう打つ」と思った手が、間違っていました。
 囲碁は陣取りゲームですので、1目(もく)でも陣地の多いほうが勝です。
 テキストの手は、私の手順より0.5目多いです。
 しかも1目損して、1.5目得をする手です。(プラスマイナス0.5目の得です)「なるほど」です。
 目先の利益に捉われて、全体の利益を忘れているのです。まるで、日頃の生活態度そのものです。