思 う が ま ま に(平成21年10月)

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平 成 2 1 年 1 0 月


 <平成21年10月31日 (土曜日)晴>          
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10月の最後の日です。少し面白いことを書こう。

 <憧れの君>
碁会所の碁仇の一人が、私の「憧れの君」らしいです。百人一首に
  しのぶれど色いろに出いでにけり 我わが恋こひは
    物ものや思おもふと 人ひとのとふまで
が、あります。しかし、私の場合は、こんな艶っぽく格好のよいものではありません。
だた、本人はそう思っていなくとも、回りの人が言うから、憧れの君に間違いありません。

日頃通う碁会所に、私と棋力も年齢も余り変わらない囲碁仲間が数人います。
それぞれ、独特の碁風であり、私は、身の程知らずの喧嘩碁です。
その一人は、私が名付けた「はいはいの君」で、序盤戦から悪手と言われている下を這います。
すなわち、稼ぐものはしっかり稼いでから、敵陣に殴りこみます。(損保会社勤務の習性かな?)
もう一人は、序盤戦は、しっかりと形どうりに進みますが、時期をみて戦いを挑んできます。
攻めるべきは攻め、守るべき守るという堅実な碁ですが、プロに習ったのかちょっと旦那碁です。
旦那碁とは、教科書とうりの手には、強いのですが、アマチャーのしたたかな碁には、
通用しないことが多いのです。その彼が、私の憧れの君です。当然、イケメンです。

ある日、「はいはいの君」と碁を打っていると、彼が姿をみせ、私達の碁を観戦していました。
はいはいの君は、「篠ちゃんの”憧れの君”が来たから変わろう」と、言います。
「誰!、私の憧れの君って?」
「目の前にいるよ」
私が顔を上げてみれば、温厚な紳士です。私は、
「いいの?、私で」彼は、
「いいよ、憧れの君でも、たそがれの君でも、僕も憧れの彼女を作るから」と、にこにこしています。
(ヤッター、彼を憧れの君にしよう。碁会所通いの楽しみが増えた)(爆笑)
こうして私の憧れの君が生まれました。(幸せ!)

先日、その憧れの君と対局しました。
例によって、私は、喧嘩を挑み、相手の大石を殺しにかかります。
「参ったなー。そんなに襲いかかられては」と、彼は、防戦一方で、とうとう大石が死にました。
「取れたー。大間のマグロみたいな大石が・・・」と、言う私に彼は、
「こんなに、いじめると、もう、憧れの君は返上するよ。」
(それは、困ります。勝負とハートは別にして)と、私は、しとやかに言おうとしますが、
悲しいかな出来ません。
そして、出てきた言葉が、なんと「石を追っかけるのも、男と同じで、捕まえて、ギャフンと言わせると、
楽しいね」です。
彼は、「おいおい、石も男も同じか。よし、もう一局、しのチャンの餌食には、ならないよ」と、再度対戦です。
次の碁は、彼の堅実な手に、私の挑んだ石は、全て無駄石になり、負けです。
隣で碁を打っていた”はいはいの君”が、
「マグロは、取れたか?」
「いいえ、大差で負け。柳の下にマグロは二頭いなかった。」と、言うと
「憧れの君を、あんまり虐めちゃいかん。”たそがれの君”になっちゃうよ」と笑う。
憧れの君は、「たそがれでも、憧れでもいいが、碁は負けると悔しいな、決勝戦しよう」と、
碁笥に手を入れます。

帰りに碁会所の階段をおりながら、彼は、 「女房には、碁会所に、ぼくを憧れの君とする女性いると自慢してある」と、言います。
「おばーさんと言っては駄目よ。若い美しい女性と言っておいてね」
「わかった。そうするよ」
歳をとると、こんな話にも”どろどろ”したものが無く、笑いを伴う乾いた会話になります。
碁打ちは、たわいもない会話をしながら、碁を打っていればそれだけで幸せです。
                               おわり



 <平成21年10月30日 (金曜日)晴>          
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しばらくサボっていて飲んでない薬を貰いに、イケメン先生に会いに行きました。
たまには先生の顔を見ておかないと忘れられてしまいます。
そして、ついでに、高い国民健康保険料の「元を取ろう」と、区民検診を受けました。

大変です。心電図をとった後の、機械が出した所見によれば、「心臓肥大」とあります。
心臓は、毛が生えているとは、思っていましたが、肥大とはと、「これ如何に」です。
私の主治医は循環器が専門ですので、いろいろ質問すると、丁寧に説明した後、
「この位は、大したことありませんよ。ただ、これからは、寒くなりますので、
僕の言うことを少し聞いてください。お願いしますよ」と、主客転倒したようになってしまい、
「はい、ぴんぴんころりのために、真面目に飲みます」です。
これからは、小さな胸を少し大きくなったらしい心臓でカバーし、大きな顔で荻窪の街を歩きます。

午後、碁会所の大先輩が、中野区の福祉会館で実施している囲碁教室の手伝いに行きました。
私達と打つときは、下手だましの、変則な手ばかりの彼ですが、
初心者に教えるとなると、教科書どうりの手筋の説明です。私の三鷹の囲碁会の参考になりました。
先輩は、既に90歳になりますが、20年近くも毎週金曜日には、実施しています。
「好きな碁だから無償でも、生きがいとして、続けられた」と、彼は言います。

月並みですが、老人の健康について少しばかり、考えました。
(私も、医者の言うことをきいて、元気で何時までも碁を打とう。ボケ防止に)



 <平成21年10月29日 (木曜日)晴>          
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昨日は、本当に泥酔してしまいました。
タクシーで帰ったことまでは覚えているのですが、その後がまったく覚えていません。
朝から頭が重くて、「仕事に行くのを止めようかな」と、躊躇しましたが、
納期の迫っているものがあるので、重い頭をなだめながら出勤です。

習慣というものは恐ろしいです。
今朝4時頃目を覚ますと、テレビと家中の電気がついたままで、フロの水は出っ放しです。
しかも、寝ている場所が違っています。どうやら無意識のうちに、布団をだして
寝てしまったようです。(呆れた)
ズキンズキンする頭を我慢してパソコンの前に行ってみると、日記が一応書きあがっています。
それも、「あとは、宴会の感想を」と、早朝に途中まで書いてあった続きを、キチンと〆ています。
ただ、アップロードだけはしてありませんが、それなりの文になっていました。
「ああ、書けたー」と、思ったとたんに眠ってしまったのでしょう。
たかが半年の日課が、しみついたとは、なんと恐ろしいことです。
これも、極度の酔いで無ければ、「明日書けばいい」と、意識はあるはずですが、
昨日は、全くありません。どうやら、夢遊病者のような行動をしていたみたいです。
(家の中だけでよかったー)

二日酔いの状態で、仕事に行ったにももかかわらず、夕方になれば、飲みたくなりましてた
でも、そこをグーと我慢して、飲まない日を作りました。
これで、肝臓も安心するでしょう。



 <平成21年10月28日 (水曜日)晴>          
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何でも歳のせいにしてしまいますが、感性が乏しくなった程度ならまだ許せます。
私の右脳も左脳も萎んできています。

昨夜、日記を書きながらハット気が付きました。飲み会だけは、意識していたのに
今日のイベントの何の準備もしてありません。
今日は、日頃お世話になっている知人の「還暦祝い」の会です。
「何かお祝い品を」と、思っても既に時遅しで何も有りません。見渡せば筆立てに竹とんぼが、数機あります。
(これにしようー)で、裸では面白くないと、袋にラベルを貼ることにしました。
ワードで作っても良いのですが、ネットで「らべる屋さん」をダウンロードして、はじめます。
ところが、酔っ払い操作も手伝ってなかなかうまくいきません。
(昔は、こんなことなかったー)適当にメニューを突っついていれば、それなりに目的を達成していたのに、
思うように上手くいきません。それでもどうにかできました。
昔の倍くらいの時間がかかってしまい、つくづく回転の鈍った頭に、歳を思い知らされました。

「まだ、60歳かー。若いなー」と、還暦祝いを"だし"にした飲み会です。
彼は、「君達だけだよ。"若いなー"等と言ってくれるのは」と、笑います。
多分、彼の会社の若い女性には、「品の良いおじさま」と、言われているのでしょう。
「いらっしゃい、いらっしゃい、老人仲間のところに・・・そして本家還りを楽しみましょう。」

楽しく飲みました。ひげのはえた赤ちゃんに戻った彼を中心に楽しい談話です。
今頃、赤く塗った竹とんぼを、飛ばして「ニコッ」と、笑っているに違いありません。
彼は、私と違って右脳も左脳も衰えることなく、大還暦(百二十)までは、童心を楽しんでくれるでしょう。
でも、大還暦以上は駄目ですよ。
だって、喜寿や卒寿とかの年齢を祝う言葉は、大還暦が最後で、それ以上はありませんので。(笑い)



 <平成21年10月27日 (火曜日)晴>          
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昨日の雨と風に全てが洗われ、抜けるような青空です。
通勤の電車の中や、職場の屋上から、深雪をかぶった富士山がくっきり見えました。
もう、何も言うことがありません。(今日は、きっと良いことがあるー)で、一日が始まります。
これ以上私の幼稚な文など書けば、日本人の心のシンボルが泣きます。

  職場の屋上からの富士山です


 <平成21年10月26日 (月曜日)雨>          
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私には、メル友などという洒落た友人はいません。
私に届くメールは、仕事関係やMLの仲間からのものがほとんどで、いとも簡単に用件だけです。
そんな中に時々珍しいメールが飛び込んできます。今日もその一つがありました。
それは、顔文字のついたメールです。
「ふむふむ、これは"ばんざい"だ、うん?、あーそうか"プレゼント"だ、と、ちょっと考えながら読みます。

私達が日頃使っている文字は、漢字、ひらがな、カタカナがあります。
漢字は、表意文字ですから、文字から意味がわかります。しかし、ひらがなやカタカナは、
表音文字ですので、それ自体から意味を読み取ることは、困難です。
ところで、昨今はやりの顔文字(絵文字)は、どっちなのでしょう。
どちらかと言えば表意文字なのでしょう。
顔文字は、一文字一意で、音読みがないです。きっと、漢字、ひらがな、カタカナに、
つづく第四の文字なのでしょうか。

私が、いつも戸惑う絵文字にエレベータの「開」と「閉」があります。
今日も、自宅にマンションのエレベータに駆け寄る住人をみて、「開く」を押したつもりが
「閉じる」になって、大慌てです。
「こんなマークより、開閉の漢字のほうが良いのに」と、思ったりします。
でも、漢字の読めない外国人には、判りやすいのかもしれません。

今後、数年もしたら、顔文字(絵文字)は、市民権を得て、
国語審議会が、沢山ある顔文字を、統一して、標準絵文字として広辞苑に載せてくるかもしれません。
(そうなると、小学生は、覚えるものが一つ増えちゃう。大変だなー)



 <平成21年10月25日 (日曜日)雨:曇>          
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目覚めに窓を開ければ、氷雨というほどではありませんが、朝から細かい雨です。
「雨かー。このままごろごろしてようか」と、再度布団のもぐり、観るともなくテレビを見ます。
コメンテータの政治に対する諸説を、受け賜っていると、何処からともなく「ボケちゃうぞー」と、
聞こえてき、「いけない、いけない」と、軽い朝食と、体を温めるべく、朝風呂です。
そして、満腹と温まった体は、休日の出勤を求めてきます。

「踏まれても踏まれとも、立ち上がる雑草」でなく、「負けても負けても、一攫千金を夢見る」博徒なるが故、
「雨のも負けず、風にも負けず」の競輪遊びです。
最終レースを買い終え、空っぽになった財布を手に、少しばかり反省し、
「もう、今日で競輪やめた。」と、言う私に、友は「今日はやめたでしょ?」と、きり返します。
明日になれば、わかりません。確かに今日は、これ以上出来ないのです。

ポケットの中に残った小銭に触りながら、おけら街道を、とぼとぼと駅に向う身に冷たい秋風。
三夕の歌に、
「見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮」(藤原定家)
が、ありますが、さしずめ
「見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり わが身はおけらの秋の夕暮」
です。
重くのしかかった雲と空の財布は、秋の夕暮れをより悲しくさせます。

それでも単純なおばさんは、居酒屋で酒が入れば、
「ああ、今日も日本経済のために、お金をまいっちゃった」と、陽気になります。
そうです。お金は天下の回りものですから、留めておいてはいけません。
私などは、少しばかり滴ったお金でも、直ぐに右から左に回します。
今や老人が一番自由になる金を持っていると言われています。
「高度成長期に稼いだシニア達よ、お金を持ってあの世には行けません。使いましょう。日本経済のために」
このようにでも考えなければ、自分の愚かさが正当化できません。
私の、脳は都合よく出来ています。(笑い)



 <平成21年10月24日 (土曜日)曇;雨>          
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午前中は、三鷹第一小学校の子供達と、竹とんぼ作りです。
親子30名ほどの集まりですが、自分で作ったトンボで、飛ばし競争です。
一番飛ばしたのは11mも遠くへ飛ばしました。
何時もながら子供達が、自分の力でつくり、楽しく遊んでいる姿は、私を若変えらせてくれます
いや、私だけではありません。同伴してきた母親や父親のほうが、楽しんでいるようです。
息子に負けまいと、真剣にと飛ばしっこをしている姿は、何とも言えないです。




 <平成21年10月23日 (金曜日)晴>          
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今時の寒さを、そぞろ寒さと言うのでしょう。
そんな寒さを覚えながら、溜まっていた仕事を片付けるべく仕事に行きます。
お尻に火が点いていますので何とかしようと、試みますが、あっち立てればこっち立たづです。
正しく、「孝ならんと欲すれば忠ならず、忠なんと欲すれば孝ならず」で、はかばかしくありません。
(原点に帰ろう)と、頭の中を、落ち着いて整理します。
すると「なーんだ、こんな隠れた条件があったではないか」です。
疲れがどっと出て、「もうメドがたった。来週でいい」と、早めの引き上げます。

貧弱な頭を、少しばかり使ったものですから、発した摩擦熱を冷ますために、バスに乗らず
井の頭公園の中を、ぶらぶらと歩いて帰りました。
太陽があるせいかそぞろ寒さも感じず歩いていくと、池のほとりに人だかりがあります。
時間の余裕と好奇心も手伝って覗いてみると、大道芸人さんが、風船を使った芸を披露しておりました。
その語りぐさに引き込まれて観戦です。それが、結構面白いのです。
ときどき見せる手品や、音楽にあわせて風船で作る品々の見事さにびっくりします
ついつい見とれてしまいました。
でも、周りを見れば、下校途中の高校生だったり、散歩中の親子で、みんな手拍子をしたりしています。
なんと、子供からおとなまでの幼稚園のようで芸人さんの芸もおもしろいが、子供のはしゃぐすがたが、
周りの人々を和やかにしてくれます。

珍しいです。昔は、いろいろの人が、ここでバンドやマジックの芸を披露していましたのに、
最近はとんと見かけなくなっていました。防犯上の問題なのでしょう。

  彼の作品です


 <平成21年10月22日 (木曜日)晴>          
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情けない話です。
私は、いつの間にか日本人では、無くなってしまっていたみたいです。
でも、今は日本人に戻りました。良かったです。

昨日、職場の3時の休憩時間に、友人がきれいな懐紙を皿にして、
かわいいお菓子を配ってくださいました。
お菓子を食べ終え、皿の懐紙を見ればとてもきれいで捨て難くなり、
ふと、思いついたのが、「折り紙にしよう」です。
私の知っている折り紙は、鶴だけですので、早速とりかかりましたが、途中から手順がわかりません。
(悲しい!) それでも、ない知恵でいろいろ試みるが、完成しません。
仕事中の友人に聞くことも出来ず帰宅です。

例によって、碁を打ち、酒を飲んでいるとそのことを、すっかり忘れていました。
ところが、床につくと、またまた、脳裏にうかんできます。
「折鶴が出来ないなんて、お前は日本人かー」と、誰かに罵倒されているようです。
(友が、いけないのだ。あんなきれいな紙にお菓子を載せてくるから乙女心が、
 おとっと、婆心が目をさましたではないか。)と、勝手に他人のせいにして、無理矢理ちらつく鶴を消します。
「鶴一つで夜も眠れず」とは、本当に愚かなおばさんです。

昼休みに、友人から鶴の折り方のレクチャを受け、思い出しました。
そのとき、友人達は、かぶとや手裏剣を折ったりして、昼休みの一時は、にわか折り紙教室です。
その姿を見て「今日の日記は、決まった!」と、携帯で写真を撮りました。

  昼休みの作品です。
  二羽の鶴は、私の作品です。
  あとは、友の「かぶと」、太った鶴、手裏剣です。


 <平成21年10月21日 (水曜日)晴>          
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3月頃から自己満足だけの日記を書いていると、りんごの観察記録のような写真があることに気づきます。
島崎藤村の初恋を、口ずさみながらふじりんごの写真を楽しみます。

   まだあげ初めし前髪の
   林檎のもとに見えしとき
   前にさしたる花櫛の
   花ある君と思ひけり

   やさしく白き手をのべて
   林檎をわれにあたえしは
   薄紅(うすくれなゐ)の秋の実に
   人こひ初めしはじめなり

   わがこゝろなきためいきの
   その髪の毛にかゝるとき
   たのしき恋の盃を
   君が情けに酌みしかな

   林檎畠の樹の下に
   おのづからなる細道は
   誰が踏みそめしかたみとぞ
   問ひたまふこそこいしけれ

 このべたべたな詩は、言うまでも無く秋のもので、甘すっぱいりんごの香りが良く効いています。
 私は、最初と最後の部分が、一番すきです。通いつめて細道さえできた。
 それを「誰が踏みそめしかたみとぞ」と、初恋の相手に言わせています。(心憎い!)



 <平成21年10月20日 (火曜日)晴>          
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困ったことに,なりました。いやいや、あまり困っていないのかもしれません。
「なるようになるさ」の、何事も深刻にならい、ずっこけおばさんですから、「どうにかなるさ」と、
思いつつも足りない脳で一寸考えたりします。

出版社から、私の「笑うをふるまう親爺」の本が返ってきました。
どうやら、出版社の経営者が変わるようです。
私の担当者は、「既に売れた本の代金と今後の保証はできないので 、
50部増刷してお預かりした部数をお返しします」です。
律儀な人です。「何も増刷までしなくて良いのにー」と、叫びたくなりました。
手元の不良在庫も、どうやらほとんど無くなり、「後は、出版社に置いてきたものだけだ。
2,3年かければ何とかなるだろー」と、思っていた矢先です。
自分の道楽で捲いた種ですから、刈り取らなければなりません。
本当に、解のない問題を解くのは、難しいです。

それにしても、年金生活者である私には、余り感じませんが、まだ世の中は不景気なのでしょうね。
こんなことがあって、柄にもなくネットマガジンで、いくつかの政治経済評論を斜読みしました。
「景気は、底を突いた」「ニ番底がある」「民主党は景気対策をニの次にしている」などと、
情報が錯綜します。(難しい! 私の理解の域を超えている)
結局、私の行き着いたところは、「収入以上の借金までする予算で、景気は浮上するのかなー」です。
そして、他人事のように、「どうでもいい。何とかなるさ」です。

自分で捲いた種を、景気のせいにしてはいけません。
だから、これ以上のことは、評論家に任せて、秋の一こまを、愛でましょう。



 <平成21年10月19日 (月曜日)晴>          
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 めったに来ない携帯メールが、入っていました。「誕生日おめでとう」です。
 そうそう、昨日は、私の誕生日でした。「何歳になったか?」等と、野暮なことは聞かないでください。
 たとえ前期高齢者であっても、戸籍上は、一応女性です。だから「内緒」です。
 私は、まるで、お釈迦様か、イエスキリストみたいに自分の生まれた時のことを、良く知っています。

<しいな団子の誕生>
 北信濃の石ころだらけの坂道を、登っていくと、湯治温泉場があります。
 そこは、「大湯」と呼ばれる共同風呂周辺の数軒の温泉宿と百姓屋からなる部落です。
 温泉場と言っても華やかさは全くなく、南に山を背負っているために、冬などは、
 遅い日の出と早い陽の入りで、「半日部落」と呼ばれるような山村です。
 ただ、村の鎮守様の贈り物のような温泉の湯煙だけが、寒い冬の村人の心を温めております。

 私は、そんな部落の水呑百姓の六女として、昭和の戦争中に生まれました。
 私の生まれときは、未熟児に近い状態であったらしく、母が、私を見て発した言葉が、
 「こんな”しいな団子”のような児が育つのかなー」だ、そうです。
 それ以来、お産のお手伝いをしたおばさんに、小さい頃は、「しいな団子ちゃん」と、
 呼ばれることが時々あり、「名前があるー」と、泣いて抗議したことを、思い出します。

 「しいな」とは、実りきれずに終わってしまった穀類で、せいぜい家畜の餌にしかなりません。
 そんな未熟な実を粉にして、団子が出来るとは思えないが,とにかく小さくて色が黒かったようです。

 それでも、思考力は何処か抜けているが、病気ひとつ知らないで六十余年も生きてきました。
 多分、私の産湯だったと思える湧き出る温泉が、良かったのでしょう

アルコールを抜くために、産湯であっただろうの近くの湯に、
いくと掃除中でした。
しかたなく、実家より30mくらい離れた場所の風呂です。
滝のように落ちる湯で、肩をたたくようになってます
私の生まれた頃からのままで、湯船のなかの黒いのは大きな石です。
これらの風呂は、皆、無料で、24時間かけ流しになっています。
だから、夕食前後の時間帯を除けば、ほとんど誰もいません。


 <平成21年10月18日 (日曜日)晴>          
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 夕べは、子供頃の友達との再会で、飲みすぎました。だからパターンキューで寝てしまい、二日酔いの体を
 熱い風呂に入り、アルコールを抜き、昨日の日記を書いています。

 何十年ぶりかで、中学校時代の同窓生と志賀高原に登りました。
 私の故郷は、志賀高原の麓であり、子供の頃の遠足の距離です。
 当時の遠足は、本当に”遠い足”であり、下記の写真のあたりまでは、歩きです。




 <平成21年10月17日 (土曜日)曇>          
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 るんるん気分でのドライブを楽しみながら、上田で知人と別れる前に、上田城を見物しました。
 「知らなかったー」上田城は、真田家の城で、豊臣家の滅亡と同時に、終わったものだと
 思っていたのに、城主を変えて幕末まであったとはです。(下段の写真)

 知人と別れて村雨の降る中を、生まれ故郷に帰りました。
 山間の集落は、一足早い夕暮れで、もう少し寒いです。早速温泉につかり体を、暖めます。
 5時ごろ着いて、今は8時ですのにすでに、2度も風呂に入いります。
 ストーブの暖かさより、温泉の方が、全身が温まります。そしてまた、眠る前に一風呂です。
 (産湯は、いいなー)



 <平成21年10月16日 (金曜日)晴>          
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 いい陽気です。旅には、絶好です、明日から田舎に行くために、ガソリンスタンドで車を洗います。
 私の車は、今は亡き老人が名づけた「博徒カー」ですから、日頃は、めったに洗車しません。
 だって「博徒カー」ですもの”つき”を落としては、いけません。(馬鹿者、汚れもつきかー?)

 しかし、明日は、”ケンとメリーのスカイライン(一寸古いかな?)”とは、言いませんが、
 私こと「メリーおばさん」と「立派なケン紳士」が、乗る予定です。
 たまたま、私の通り道に、彼の行く目的地があったので、途中まで同行してくださることになりました。
 嬉しいではありませんか。カーナビと会話しながらの一人で運転していくより楽しいです。
 だから、事故のないように、エンジンオイルの交換です。ついでに洗車をします。
 車の中にはずれ車券や、競輪新聞が転がっていたのでは、断られれてしまいます。
 私の考えられる精一杯の努力です。(笑い)

 夕暮れ、明日の落ち合う場所の打ち合わせのために、鰻やで食事をしました、
 電話でも良いのですが、意を決して”飲みましょう”と、メールを入れると、 ”了解”の返事です。
 私の、デート?の申し込みに対する優しい返事です。
 もう、「この世にこれ以上の幸せは、ありません」と、相手のことなど関係なく饒舌とビールです。
 もっと、淑女のようにに振舞えばよいのに、愚かなおばさんです。
 でも、さわやかな秋の夕暮れが、より一層心地良くさせ、「それでいい、満足」と、納得します。



 <平成21年10月15日 (木曜日)晴>          
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 風呂からあがり、「さーて、今日は、何を書こうか」です。
 職場で議論したシステムの「フェールセーフ、フェールソフト」に、ついての持論かな?
 「馬鹿者!、そんなことを書いて誰が喜ぶ」です。
 「そうだよなー。じゃ国家社会か」ですが、私には、ポキネットの皆様のような、高尚な見識はありません。
 そうです、政権奪取後の、民主党の動きの件など書こうとすれば、飲み屋での話のようになってしまいます。
 その辺は、詳論家に任せておきましょう。私の無知がばれないように・・・

 悲しいことに、そうなると何もありません。こんな日もあります。
 凡人なるが故に、一日が、つつが無く終わりました。

 画面が少し寂しいので、台風の日に撮った大田黒公園の写真で、空白を埋めます。

左隅の奥に井筒(湧き水)があり、小川が出来ております。
写真はその小川で、水は錦鯉のいる池に流れてます。
私は、この公園に来るたびに、子供の頃
ラジオで聞いたクイズ番組「20扉」が、大好きでした。
「大田黒元雄さんー、石黒敬七さんー」のオープニングの言葉を
思い出します。


 <平成21年10月14日 (水曜日)晴>          
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 いっぱしの職人気取りの出勤です。肩には、通勤用のカバンで、右手には、真新しい工具袋を下げ、
 胸ををはって、いきようようと、荻窪駅にむかいます。
 ところが、四面道の交差点を渡れば、向こうに警視庁と書かれたチョッキを着たおまわりさんがいます。
 私は。ここで「銃刀法」違反に問われては、大変と左手に道具入れを持ち代え、
 おまわりさんの目をそらし、うつむき加減になります。
 袋の中には、鉈、鋸、ナイフ、そしておまけに小槌まであります。まさに危険物携帯です。
 「こんなおばさんが、刃物を持ってはいけません」なんて言われたら、今日の楽しみが無くなります。
 今日は、子供達と月末に実施する竹とんぼ作りの下準備で、この日のために夏休み中に、
 調達した、道具の初使いです。
 子供の頃、刃物の初使いのときは、父母がお神酒を刃物にかけていたのを思い出し、今朝は調味料用の
 酒を、かけて、安全を祈願までしての楽しみです。そこまでした楽しみを、誰にも犯されたくありません。

 新しい鋸や、鉈は良く切れました。(頭もこれ位きれるといいのになー)
 竹を切っている写真をと、思ったのですが、今みれば、うまく撮れて居ません。(ドジ!)
 やはり、切れないものは、私の頭と、ドジな性格です。
 でも、気持ちが切れるほど、感性が無いので、刃物を振り回すことがないことが、救いです。
 どどいつの
   「味噌も醤油も皆きれた。切れないものは、流しの上の包丁と君との腐れ縁」を、
 もじって「切れないものは頭と自分のドジな性格」です。

 こうして午後は、竹とんぼ教室準備の竹割り、竹切りの肉体労働と、すっぱーと割れる竹で
 ストレスを解消しました。(気持ちが切れないように)です。
 写真は、次の機会に、もっと格好よい職人になっている姿で紹介しましょう。



 <平成21年10月13日 (火曜日)晴>          
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 歳のせいか最近は、すっかり「早寝早起き」が、身についてきました。
 それだのに「春眠暁を覚えず」と、いう言葉がありますが、今朝の私は、「秋眠暁を覚えず」です。
 実は、暁は覚えているのですが、布団の温もりから抜け出せないのです。涼し過ぎる朝です。
 自然の呼び声に、思いきり起き上がり、用を済まして新聞受けを覗けば、ありません。
 (あーそうか。新聞の休刊日だ)と、再度布団にもぐりたくなるのを我慢し、
 新聞の無い物足りなさを、感じながら簡単な朝食をとります。
 私の一日は、テレビを見ながら新聞を読むことから始まります。

 新聞の休刊日って何時頃から在ったのかと、思い出してみると、確か、ずーと昔、
 「新聞少年に休日を」を、名目にして始まったように思えます。
 当時「なーんだ。体の良い口実による新聞の事質的な値上げではないか」と、憤慨した覚えがあります。
 庶民の情報源といえば、新聞とテレビしかなかったように記憶します。

 私の若い知人には、新聞を購読をしていない人が結構います。
 しかも、テレビさえ必要でないと、新聞もテレビのない知人がいます。
 彼等の話では、最近のテレビは、「面白くない。故障したついでにテレビと決別した」です。
 そんな、彼等でも私より、テレビで賑わすニュースを、知っています。
 「どうしてー」ですが、彼等の情報源は、インターネットです。
 ネット新聞、ネットマガジンで、間に合っているみたいです。

 時代が変わりました。いやもうなんと私の若い頃には、思いもつかなかった生活様式になりました。
 そして、情報は一方通行だけでなく、両方向時代になってきています。
 家族で同じ番組を楽しむのでなく、個人が、周りに関係なくパソコンに向って、好きな情報を選択し、
 発信できる時代です。



 <平成21年10月12日 (月曜日)晴>          
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 体育の日です。私は、30分おきにお金をくれる自転車の運動会に、行きました。
 競輪の友と、現場で会い「貴女も好きねー」「商売だから」等と、互いに笑います。
 嬉しいことに、競輪の友は、体調を崩したとかで、しばらく自重していましたが、復帰です。
 私達の、博打好きは、「不治の病」です。だから死ななければ直りません。

 今日の競輪場は、昨日より、賑やかです。しかも、若いカップルや親子ずれが、
 何時もより多いです。(どうして?)と、一寸考えると、わかりました
 今日は、競馬の無い休日です。競馬フアンが、競輪に流れてきました。博徒は競技は何でも良いのです
 笑い話だか川柳に、「お父さんと行く動物園は、馬ばかり」が、あります。
 さしずめ今日は、「おとうさんの運動会は、自転車競技ばかり」なのでしょう。(笑い)

 自動販売機でコーヒーを入れながら、小学校の低学年くらいの坊やと、遊びました。
 「パパと来ているの?」
 「うん、ママも」  「競輪楽しい?」  「判らない。おばーチャン楽しい」に、ガックです。
 この子からすれば私は「おばーちゃん」なのですね。
 でも、私は、ショックを抑えて答えます。「楽しいよ。仕事だからね」

 ジュースを取って離れる坊やを見ながら、両親にクレームを言いたくなりました。
 「こんな博打場に子供を連れて来るな。今から博打を、教えなくても良いだろう」です。
 「親のの楽しみかもしれませんが、もっと他に、子供の遊び場所があるだろう」と、
 複雑な気持ちになりました。(我が子の楽しみより、親の楽しみが優先かー)



 <平成21年10月11日 (日曜日)晴>          
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 秋の優しく柔らかい陽を、入れるべく、家中の窓をあけ、得意とする「四角い部屋を丸く掃く」ような
 簡単な掃除を済ませた朝です。そして、大好きな朝風呂に入り、窓越しに入ってくる陽を見れば、
 裸のまま太陽に晒したくなります。でも、ビルの連立するマンションでは、そのような、はしたないことは、
 できません。それでも、バスタオルだけ簡単に捲いて、ガラス窓を通してくる秋の陽を精一杯受けました。
 (男性なら、素裸になって日頃陽の目の見ない場所に、陽を当てられたのになー)と、
 ちょっぴりコンプレックスを覚えながら・・・・(笑い)
 しかしながら、もう何もいりません。この開放感の一時だけで満足です。

 秋の味覚を味わうと、夕暮れ、駅前のマーケットに寄ります。
 秋の味覚の代表は「マツタケ」に決まっていますが、貧乏人の私にはそんな贅沢は出来ません。
 「嘘付けー、今日の競輪代で何本も買えるではないか?」ですって。
 「まーまー、それはそれです。横に置きましょう」
 マツタケは駄目なら、栗です。行きつけの飲み屋では、調達の無理な「栗ご飯」と「焼き栗」をと、
 残り少ない有り金で栗を仕入れます。 ついでに秋刀魚と大根です。
 一人では味気ないと、友を誘って、栗の中にご飯があるような「栗ご飯」と、秋刀魚の夕食です。
 糖尿病で酒の飲めない友を無視して、一人ビールを飲み、十分秋の味を堪能しました。

 人は5つの感覚を持つと言われています。そうです、私も五感で秋を味わいます。
 視覚は、先日の実り落ちた銀杏、嗅覚は、金木犀の香、触覚は、今朝の全身で受けた陽、
 味覚は夕餉の栗と秋刀魚です。
 残りは、聴覚だけです。これが難しい。東京の交通の要所である四面道交差点に近いマンションでは、
 耳を澄ましても、聞こえるのは、車の走る音ばかりです。

 そこで、明日は、京王閣競輪場の池のほとりで虫の音を、探します。(今日のリベンジもせねば・・・)
 「良かったー」これで、2日連続の競輪遊びの口実が、出来きました。マツタケより博打です。(爆笑)



 <平成21年10月10日 (土曜日)晴>          
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 三連休の初日です。最近は、現役時代とは違ってそれほどの感激はありませんが、テレビに「三連休」
 と、言われれば、やはり少しは嬉しくなります。

 夕べ、家に帰りテレビをつけると、オバマ大統領の「ノーベル平和賞」のニュースが、飛び込んで来き、
 今日の新聞のトップ記事も同じです。
 「あれー、彼は何をしたっけー」で、一寸驚きました。
 彼の「核兵器なき世界」という絶大なる構想が、評価されたらしい。
 すなわち、立派な活動に対するご褒美でなく、「頑張れ!」という「後押しノーベル賞」です。
 世界一の核保有国であるアメリカ大統領の、「核兵器なき世界」の言葉を聴いたときは、
 「本当に出来るかなー」と、私ならずも多くの人は、眉に唾を付けながらも期待したと思います。
 多くの人々の期待を代表して、ノーベル賞委員会は、授与したのでしょう。
 「構想倒れにならないようにー」です。彼は、世界にノーベル賞と言う借金をしました。
 その借金の返済を期待します。

 詰まらない話しになってしまいました。さりとて、これといって書くものがありません。
 悲しいかな、感受性が鈍くなりました。一日終えても何も沸いてきません。
 しかし、本当に秋です。だから、何処からともなく香る金木犀の匂いには、気づきます。
 あの甘酸っぱい匂いを、子守歌にして寝ます。



 <平成21年10月09日 (金曜日)晴>          
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 これを台風一過というのでしょうね。朝から良い天気で、さわやかな秋です。
 空は青く、吹く風は少し冷たく、なんとなく気持ちを落ち着かせます。同じさわやかでも5月頃の空気は、
 芽吹いた木々の生々しい香がしますが、秋は、「いつでも枯れ行きます」と、落ち着いています。
 種の保全の営みを、成し遂げた満足感なのでしょうか。

 昨日、銀杏拾いに行く途中で、民家の軒先で珍しい実を見つけました。
 早春に、雪柳の白やレンギョの黄と共に、春を彩った赤いボケの、秋の姿です。

食べれるかと調べてみると、果実酒になるようです。
でも、名前が良くありませんね。
ボケ酒なんて、飲んだらますますぼけそー


 <平成21年10月08日 (木曜日)雨:晴>          
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 今日は、台風のことを語らずして何を語ろうか、です。
 朝から、いや、夜中からテレビは、エースナンバー18を付けて日本列島を襲撃した台風情報に
 占拠されています。エースだけあって豪速球を日本列島にぶつかってきました。ときどき竜巻のような
 変化球を投げてくるので、日本列島は、打ち返すことも出来ません。(さすが、エース番号!)

 私は、18と言う数字は好きです。何故ならば18は、私の誕生日の数字で、
 60余年も一緒に暮らしています。いやいや、こんな綺麗な理由では無いかもしれません。
 18は、「いち・ぱちのカブ」です。博打の”おいちょかぶ”では、縁起の良い数字です。
 そして競輪では、8番車が絡むと高配当のケースが多いので、私は例え無印であっても
 少し気になる選手の場合は、捨て金のつもりで必ず「1−8」を、押さえます。

 台風の話のつもりが、またまた、こんな話になってしまった。だから、飲み屋の紳士をはじめ皆さんに、
 「しのちゃんは、全てを博打に結び付ける」「博打の話をする時は、目が輝いている」などと、
 揶揄されてしまう。でも、博打は、私の十八番(おはこ)です。
 十八番とは、最も得意なものを言いますが、私は、「得意」を「好き」に、勝手に置き換えてます。

 皆さんに軽蔑されないために、ベランダに陽のさすのを見て、仕事に行こうかと荻窪駅に向かいます。
 ところが、出鼻を挫かれてしまいました。電車が動いていません。
 仕方なく、一時間くらいコーヒーでも飲んでいれば動くだろうと、近くの喫茶店で時間をつぶして、
 再度,荻窪駅です。でも、動いていない。

 ついに諦めて「今日は、沢山落ちているだろー」と、太田黒公園での銀杏拾いです。
 公園の門をくぐると、決して心地良いとは言えない、あの銀杏特有の匂いが鼻をつきます。
 沢山落ちていました。ほんの一握り(18粒?)ほど拾います。
 これで一年間の茶碗蒸しの銀杏には困りません。
 今日の収入は、台風からの贈り物の銀杏です。生活費の助けに、なります(笑い)

 ああ、台風の話が、とんでもない方向に行ってしまった。そこで、大田黒公園の写真をどうぞ。
 いちょう並木と落ちている銀杏です。



 <平成21年10月07日 (水曜日)雨>          
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 昨日の雨くらいで、職場に顔を出さないなら、今日は当然と思い、昨日本屋で、暇つぶし用の
 材料を沢山仕入れました。ところが、家に帰ってメールを開けると、「明日、出社するように」です。
 仕方なく、雨の中、重い足取りで出かける。 (こんな雨だ、のんびり本を読みたかったのになー)

 私は、最近やけに縦書きの本が読みたくなります。
 歳のせいか、横文字はもとより、日本語の横書きの本さえ読む気力が、無くなったようです。
 仕方がありません。ドックイヤーで進歩そる技術には、追従出来ないので逃避でしょう。

 神社仏閣には、見識のない私ですが、友の薦める「見残しの塔(久木綾子作)」を、読みました
 感想の一言です。
 内容は、山口の瑠璃光寺の五重塔の話ですが、さすが14年もかけて調査しての小説だけあって
 重みが違いました。 何といっても、構想十四年、執筆四年とかけ、さらに70歳を過ぎてから、
 とりかかった処女大作とかで、すごい。
 作者は、徹底した取材主義で、実際に見ないものは書かないそうで、宮大工の基本を理解するために、
 大工の弟子にさえなった、と言いますから、その執念に感服です。

 そうそう、主人公に言わせた言葉に、「心に塔を建てよ」がありました。
 (うんー、いい言葉だなー)と、私の雑嚢に入れておきました。



 <平成21年10月06日 (火曜日)雨>          
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 秋雨前線とかで、朝から雨です。雨降りは行動を鈍らせます。
 大きな仕事も一段落したのと、雨のために家でごろごろです。(ボケちゃうぞー)

 「もう、仕事を止めようかなー」です。
 今のように遊び銭を稼ぐのも良いが、クライアントの要求を聞くのも疲れたみたいです。
 気楽に働いているといっても、少しでもお金を貰っているとなれば、自ずと責任が生まれます。

 暇ついでに、三鷹SNSのサイトで皆さんの日記やコメントを読む。
 まー。なんと皆さんは真面目なのでしょう。私には、到底真似が出来そうもありません。
 博打と囲碁で明け暮れている私は、ただただ感心するのみです。肩が凝ってしまいそう。(阿呆)
 でも、そこが元来の間抜け人間の私ですから、「暇つぶしにはいいかー」と、
 適当にフィリタリングをして、楽しみます。 無償の作業は責任が無くていいです。

 新政権の、高速道路や高校教育の無償化、本当に良いのでしょうか。
 設備の補修費、人件費などの諸経費は、税金で賄われるから、大丈夫でしょうが
 「サービス低下にならないだろうか」なんて、考えたりします。
 利用者の立場からすれば「ただほど高いもの」に、ならないようにです。
 いやいや、大丈夫でしょう。ポキネットの皆さんのように、日本人は真面目ですし、
 それに、政府は、大所高所から状況をコントロールするでしょうから・・・



 <平成21年10月05日 (月曜日)曇;雨>          
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 天気予報どうり、午後からは雨です。

 仕事の憂さを忘れるように、笑って終えました。
 飲み屋で例のお天気キャスターを見ての喜びが終わると、常連が、他の局にチャンネルを回し、
 そのテレビ画面を見ながら、女性の話になる。来たばかりで、未だ酔っていないはずの老紳士は、
 「男が、女性を見るときは、何処から見るか」などの話になります。
 彼の説によると「足が最初でそれからお尻や胸に目が移る」のだそうです。
 「あれ、胸や顔じゃないの?」と質問すると、彼は、「特に足首を見る」です。
 周りの男性軍も「そうだよなー、キューと閉まった足首がいい」「僕も女房の足に惚れた」です。
 私は、あまり聞かない話ですので、「へー、足首、どうして?」と、呟くと、
 隣の常連は、「閉まりをね・・・」と、軽く答えます。(ふむふむ納得)
 こんな、彼の漫談のような女性論に、皆は、「男は単純だねー」「女が、男の何処から」
 「お尻だ」などと、話が盛り上がります。

 この飲み屋では、めったに無い珍しい話題ですが、嫌らしくなく極端に落ちないのが、いいです。
 笑いがあって、決してセクハラなんて言えません。
 こうしていつも、老紳士の提供する話題は、面白く酒を美味しくさせます。
 (彼の、80年弱のキャリアのなせる技かなー) 老いて”より明るく楽しく”です。

 最後にお断りしましょう。
 土曜日の中秋の名月の文で「花に嵐」と書きましたが、正しくは「花に風」です。



 <平成21年10月04日 (日曜日)晴>          
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 心地良い朝の目覚めです。
 表は、既に太陽が昇り、狭いベランダに秋の陽があります。おまけに休日です。(幸せ!)
 いやいや、今朝は、こんな生易しい”幸せ”ではすみません。

 高額配当を得た時の用意に、大きな風呂敷を持って、しかも、ボデーガード付きでの競輪遊びです。
 京王閣競輪に向う車の助手席に、体格の良いイケメンの若い男性がいます。
 高額な配当を得た時に、競輪場で柄の悪い人たちに襲われては大変でから、ガードマンが必要です。
 そのためのガードマンとして、昨日、碁仇の一人が同行を申し出てくれました。
 (これが、幸せで無く、他に何があろうかです。)(笑い)
 でも、「彼の弱気な碁風からガードマンとして大丈夫かな」と、一寸気になりますが
 「その位は我慢しよう」です。贅沢を言っては、博打の神様に嫌われます。

 そんな訳で、るんるん気分での競輪です。
 今日は、京王閣主催のレースと、観音寺競輪の場外レースの二重の賭けです。
 どちらか一方にすれば良いのに、賭けないで観戦することは、出来ない博徒ですから、
 20レースも楽しむ羽目になりました。だから、検討する暇もなく、忙しく買いまくります。
 最初など、京王閣のつもりで買った車券が、観音寺であったりです。(爆)
 博打は、不思議でそんな車券が当たりました。それも結構な穴です。

 さて、今日の決算です。その間違え車券が、功を成して、大した損がなく終わりました。
 ただ、折角のガードマンが出る場面がなかったのが残念です。
 帰りの車の中で、「大きな風呂敷も、ボデーガードも必要でなかったね」と、笑います。
 こうして、博打を楽しんだ後は、”立待ち月”を、車窓から見て、ちょっぴり風流な気分になります。
 朝は、太陽を拝み、昼は、青年と博打に戯れ、夕暮れは、月を愛でた幸せ一杯の休日で、
 後は、ほろ酔い加減で眠るだけです。(お休みなさい)



 <平成21年10月03日 (土曜日)晴?>          
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 東京オリンピックは、やっぱり駄目だったようです。
 考えてみれは、順当な結果のように思えます。南米での初の開催なら、納得です。
 ブラジルだって、経済成長の著しいBRICs(ブリックス)の国です。
 丁度ブラジルの経済状態が、過っての日本の東京オリッピクの時と同じなのかも知れないと、
 貧しい知識で考えたりします。

 中秋の名月というのに、お月さんが見えない。私の、「日頃の行いが悪いのかな」と、
 碁会所から、帰る時、空を見上げますが、雲の陰なのか、ビルのせいか見えません。
 「花に嵐、月にむら雲」の、例えのように、「ちょっと明るくなったなー」で、見上げれば
 雲の合間より、月が顔を出していました。そして直ぐに隠れてしまいます
 中秋の名月だからと言って、団子もススキなく、空を見上げるだけですが何だか嬉しいです。
 一年ぶりに恋人に会うみたいです。(笑い)

   めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
      雲がくれにし 夜半のつきかな  (紫式部)

 今日の月は、「あ!見えた。」と、思えば直ぐに雲隠れです。
 これも「また、楽しからずや」です。



 <平成21年10月02日 (金曜日)雨>          
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 私ってなんてドジなのでしょう。60余年も付き合っている自分でありながら、ほとほと呆れます。
 もう、こんなドジな人間とは、付き合いたくありませんが、さりとて別れることは、出来ません。

 今日は、本当に周りの人に迷惑を、掛けてしまいました。
 午後は、月一回の三鷹いきいきプラス囲碁会です。
 既に四回目になり、参加者は、少しづつ囲碁の面白みを、判ってくださいました。

 ここまでは、気持ちよく過ぎたのですが、その後が、ドジの始まりです。
 夕刻より、囲碁会の世話役の彼女の誘いで、三鷹市SNS(Social Networking Service)グループの
 懇親会に参加しました。
 少し酒が入り、余興の山伏神楽の舞が始まったとき、写真を撮るために携帯電話を取り出そうとすると、
 電話がない。さー大変です。最後に使ったのは、職場です。
 時計を見れば、残業時間帯なので急遽職場まで、タクシーで戻ります。でも、そこには無い。
 では、囲碁会かと再び、営業マンの車で懇親会の市役所まで戻り、彼女に囲碁会の建物の鍵をです。
 彼女は、自転車で探しに行ってくれました。彼女の市役所で「待っていなさい」の
 言葉も聴かず、その後をタクシーで追いました。
 彼女が、何回か電話をしたら、男性が出たそうで、在り処が判明しました。狐久保の交番です。
 何処かで落としたらしい。あんなものを落とせば、音がするはずだのに気がつかない。(ドジ)

 「ボケが始まったのかなー」なんて、のんきなことを、言っている場合ではありません。
 彼女の折角の楽しみを、台無しにしてしまいました。本当に悪いことをしました。
 交番に届けて下さった方、ありがとう。そして、彼女ありがとう。
 せめてものお詫びに、これからは、SNSサイト(愛称:ポキネット)に参加して、
 皆さんの目指す「誰でも、何処でも」の、ユビキタスに協力します。



 <平成21年10月01日 (木曜日)晴>          
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 都民の日です。私も都民ですからお休みです。
 いや、都民のためでなく間借り先の会社の創立記念日での休日です。
 世の中の人が、働いている時に休日とは、なんと爽快なことなのでしょう。
 おまけに、10時頃から太陽も顔をだします。(ヘッヘヘ、羨ましいでしょう)

 10月1日は、下期の初日、衣替え、赤い羽根と暦にない1年の区切りの日です。
 ちょっとした用事で、久し振りに新宿のノッポビル街まで行きました。
 このところ、ほとんど都心のオフィス街には縁のないので、訪ねるビルが判らなくなり、
 「あれあれ此処だったけー」と、迷子になってしまいました。
 パターン認識の私ですから「確かこの辺だった」で、ビルを見上げてから決めるしだいです。

 用事を済せ、エレベータに乗ると、丁度昼休みの時間帯であり、食事に行くらしいグループと
 遭遇しました。
 女性軍は、「衣替え」とは、関係なく、胸元を広く開けてシャッツの上に、薄手のジャケットですが、
 男性は、キチンとネクタイをしております。「クールビズ」は、終わっておりました。
 (男は、なんって律儀な動物なのでしょう)と、思いながら、ビルから出てくる人を見渡せば
 やはり、同じような風景です。衣替えの日です。しかも、赤い羽根を付けているのも男性の方が多い。

 帰りは、ヨドバシカメラに寄りパソコンまわりの小道具を買う。
 久し振りの、ビジネスマン風景におばさんの脳は、刺激されたのか、疲れを覚え、荻窪駅をおりる。
 「疲労回復のために、大田黒公園で、銀杏でも拾うか」と、歩いていると、碁仇に会い、そのまま
 お決まりの碁会所です。
 

 <平成21年9月30日 (水曜日)雨>          
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 9月の最後の日です。朝から雨が”しとしと”と、降っていました。

 天候が優れなく、そして仕事でどんなにいらついて居ても、飲み屋で常連と笑っていると、
 昼間の鬱など吹き飛びます。
 隣の老紳士は、「この歳だから、笑って1日が終わるに限る」と、言います。
 そうです。笑いのあるたわいもない会話は、酒をよりおいしくさせます。

 今日も、9月の最後に相応しく笑いました。その一つです。
 私の飲み屋では、7時半のNHKの天気予報は必見です。
 他にどんな番組があっても見ることは、許されません。
 あの、お天気キャスターの半井小絵さんの最後の”ちょっこ”とお辞儀するのを見るためです。
 今日など、アップで映されるれたものですから、大変です。
 ほんの一寸前までは、ママから頂いたチベットの仏像の写真で、難しい文化論をしていた
 隣の老紳士も、尊敬する紳士も、手をたたいて喜びます。
 そして「良かったね」「今日は幸せだ」「今日のギャラは高いのかな」と、皆で笑います。
 どうやら、他局の女性キャスターにない彼女の自然な振る舞いが、好感をもたらすらしいです。
 日頃は、真面目な顔をしているいい歳をした男性の喜び姿は、シャッターチャンスだったかもしれません。

 そうそう、話は変わりますが、サーバの名誉のために断っておきましょう。
 明日10月1日は、このサーバの薮入りです。ビルの電源系統の定期保守日です。



 <平成21年9月29日 (火曜日)曇>          
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 もう、9月も終わりです。灰色に塗りつぶされた空の下で、つつがなく一日が終わりました。

 「知らなかったー、そんなことってあるんだー」です。
 先日、知人から「僕の闘病記録です」と、彼の書いた本を戴きました。
 「そろそろ感想の一言くらいメールしなければ」と、ぺらぺらと読み始めました。

 内容は、彼が死の宣告を受けて、社会復帰するまでの闘病ドラマでした。
 書評など書ける私ではありませんが、ただただびっくりです。
 骨髄移植で、血液型が”A”型から”O”型になってしまったらしいです。
 私は、血液型も指紋と同じように生まれたときから死ぬまで、変わらないものだと思っていました。
 しかも、完全に”O”型になるまでは、混合状態だそうです。

 血液型で性格が判るとか、血液型占いなどありますが、性格も変わってしまうのでしょうか。
 私は、このようなことを余り信じませんが、「以前よりおおらかになった」と、聞けば、
 頷きたくもなります。単純なおばさんです。
 なにやら、推理小説のネタになりそうです。



 <平成21年9月28日 (月曜日)晴>          
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 あれ鈴虫が鳴いている
 チンチロ・チンチロ・チンチロリン

 どんぐりころころ
 どんぐりこ

 仕事を少し早めに切り上げ、昔の会社の同僚を訪ね、懐かしい終業ベルに追われて、
 夕暮れの井の頭公園をぶらり・ぶらりと歩いて帰りました。
 カラスの鳴く声に混じって、虫の鳴き声が、聞こえます。
 そして、公園の木々は、まだまだ秋色にはほど遠いですが、あのむせるような生々さはなく、
 足元には、どんぐりを落としておりました。
 音感の乏しい私ですから、松虫も鈴虫も区別出来ませんですが、
 虫の音色やどんぐりを見れば、やはり秋です。

 食欲の秋です。私の秋は、文化とか運動でなく食欲が一番似合います。
 だから、飲み屋で隣の豆腐のお兄さんが、注文したお新香を間違えて食べてしまいました。(阿呆)
 だって、ママが、私の前に出すから何の疑いもなく、手を付けてしまいました。
 でも、お兄さんは優しいです。笑いながら一緒に食べてくれました。
 お兄さん、ごめんなさい。飢えたる間抜けなおばさんをお許しください。
 そして、楽しいお話ありがとう。私の胃袋は、十分満足しました。



 <平成21年9月27日 (日曜日)晴>          
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 私は、おまわりさんと学校の先生が、とても怖いです。
 何も悪い事をしてないのに、何故か幼児のように、おまわりさんが怖いです。
 車を運転したり、道を歩いていた時に。あの「police」と書かれた自動車を見ると、
 「ドッキ」として、なるべく近寄らないようにします。
 それだのに、今日などは、交通安全週間とかで、街の角々に「警視庁」と、
 書かれたチョッキを着たおまわりさんが、立っております。
 「私は、何も悪いことはしていないー。そんな真面目な顔で見回さないで」と、心でつぶやきます。
 だから、いつもは、家から出た四面道の交差点を渡るときは、車の来ないのを確認して、赤信号でも
 ゆうゆうと渡っていたのに、今日は、じーと我慢して青になるのを待ちます。
 交差点の向こうで、おまわりさんが、こっちを見ていますもの、
 「おい、こら!」なんて言われたくありません。

 途中で何人かのおまわりさんを見かけますが、目を合わさないように、小さな体を
 より小さくして、碁会所まで行きます。
 ところが、私が強い相手から指導碁を受けていると、元学校の先生がやって来て、
 私達の碁を観戦します。そして、昔の商売の癖が出てか、私の手を注意します。
 (私は、私なりに考えている。ほっといてくれ)と、言いたくなります。
 しかし、私は、先生は怖いのです。先生は恐れ多くて、何も言えません。

 小さい時、いたずらをすると、「おまわりさんに連れていかれるよ」「先生に言い付けるよ」と、
 言われていたことが、この歳になっても有効みたいです。

 

 <平成21年9月26日 (土曜日)晴>          
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 いつもの生活パターンに戻りました。いいえ、強引に戻しました。
 土曜日だと言うのに「怠け者の節句働き」です。
 溜まっている仕事を少しでも消化しようと、居候先の会社が営業日であるのを幸いに
 職場に顔を出しました。

 午後、竹とんぼの会合に参加し、早くも正月用の「門松作り」の話です。
 「竹の準備?」  「松の準備?」と、少し気が早いようですが、毎年子供達が、喜ぶので今年も竹工作の
 一つとして 実施する予定です。
 ボランテアと言えでも、準備を怠っては、折角の皆さんの楽しみが台無しになります。
 十分な準備と段取りが必要です。だから12月は、「竹取り物語」で忙しくなりそうです。

 それに比べれば、私の今の仕事のやり方は、なんとズサンなのでしょう。
 今日なども、あまり、考えずに仕様変更に答えようとするから、「もぐらたたき」のように
 ”あっちを立てれば、こっちが立たず”です。
 準備不足にちょっぴり反省!



 <平成21年9月25日 (金曜日)晴>          
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 帰ってきました。
 「ああ、楽しかった」、いや「ああ、疲れた」、それとも「ちょっと寂しかった」そんな気持ちのまま、
 畳の上で、大の字になっての旅の総括です。

 <その1>
 時代の流れか、政治のせいか判りませんが、地方都市の寂れていく姿を垣間見たような気がします。
 新幹線の出来る前は、熊本第二の都市であった八代市が、本当に静かな街になっていました。
 だから、以前は博多ー鹿児島間の特急列車も止まった、友の住む佐敷駅などは、
 早朝と夕刻は無人駅になり、静かな街になってしまっていました。
 新幹線は、忙しいビジネスマンのために、トンネルまたトンネルの山の中を走り、中間の小さな
 農漁村は、置き去りにされているように感じました。

 <その2>
 本当にショックでした。私を駅で迎える友を見たとき。「あれ! 痩せた」と、びっくりです。
 「どうしたの?、痩せた?」
 「うん、ちょっと数年ほど前に大病をしてね」と、静かに答える。
 理解できました、2年ほど前から、東京に来なくなった理由だったのです。
 彼女の話によると、数人いた従業員も一人にし、廃業も覚悟しているようです。
 二人で、「お互いに前期高齢者だからね」と、笑ってみましたが、
 「もう、いつ発作が起きるかと心配で、長時間運転も、長旅も無理なの」の言葉に、
 私の頭は、「ガツーン」と殴られました。
 今朝、別れ際に彼女の、「元気貰った。ありがとう」という言葉に。「来年も来るからね」と、
 答えてみるが、私も何時どうなるか判らない年齢です。(寂しい)

 熊本で、少し時間がありましたので、見納めになるかも知れない、熊本城を見学しました。