思 う が ま ま に(平成21年7月)

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平 成 2 1 年 7 月


 <平成21年7月31日 (金 曜日)晴 >          
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 人間も動物です。体を動かしていなければ、駄目なのです。今日は、本当に思いました。

 朝から背中のはりと、やけに体が重いです。
 とにかく、昨日からの予定していた医者に、薬を貰いに行きました。
 行きつけの医者ですから、受付の女性とも顔なじみです。
 彼女は、「今日は、薬だけにする?」と話しかけましたが、「いや、診察です。」と、答える。
 私の主治医は、若くて好男子です。お会いしない訳は、ありません。(医療費の無駄使い?)
 旨くいけば、「脈を取る」とか言って私の腕を握ってくれるかもしれないです。(笑い)
 そんなチャンスを逃しては、神の情けに反します。
 先生は、血圧を測り、「今日は高いですね。もっと強い薬にしますか」と、私の様子をみます。
 「いえ、真面目に飲みますので」
 「じゃ、何時もどうりに・・。肩こりしてますか」
 私が、無意識に、首を回したりしたのでしょう。「はい」の返事のみです。
 「先生が、揉んでくだされば一発で直ります」と、答えようと思いましたが、
 そこは、良識ある私ですから我慢します。ここは飲み屋ではありません。
 でも、イケメンの先生に会ったからと言っても、物理的な苦痛は除けません。

 髪の毛を切れば、少しは良くなるだろうと、次は、美容院です。
 それでも駄目です。とにかく、背中のはりだけは、なんとかしたい。
 そこで思いついたのが、ゴルフの練習です。

 暑い中、精一杯体を動かし、汗をかいたら体がだいぶ軽くなり、
 時より、発生していた偏頭痛も無くなり、風呂上りにはビールを飲みました。
 やはり、私の薬は、「水と体操」です。動物ですから・・・


 <平成21年7月30日 (木曜日)晴 >          
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 面白い物をみつけました。
 かかわりのない人には、決して面白いとは言えなくても私には、面白かってのです。

 仕事の合間に、いや、寝不足から、睡魔が襲いネットで眠気覚ましに遊びをしました
 ちなみに、私の夕ご飯の面倒を見てくれる「荻窪、田中屋」で検索すると、いくつか出てきました。
 ママは、典型的な「ローテク」人間ですから、店の宣伝では無い事は、はっきりしています。
 「昔酒場でくつろぐ」等と、昭和の酒場の雰囲気を紹介してありました。
 そこで、その雰囲気の一部を借用します。

 店は髪を頭のてっぺんで団子に結った女将さんがひとりで切り盛りしている様子。
 先客は店の一番奥にひとりのみです。・・・・(略)
 奥の男性ひとり客は魚やおひたしを食べ終えて、そろそろとシメに入るようです。
 「今日はアサリ汁ある?」と問う男性に、「今日はないのよ。シジミ汁はできるわよ」と女将さん。
 「じゃ、シジミ汁をもらおう」という注文に、それからシジミ汁が作られはじめます。
 できたての味噌汁もうまいですよねぇ

 こんな文章があったかと思えば、メニューの値段がズラりとあります。
 これからは、私もこの値段より高かったら文句が言えそうです。印刷してカバンに入れて置こうかな。

 私もこの店が、何時頃からあるのかを知りませんが、檜の一枚板のカウンターからすると相当古いです。
 そして、常連客が多いので、背中に背負うキャリアに関係なく、会話を楽しみながら飲めます。
 今日なども、高尚な日本文化の原点の話などに花が咲いたかと思えば、「艶話」になったりします。
 ネットにあった写真を借用しようと思いましたが、止めておきます。 いずれかの機会に・・・。


 <平成21年7月29日 (水曜日)曇 >          
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 少し大袈裟かもしれませんが、私は、とうとう倒れるかもしれません。
 このような眠れない夜が続くと、長年の経験から、血圧が極度に上がっていそうです。
 恐ろしさの余り測ることが、出来ないでいましたが、意を決して測りました。
 やはり、下の血圧が、90を越えるといけないと、言われているのに、3桁の数字です。
 不眠の原因はこれでしょう。私は、熱気味などと体が異変を訴えたときなは、「測ってみても直らない」
 と、計測をしません。だって、私は、医者で無いので、数値の有効利用はできません。
 本当は、結果が怖いのです。

 数値で事象を表現するのは、曖昧な言語データ等をビジアル化する、プレゼンテーション技法の一つです。
 「高額な借金がある」と、言うよりも、「1000万円の借金」の方が、判り易いです。
 まして、私の商売などは、システム化の対象物を、「0,1」に落とし込む必要がありますので、
 事象の数値化は、大切な手段です。

 しかしながら、日々の生活は、数値化されたデータだけでは何も出来ません。
 計測されたデータは、その時の1事象です。
 すなわち、連続して動いているもを、静的に切り取ったもので、ある意味では死骸です。
 人間はもとより、政治や経済も生き物ですから、データだけを頼りにした診断はいけないのです。
 医者であるならば、患者の顔色や言動から、政治家であるなら、時の動向を観察し、
 総合的に所見を導きだします。そして、診断し、対応します。データは参考資料です。
 これが、的確であればあるほど名医であり、有能な政治家ではないでしょうか。

 自分の体調不良から、とんでもない話になってしまいました。
 また、私の医者に笑われそうです。毎日の血圧結果を持参するのですが、数日欠けていると、
 「旅行?、それとも体調不良」の問いに、「測ったって直らないもん」と答えると
 変なおばさんという顔つきで笑います。

 最後に、日記だから、今日のイベントを書いておきます。荻窪の囲碁仲間と「暑気払い」をし、
 「晩節を、楽しみましょう」と、1日を閉めました。

 
 <平成21年7月28日 (火曜日)曇 >          
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 最近は、早寝早起きがすっかり身に付いていたはずでしたのに、どういう訳かここ数日
 なかなか寝付けません。暑いわけでもないのに、何かに脅えているのか、興奮しているのか判りませんが、
 寝付けません。東の空が、明るくなる頃から、ほんの一眠りの日が続きました。

 寝不足の上、職場の冷房が故障してしまい、修理中とかで、蒸し暑く、睡魔が襲ってきます。
 冷房のきいている、「工場棟」の人から、トラブル対応の依頼でもないかと期待するが、
 皮肉なもので何もないです。
 仕方なく、早めに切り上げ、いつもの雑談会メンバーの待つ喫茶店に向かいました。

 そこには、久しぶりの友がいました。無事日本に戻ってきました。
 彼は4か月弱の世界一周のクルージングを、楽しんでのお土産話を沢山持ってきました。
 私は、少し興味がありましたので、「囲碁を楽しめますか」「カジノは?」と、色々尋ねていると、
 傍らで聞いていた友は、「競輪を数ヶ月我慢すれば、行けるよ」と、冷やかします。
 昨日も「1回競輪に行かなければ、海外旅行が出来るのに」と、言われた気がします。
 どうも、世にいう善良な市民から見れば、私の博打で使う金が、馬鹿げており、無駄に思えるらしい。

 しかしながら、羨ましいと思いますが、私には、よほどの事が無い限り、博打を止めれないでしょう。
 博打で田畑を無くした、祖父の隔世遺伝であり、それが私の人生です。
 それにしても、昼間は「眠い」と思ったのに、今は、眠くありません。どうなっちゃったのかなー。

 
 <平成21年7月27日 (月曜日)晴:雨 >          
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 有難いことです。幼稚で抜けている私を、皆さんが助けてくれます。
 夕べ、眠れないまま、数日の自分の行動を思いめぐらせました。

 私の若い頃は、情報を得るためには、自ら行動し、取り行かなければなりませんでした。
 それは、欲しい情報は何であるかと意識しなければ、得るものは何も無く、
 知識や感情の雑嚢を肥やすことが出来ないことを意味します。
 しかし、最近、情報は、向こうから本人の意思にかかわらず飛び込んできます。
 それも昨日今日の西日本の集中豪雨による土砂崩れのように、「どー」と、押し寄せてきます。
 だから、その押し寄せる情報を、如何に取捨選択するかが重要であります。
 それには、明確な問題意識が必要になりますが、昨今の私の脳は空っぽで飢えているにもかかわらず、
  「何が欲しい」という明確な意思が無いために、折角の情報を取得できません。
 ただ、生来の楽天家ですから、押しつぶされないことだけが、救われます。

 先日、尊敬する紳士から、1冊の本を渡されました。
 どうやら、会話の中で「読んでみたい」といったことを覚えて下っていたようです。
 私のたわいもない話の中から私が欲しているだろう情報を察しての厚意です。
 しかも、渡されたときの言葉が、「趣味を強要するつもりがありませんよ」と、付け加えてです。
 また、一方では、最近の政治・経済についての知人達の長文の考察メールが届きます。
 何も、返事をしなくとも、生きる証のように私に問い掛けてきます。
 これも、長年の付き合いからの好意による、「情報選択の材料」にしなさいなのでしょう。

 私は、彼等に同化するつもりは、更々ないが、平均寿命まで生きるとすれば、あと20年あります。
 その長き歳月を退屈しないで済むようにしなければなりません。
 ずっこけながらも、友人達の助けを借りて、上手く情報を選択し、そして情報を発信していけそうです。
 そうそう、紳士、まだ読み始めですが、結構興味深い本です。


 <平成21年7月26日 (日曜日)晴 >          
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 私は、ここ数日金持でした。コガネムシのように蔵が建つほどではありませんが、
 あぶく銭としか言いようのない程度のお金でも、うきうきして使いたくなります。
 何故かといえば、先日、本も売れたし、その上、少ない配当金を換金しました。
 貧乏人の悲しさか、財布が少し膨らめば、使わない訳にはいきません。
 だから、そのお金を持って競輪場で、何時もより、気持ちを大きくして賭けます。

 不思議なもので、ゆとりがあると、感が冴えるのか、よく当たり、連戦連勝です。
 ところが、最後の2レースになった時、「儲けをもっと増やそう」と、
 儲けていた金を全部突っ込みました。それは、私としては始めての投資です。
 信念をもって臨みましたが、私の読みでは、決して警戒しあう相手では無いのに、
 レースのあやで二人は接触ぎみで減速です。
 これで儲けは全部無くなり、残り1レースです。
 まだ、元本は、手元にあると、最終レースに、1番人気から3番人気まで思いきり突っ込みます。
 残り30m位までは「とった!」思ったのですが、予期しない選手の突っ込みです。
 これで全て「パー」です。やはり、最終レースに当たらなければ金は持って帰れません。

 そもそもは、自分の資本金の5割近くも、儲かっているのですから、その儲けを維持すれば良いものを
 更に、数倍近くにしようとした邪心がいけないのです。
 その上、失敗すると、その儲けを取り戻そうとした、さもしい気持ちに対して、神の戒めがあったようです。

 「金は天下のまわりもの」ですから、日本経済のために、ささやかですが、回してきました。
 いつもの、競輪の友はいませんでしたが、吉祥寺の社長とも会い、好きな競輪を楽しんできました。
 競輪は博打でなく、遊びです。負けても「ああ、一日楽しかった」と、思えればこそ明日があります。


 <平成21年7月25日 (土曜日)曇:晴 >          
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 久しぶりの太陽のある日でした。

 たった一つ、何時もの休日の行動パターンと異なるだけで、何かに追われているみたいで、
 気持ちだけが急ぐが行動が伴いません。
 そんな矢先に、プリンターのインク切れです。
 相当以前から、警告はあったのですが、けちな私ですから、使いきるまでと放っていました。
 スペアの準備もせずですから、たまりません。急遽買いに行くはめになりました。

 現役のころは、「仕事は段取りが、7、8割である」と、若い人などに指導していたことが恥ずかしいです。
 自分の事となると、どうしても段取りを考えずに「いきあたり、ばったり」となります。
 ほんとに、作業は段取りをキチンと決めて置かないと、手戻りや、思わぬ事態に遭遇し、
 貴重な時間を浪費します。
 多分、手際の良い奥様の料理手順なども,十分な「段取り」があってこそなのでしょう。

 そんな訳で、お尻に火のついていることだけを完成させ、またまた得意の先送りです。
 先送りしなくとも,午後も作業を続ければ良いのですが、  精神衛生上良くないと、、
 勝手な理由で囲碁にでかけます。
 気持ちの何処かに、「どうしよう」と、あるのですが、結局、「どうにかなるさ」です。(笑い)
 そして、最悪は「ごめん、どうしても出来なくて」と頭をかきます。

   歳をとれば、自分の非を適当に正当化する手法も身についてきます。
 子供の頃は、そのような大人は嫌いでしたが、今は、自分がそうなっています。(哀れ)


 <平成21年7月24日 (金曜日)雨 >          
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  気象庁の梅雨明け宣言が早過ぎたようです。ここ数日は、梅雨明け前の荒れ模様の天気です。
 西日本の豪雨災害などを見ると、例年の梅雨明け前の日本列島の姿です。
 もっとも、気象庁を恨んでも仕方が有りません。ずーと昔、聞いた話ですが、
 「気象庁は運動会を開催しない」そうです。
 それは、運動会を開催した日に「土砂降り」の雨で、マスコミに冷やかされたとかです。
 本当かどうかはしりませんが、「さも有りなん」と頷けます。

 夏の土用は、農作物にとっては、大事な時期です。稲は穂をだし、くだものは、暑い夏の太陽で
 甘みを蓄えます。
  でも、今日の長期天気予報によると、もしかしたら今年は冷夏になりそうだとのことです。
 気象庁が、運動会を出来ない位なら良いですが、百姓の生まれである私には少し心配です。

 やはり、夏は暑く、子供達は海、山と遊びまわり真っ黒にならなければ、私の年金が大丈夫かと
 心配になります。
 下の写真は、私達の竹とんぼ教室の1場面です。


 <平成21年7月23日 (水曜日)曇 >          
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 戻り梅雨でしょうか、あまりはっきりしな天気です。
 午後三鷹いきいきプラス(三鷹市高齢者社会活動事業マッチングいきいきプラス)の総会に参加しました。
 そこで、簡単な挨拶と乾杯の音頭をしました。やはり、私の半分は、三鷹住民です。
 総会では、折り紙をしたりで楽しく過ごし、その後は、シニアSOHO初代理事長の主催する宴会です。

 色とりどりの折り紙で、鶴や羽ばたく鳥などを折るのも結構楽しく子供に帰りました。
 また、後半の宴会では、久しぶりに竹とんぼに出会い、またまた子供です。
 もう、しばらく竹とんぼを作っていません。また、始めようかな?
 この日記にと、写真を撮ってきたのですが、宴会の様子ばっかりです。(阿呆)

 時間のたつのも忘れた、心は、童(わらべ)で、顔は赤いおばさんです。
 そのどちらも私には、間違いありません。

 私も抜け目ないです。
 絶好のチャンスとばかり、本を10冊ほど売ってきました。(ちゃっかりしてる!)


 <平成21年7月22日 (水曜日)雨:曇 >          
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 私の周り人はすべて、にわか天文学者になりました。
 特に飲み屋の会話は、酔った勢いでひどい。カウンターの調味料を使って太陽・地球・月の動きを話す
 突如、天動説のように太陽が地球の周りを、回ったりします。
 横に座る冷静な紳士は、それを笑いながら、「違うでしょう」と、正したり大変です。
 そんな訳で、私もご多分に漏れず一日かぎりの天文愛好家になりました。
 東京では、見る事の出来なかった天体ショーであっても誰もが、テレビ映像で楽しみました。

 私は、何回も屋上に出て、小雨の空を見上げました。
 日頃の行いのせいか、それとも「つき」がなかったのでしょうか、46数年ぶりという黒い太陽を、
 見ることは出来ませんでした。
 きっと、神は、私の周りには、アマテラスオオミカミのような、名演技者がいないので、
 月も太陽も雲という「どん帳」で覆ってしまったのです。
 「もどり梅雨」という味のある言葉も、今日ばかりは、憎らしいです。

 私は、しかたなく携帯の1Segの実況で、仕事を放って楽しみました。
 ダイヤモンドリングも素晴らしかったのですが、私は、コロナと呼ばれる現象にびっくりです。
 あの、ぽつん、ぽつんと出た湿疹は何かと思えば、
 飲み屋での知人の話では、太陽が燃えている炎だとかです。本当に燃える太陽をみました。

 一方、24時間に夜が2回あったのです。今が、盛りの朝顔や夕顔の花は、忙しかったでしょうね。
 生意気ですが、私から労をねぎらいます。「お疲れさまでした」


 <平成21年7月21日 (火曜日)小雨 >          
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 一般に梅雨明け10日は暑い夏のはずですが、今日は小雨の1日でした。

 これを語らなければ、日本国民でないと言われそうですので、書きます。
 「やっと」と言うか、「ついに」と言うべきか、麻生さんが、解散宣言をしました。
 解散には、「ばかやろー解散」「郵政解散」と色々命名されますが、今度の解散は、
 「やけぱっち解散」と呼ぶべきでしょうか。

 マスコミをはじめ皆さんは、麻生総理をいじめますが、こうなると天邪鬼な私は、擁護したくなります。
 「ぶれるぶれる」と言われた彼でしたが、「自分の手で解散する」の信念だけは貫きました。
 ただ「天下の宝刀」が、少し錆付きかけた頃だったのが残念ですが、とにかく、
 彼は解散のために総理になった人ですからそれだけは守りました。

 これは、判官贔屓では、ありません。判官贔屓にするには、私なりのイメージとは違います。
 私の考える判官贔屓は、次の条件を満たしていなければならないのです。
 (1) その道で優れた才能を持っていなければならない
 (2) 義経に対して頼朝のような強力な相手が必要です
 (3) 悲劇のヒイローでなくてはならない
 (4) 毛並みが良い
 麻生さんは、「毛並みが良い」は満たしているかもしれませんが、他の条件を満たしておりません。
 よって、私なりの判官贔屓には値しないのです

 いずれにしても、選挙は40日後です。国民を第一に考えた政治になって欲しいです。


 <平成21年7月20日 (月曜日)晴 >          
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 このような日も結構よいものです。
 いつもは、休日と言っても、「それ競輪だ、友人に会うのだ」とせわしく時間追われているのに、
 何の予定も無く一日がはじまります。
 それこそ、何か忘れていたものを思い出したような、外部の喧騒を他所に、のんびりしておりました。

 パンと牛乳との軽い朝食のあと、日頃の掃除の行き届かない本棚などを簡単に整理し、
 「つん読」になっていた本を読み、買い物をしての午前中であり、午後はお決まりの碁会所です。

 でも、私には碁があって良かったです。これからはこんな日が、増えて来るのでしょう。
 サルトルの言葉だったと記憶しますが、「人は常に未来への選択を強いられる。
 それ故に、自由は重荷である」とあります。
 そうかも知れませんが、何人にも急かされない自由の日も重荷でないことに気づきました。
 「ねばならない、しなければならない」の生活に、少し、疲れを覚え出したのかな?

 
 <平成21年7月19日 (日曜日)晴 >          
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 寂しくなりました。競輪の友からの電話です。私は、当然行くものと思っていたのに、
 「しばらく、競輪は出来ない」との連絡です。

 少し体調を崩したとかですが、年齢も年齢ですので、気になります。
 こうして、私の周りから、友が一人減り、二人減りです。
 好きな博打であるので、続けたいと思いますが、あの、殺伐とした雰囲気のなかで、一人で、
 車券を買って、一人で「当たった、はずれた」と、楽しむのは、余りにも味気ないです。
 そんな訳で、この週末は、競輪を控えることにしました。
 私は、博打は大好きですが、一人で楽しむことが出来ないようです。
 身近にある博打にパチンコがあります。
 私は、たまに時間潰しにしますが、本質的に好きになれない博打なのです。
 パチンコは、一人であの喧騒の中で楽しみ、勝っても負けても、褒めたり、冷やかしたりする人が
 いません。だから、詰まらないのです。
 ようするに、私は、皆で「本命、穴」と、わいわい騒ぐのが好きなのです。

 でも、私から博打を無くすと、残る物が何もありません。
 博打のお金を得るために、「せっせせっせ」と働いていますのに、それも必要なくなります。
 博打を無くすことは、同時にそれも無くしてしまいそうです。(阿呆!)

 そうそう、今日は、「土用のうなぎの日」です。丑の日でなく鰻の日ですよね。
 私の行きつけの鰻屋は、面白い店で、本来ならば、かき入れ日であるはずだのに、閉店します。
 閉店の名目は、「鰻供養の日」です。
 何故かと言えば、店主の話では、鰻の値上がりと忙しさの余り、何時もの品質が保てないからだとかです。
 「ふむふむ」納得です。
 そこで私も、鰻供養のために、今日は、鰻を食べるのを止めます。


 <平成21年7月18日 (土曜日)晴 >          
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 朝、起きて見ると、両腕が痛い。あれ、どうして?と、思えば昨日ゴルフの練習をしました。

 発信すれば何処からか応答あるは、本当です。
 ゴルフを再開しようかと思ったのも、発信があればこそです。
 昨日の電話は、私の本を読んでゴルフをすると知った、知人からの誘いでした。
 競輪の友や職場の仲間からの誘いは、なんとなく気乗りしなく断っていたのに、
 夏になり、けだるさが運動不足を訴えていたのか、クラブを握る気になったようです。

 約二年ぶりの練習です。当然、恥ずかしいほどうまくいきません。
 「飛ぶ」は、鳥が飛ぶに代表されるように、軽やかに、または、豪快に遠くへ物体が、
 空中を移動することです。
 そして、鳥は、空高く飛ぶものですが、鶏は、人間に飼いならされたためか、数メートルしか飛べません。
 私のボールも鶏と同様に、飛びません。
 静止する物体に力を加えれば動くのは、公理ですので、確かにボールは、前へ少し移動します。
 私の加えた力でボールは、「ポコーン」と少し上がりますが、悲しいかな直ぐ近くに落ちます。
 まれに、「ガツーン」と、ナイスショットをしますが、玉の落ちる場所は、以前より、相当近いです。
 それでも、小1時間ほどボールに戯れて、いい汗をかきました。


 <平成21年7月17日 (金曜日)雨:曇 >          
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 読売新聞の社会面に、日本人の平均寿命は、男性79.29、女性86.05とありました。
 これによれば、私は、後20年生きることになります。それは、大変です。

 私が、平均寿命まで、生きるとし、今までの生き様を振り返りました。
 まあ、計算し易く、残りの6年はおまけとし、80年を4等分します。
 最初の20年は、学校生活で、20歳から40歳ころは、愛だ恋から始まった青春を謳歌?
 いや、苦悩でした。しかし、それが一番楽しい時期だったと思います。
 そして、40歳から現役引退までは、本当に仕事に専念しました。
 さー、今はどうでしょう。
 「まあ、いいか、どうにかなるさ」と、屈託なく気楽に生きています。
 今年、子供の頃からの夢の一つは実現しました。あと一つの夢は、どうするかです。
 元気のうちに、腰を上げようかと思いますが、未だ10余年あります。
 あまり、早く叶えてしまえば、あとが無くなりますので、ゆっくりする予定です。

 ここまで書いていると、携帯電話が鳴りました。
 急いで取り、ここに戻って来るとめがねが、ありません
 「何処に置いたのだろう」と、めがねケースの中、棚の上、色々探すが、無いのです。
 「そのうちに出てくるだろう」と、諦めて一時中止です。当然思考は、中断しました。
 見つかりました。なんと、食卓の上ある電気釜の側にありました。
 考えて見れば、通勤カバンのある居間に行く途中で、朝食の残りのお新香を
 つまみ食いをした時に、置いたらしいです。
 阿呆ではないですか。数分前の行動さえ忘れていました。

 ボケ現象その1です。これでは、残りの20年が、思いやられます。
 こんな状態だと、もう一つの夢は、早いうちにスタートしないと、私と一緒に葬られてしまいそうです。
 だから、健康維持のため、今からゴルフの練習に行ってきます。

 
 <平成21年7月16日 (木曜日)晴れ >          
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 「暑い、暑い」と、言えば暑いです。  そうかと言って「そうではない」と思えば、それ程ではありません。
 これも歳をとり、感覚が鈍くなったのかも知れません。
 乏しくなった、感覚と感受性を、呼び戻したいです。 あ!、へんな事を思い出しました。

 私の若い頃の生活は、「神田川」の歌に代表される時代でしたが、
 燃えるような太陽の下で、燃えるような恋を夢見た様な気がします。
 これは、私の若い頃の詩の書き出しです。

 <不都合な夏>
 ああ、今年もまた不都合な
 夏がやってきた
 汗は、だらだらと
 体の溝を流れる
 それでも私の胸の谷は
 貴方を迎えようと・・・

 (後は、忘れてしまいました。)

 パソコンの前に座るまでは、イチローとゴルフの遼ちゃんのことを、書こうと思っていたのに、
 最初の2行を書いていると、思考がおかしな方へ飛躍してしまいました。
 「何で?」と、聞かれても判りません。酒と暑さが私の思考を、狂わしたのでしょう。
 だから、このままにしておきます。だって、「思うがまま」ですから。

 懐かしい時代です。


 <平成21年7月15日 (水曜日)晴れ >          
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 梅雨が明けたら急に暑くなりましたが、年のせいか、クーラーの効くオフィスにいるせいか
 あまり暑さを感じません。どちらかといえば、休憩時間に屋上に出て、太陽に当たれば
 気持ちが良いとさえ感じます。朝などは、陽は、暑いのですが、南風が気持ちよく、夏になった空を
 見上げ、白い雲と、半分欠けた月を見つけ、「ああ、夏かー、もう海も山も縁遠くなったなー」と、
 タバコの煙をはきだし、仕事を始めました。

 政界の喧騒も、仕事の煩わしさも、関係ない当たり前の一日でした。
 だから、何を書けば良いか判りません。いや、帰りの電車の中では、ちょっと考えてのですが、
 晩酌をしながら、豆腐のお兄さんや紳士と四方山話をしているうちに、面倒くさくなりました。
 こんな日もあります。平穏な一日であればあるほど、ふつふつと湧いて来る物はありません。


 <平成21年7月14日 (火曜日)晴れ >          
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 関東地方も梅雨は、明けたようです。そんな夕べ飲み屋の友人から、美味しい豆腐をいただきました。

 豆腐には、いろいろあります。最も一般的なのが、木綿豆腐と絹越豆腐で、
 夏は「冷奴」冬は「湯豆腐」が、一番シンプルで豆腐の本当の味が楽しめます。
 湯豆腐は、甘い長ネギと組み合わせ、冷奴は、細かく刻んだ薬味で豆腐を味わいながら一杯するのが、
 何とも言えません。

 私には、一般的な材料や製法による種類でない自分なりの分類があります。
 それは、
   (1) スーパーの豆腐
   (2) 豆腐屋の豆腐
   (3) お兄さんの豆腐
 です。
 行きつけの飲み屋の豆腐は、豆腐屋の豆腐です。
 すなわち、スーパーの豆腐のように大量生産された物でなく、昔ながらの製法の豆腐です。
 荻窪には、まだまだ豆腐屋さんが沢山あります。
 そして、夕暮れには、「トーフー」とラッパを鳴らしながら自転車を押す姿を見かけます。
 その豆腐は、冷奴のように素材そのものを食べるときなどは、明らかにスーパーで買った豆腐とは
 違います。

 さて、お兄さんの豆腐は、豆腐屋の豆腐より、更に豆の香りと甘味を残し、とろりとした舌触りです。
 最もこれは、毎火曜日に彼等が趣味の一つとして、
 ボランテアで作っているスペシャル豆腐だからです。
 時々、彼からお裾分けを頂きます。それも、ときには、生湯葉だったりすることもあります。
 生湯葉の食感も素晴らしいです。
 そこで、私は、この豆腐を「お兄さんの豆腐」と、名付けました。

 この日記を書き上げてから、「お兄さんの豆腐」で、ビールを飲んで寝ます。
 「お兄さん、ご馳走さま。また、お願いします」(ずうずしい)


 <平成21年7月13日 (月曜日)晴れ >          
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 今日は何処に行っても都議選の話です。朝のテレビはもとより、会社の休憩時間、
 そして、夜の飲み屋の会話もそうです。
 政治経済に対する見識のほとんど持ち合わせのない私でさえ、少し気になります。

 愚公が山を動かし始めたのでしょう。おや、間違えました。
 愚公は山を移したのでした、山を動かし始めたのは、私たち庶民なのでしょう。
 都民は、古きを捨て、新しきを選びました。
 ベテランの自民党立候補者より、若い者を選択し、オバマさんの言う「Change」を求めました。
 どうやら、「亀の甲より、歳の功」の、諺が都議選では働かなかったようです

 あとは、麻生さんが、解散という「天下の宝刀」を何時抜くかでした。
 今日の飲み屋での会話によると、21日に抜いて、来月30日に衆院選としたようです。
 麻生さん、「男一匹ここにありき」です。
 もう、党内のごたごたは、うんざりです。山より大きい熊は、いませんよ。熊も一緒に動きます。
 私には、山は、動いたほうが良いのか、動かない方が良いのかは、判りませんが、
 これで、新しい展開が始まります。

 ところで、今日は、迎え盆です。スーパーの入り口には、迎え盆用の小道具が沢山並んでおりました。
 東京でも、まだこのような物の需要があるのですね。
 でも、集合住宅の玄関先で迎え火を焚いたら、仏様は何所の家かと迷ってしまわないか心配です。
 だって、私など、毎日出入りしているはずだのに、エレベータの行き先ボタンを間違えて、
 降りてから気づくことが有ります。(笑い)

 
 <平成21年7月12日 (日曜日)晴れ >          
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 先日、地方税で買った、高い一枚の選挙券を持って、投票してきました。
 誰に投票したかは、言えませんが、とにかく高価な権利を、行使してきました。
 そして、今は、選挙速報のテレビ放送までにと、これを書いています。

 「国家の品格」なんて何処に行ってしったのでしょう
 今日のテレビ討論など観ると、自民党は、断末魔のようにあがいて、人気とりに走り、
 民主党は、早く解散しろ、政権交代の1点張りです。
 「如何に自分が政界に生き残れるか」だけが目だっています。
 いすれにしても、今日の結果は、未だわかりませんが、政治の流れが急に速まる気配です。
 与野党を問わず、よくもここまで来てしまったものと諸事呆れます。
 これも、長期安定政権に甘えて、物的繁栄は自然に付いて来ると勘違いしていた、
 私達選挙民自体の全体責任と思えます。

 たった一票の紙ぺらで諸々のことが脳裏を走ります。そして、今日、義兄の見舞いに行くが、
 そこで老人医療の一面にぶつかりました。ただ、姉は私と同様に楽天家ですから、
 笑っていた事だけが救われますが、庶民は、自分の投じた1票に願いを託しています。

 どうやら、選挙速報が始まったみたいです。民主党が優勢とかです。


 <平成21年7月11日 (土曜日)晴れ >          
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 明日は、都議選というのに静かな休日です。立候補者の連呼するマイクの声は、聞こえません。
 私の住まいは、環八に面しているので、静かな処ではないが、余りもメイン通りなるが故に、
 宣伝カーは敬遠するのかなと、思いつつ、いつの間にか「うとうと」と、昼寝です。
 一眠りのあと、碁会所に向う途中に駅前を通れば、やはり都議選の宣伝でうるさい。

 そういえば、私は誰が立候補しているかを知らない。本当にのんきなものです。
 碁会所で、相手の来るのを待つ間に、選挙公報を読めば、皆さんそれぞれ良いことを、言っています。
 私には、1票しかない。それでは足りません。3票位欲しいです。(笑い)
 私は、東京都民になってから、半世紀になりますが、都議会の活動をあまり良く知りません。
 しかし、広報に掲げている公約を、実現してくれたら素晴らしい都市になりますね。

 詰まらない話になったので、碁会所での会話で遊びましょう。
 「篠ちゃん、今日は強いね。石の流れがいいよ。」
 「流石(さすが)でしょう?」
 確かに、今日は調子がよく、当面の目標にしていた350点に届きました。
 いつも350点手前まではいくのだが、足踏みして届かなかったのに、初の点数です。
 その点数も瞬間風速で、最後の2局で落とされてしまいましたが、それでも赤飯です。

 
 <平成21年7月10日 (金曜日)晴れ >          
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 いつもの休日のように、朝風呂に入り、一連の家事を終え朝昼兼用の食事をしようと思い、
 テレビのスイッチをいれると、飛び込んできた言葉は、ホワイトボックス、ブラックボックスです。
 「うむ、何や」と、注視しました。
 番組は、終わりに入っていましたが、「携帯電話の知らないことを知ろう」のような番組でした。
 すなわち、「ブラックボックスの中身を覗いて、知識を得、ホワイトボックスにしよう」と、言う話です。

 人は、「知らない事を知る」喜びがあります。これは、得る量は個人差があっても、
 子供の頃からの習性です。硬い言葉で言えば、学問です。誰もが、この喜びや快楽のために、
 貴重な時間とお金を使います。

 しかしながら、「知らないことを知らないままでいる」喜びもあります。
 先日の織姫・彦星の彼女のように、「恋人同士の方が、夢がある」のように、
 知らないからこそ、自分の空想に喜びを覚えます。未知の物への自分なりのイメージは、
 他人には、侵し難いものがあります。

 私には、もう一つの「知る喜び(痛快)」が、あります
 それは、「人に知られず、人を知る」ことです。ようするに、相手に気がつかれず私だけが気づくことです。
 全くの未知の人でも、ことさら珍しくもないことを夢中になっているのを、人知れず見るのが好きです。
 まして、知人で、同伴であったり、赤信号を無視して渡ったりしていると尚更です。
 「ふむふむ、誰も見ていないなと、思っているな」など、痛快です。
 でも、私は、「今度会ったときに冷やかそう」などと、言うけちな考えは全く無いのです。
 ただ、自分だけが一時悦になります。
 そして若い頃に読んだ「忘れえぬ人」のように、いつまでも脳裏の残像とし、
 同じような場面に遭遇したときに、ふっと思い出して、楽しみます。

 「知る喜び」から、おかしな話になりました。少し、精神分裂ぎみですね。
 そこで、精神が確かである証拠にとして、今日のイベントは、川崎の従姉妹に会いに行ったことを記す。


 <平成21年7月9日 (木曜日)晴れ >          
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 医者に行ったのが良かったのか、日薬がきいたのか判らないが、目はだいぶ良くなりました。
 でも、大枚3000円近く払ったのだから、日薬ではなく、医者の薬がきいたことにしましょう。

 私は、歳のせいか、根性というか執念が無くなりました。
 ようするに、悔しいかな、困難にぶつかっていく、気力が無くなってしまったようです。
 瞼の鬱陶しさも無くなったので、遅れを取り戻すそうと、作業にはいると、トラブルに遭遇しました。
 調査して、色々試すが解決できない。とうとう午後の三時を回ってしまい、
 とにかく対処療法だけ見つけて終わりとします。原因が見つからず、お手上げです。
 もう、徹底的に調査するしつこさがなくなり、安易の方に走ってしまいます。

 対処療法は、頭の痛いときに、頭痛薬を飲むようなもので、痛い原因を取り除く訳ではないので
 再発や副作用の危険性があります。あまり許されたことではありません。
 こんな状態なら、引退の潮時かもしれません。誰かが言っています。「がんばらないで」と。
 別に、頑張るつもりはないが、簡単に「グリコの看板」になった自分に、腹立たしくもあり、
 悲しくもなりました。

 目の鬱陶しさが薄らいだら、気持ちが憂鬱になってしまうだめなおばさんです。
 でも、明日になれば忘れるでしょう。


 <平成21年7月8日 (水曜日)曇 >          
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 ぽつぽつと雨が降り出したと思えば、止み、止んだかと思えば降り出す、これぞ正しく梅雨です。
 こんな中、三鷹病院の眼科に行ってきました。

 ところで、昨日、この日記のデザインを変更しました。
 少しは、世のブログのスタイルに近いずいたかな。遊びとしてはこんなものでしょう。

 それにしても、最初が肝心です。禁煙日記のつもりであったので、それなりの方針で、
 構成を考えていたものを、途中で変更し、適当にバンソコウを貼って誤魔化していたものを、
 更なる継ぎ足し工事になりました。実は、ちょっとしたことを実現しようとしたのですが、
 そのバンソコウが災いして、うまくいかず、デザイン変更です。

 何事も「始めに方針ありき」です。ましてこんな静的なものはそうですが、政治もそのように思います。
 しかし、政治や経済は生き物ですから、動いていますので都度対応は必要です。
 そうかと言って「朝令暮改」のようにくるくる方針が変わっては、周りがたまりません。
 一本の背骨の入った方針の基での、都度対応が欲しいです。(生意気かな?)

 格好良いこと言っても、「この日記の題材の方針は何か」と、言われても困ります。
 「思うがままに」が題ですので、一貫性がないのです。
 悪いことをしました。、
 昨日のクイズが、ほんわくロマンチックに感じていた、七夕に対するイメージを破いてしまったようです。
 職場の友人が、「彦星と織姫が、夫婦なんて詰まらない。恋人同士がいい」と、言っておりました。
 「ああ、また、私の自分勝手が人様の思いを無視してしまった」と、少し反省します。
 でも、これを止めろと言われても、私には、無理なのです。
 だから、これからもこんなことが、多々あると思いますので、あしからず。

 
 <平成21年7月7日 (火曜日)晴れ >          
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 五節句の一つである七夕です。星に願いを込めてお祈りしましょう。
 やはり、梅雨真只中の七夕なんて、なかなか星空にめぐりあえません。
 梅雨時でなくとも東京では、まばたくばかりの星空は難しいですので、
 旧暦または月遅れの七夕の方が風流です。

 たまには、頭の体操が必要です。そこで七夕のクイズを一つ。回答は末尾にあります。
 (1) 彦星と織姫は、恋人同士、夫婦どちら? ヒント 単身赴任ということもあります
 (2) 彦星と織姫の逢瀬をサポートした鳥は何でしょう?
   ヒント 百人一首の 下の句に「しろきを見れ夜ぞふけにける」があります。
 (3) 彦星と織姫の距離はどの位?
   ヒント 天文学の距離の単位は、「光年」です。1光年を1年に置き換えて考えても
   毎年の逢瀬には、彦星、織姫のクローンが十数個位必要です。

 三つ正解の方は、短冊に願いを込めなくとも、素晴らしい、織姫、彦星にめぐり逢うことを確約します
 ただし、年に1回の逢瀬ですよ。

 さて、七夕の唱歌に「五しきの短冊・・・」が、あります。この五色は、白 黒 赤・・・と、考えるが、
 私は言えません。私の知っている短冊の色は、「赤と青」です。
 それには、願い事でなく、桜や松を背景に、「あのよろし」と読んでしまいそうな
 「あかよろし」と書かれた短冊です。そして、月見で一杯、花見で一杯の方が、親しみ易いです

 クイズの回答(間違っていても何の保障はできませんので、あしからず)
 (1) 夫婦です。(現在は、交通の便が良いので、簡単に逢瀬ができます)
 (2) カササギです。(上の句は、「かささぎの渡せる橋のおく霜の」です)
 (3) 約15光年です。(これは、私のうろ覚えの知識ですので自信ありません)

 頭の体操は、これでお終いです。(これ以上続けると、ボロが出てしまいますので)

   
 <平成21年7月6日 (月曜日)曇:雨れ >          
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 「痒いところに手が届く」は、細かいところまで神経が行き届いてぬかりがないことで、
 良い意味に使われます。しかし、今日の私は、「痒いところに手が届く」は、いけないのです。
 右目は、相変わらず痒く腫れています。ついつい、そこにマウス等を握った汚い手が届いてしまいます。
 何かに熱中すれば手が出なくなるかといっても、梅雨の空模様と、まぶたの鬱陶しさは、
 どうにもなりません。

 こんな時は、笑い出したくなるような事を、考えていなければ益々滅入ってしまいます。

 女性が、生を受けてから、最初に男性に対して、意識している、していないは別として、
 コンプレックスを覚えるのは3・4歳頃の 立ち小便する男の子を見たときです。
 私も男の子のように立ち小便をしたいと思いました。
 なお、男の子たちは、小便をしながら飛距離を競っていたときも、羨ましく思った覚えがあります。
 これが、ニ回目のコンプレックスだそうです。

 日本に来た外国人が、わりに早い時期に覚える日本語は、「連れション」だそうです。
 多分手洗いで、朝顔を前にして「お国はどこですか?」などの、会話で始まり、
 「連れション」の言葉を伝授されるのでしょう。
 用を足しながら、会話をする連れションの出来るのも男性の特権なのでしょう。
 しかし、女性にも「連れション」は、あります。先日競輪場でこんな光景を見ました。
 私が、入っていくと、先客があり、個室にいる内なる人と外なる人が会話をしていました。
 このような子供と母親の姿は、度々みかけるので、それほど珍しくはありません。
 ところが、隣の個室が空くと外なる人が、個室に入り、それに気づかない内なる人は、話かけます。
 新しく内なる人になった彼女は、答えます。そして、彼女の流す水音で、会話は終わりました。

 やはり、これは、立派な連れションです。そこで私は、提案します。
 それなら、一層のこと”おまる”の向きを向い合せにして、顔の位置位に小窓を作ります。
 もちろん両者の了解が無ければ開かない仕組みが必要です。     終わり 


 <平成21年7月5日 (日曜日)晴れ >           
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 私の目は塞がれてしまいました。何の目かって言えば、恋や、知識の芽でなく本当の目です。
 昨日の夕方から、右目が赤くなり痒い。鏡で覗けばヤニを短いまつ毛につけて腫れています。
 今朝などは、片目が開かない状態です。とりあえず水道水で洗い、目薬をつけておきました。

 ”め”にも色々あります。なかでも囲碁は目の多い方が勝ちで、
 2個以上の目がない石は死んでしまいます。
 そして白が打っても黒が打っても目にならない価値の無い場所を「駄目」と言います。
 「駄目な奴」とはここからきたのでしょうか。

 次は、競輪の目です。賭け事には、「出目」と「死に目」があり、
 博徒は、今日の出目を、必ずチェックし、死に目は敬遠します。
 強くて本命を背負っている選手が、死に目になっていると本当に迷います。

 植物の芽は、食べても美味しいものが沢山あります。
 昨夜、知人から、彼の趣味の小さな野菜工場の菜っぱの芽が育った写真が送られてきました。(下欄写真)
 農業の工場生産化を目指し、水耕栽培で、肥料の補給、水の補給は、
 小さなパイプで常時循環されているらしいです。
 これも、今後の農業生産のあり方(食料自給率の抜本改善)の芽なのでしょう。

 最後に日本の政治の「め」は、どうなっているのでしょうか
 自民党の芽はこれ以上育たなく、民主党の芽が育つのでしょうか。
 いずれにしても、都議選、衆議院選と続くわけですから、私達の目は、ぱっちり開けて・・
 そして、庶民の心の目を欺くことだけは遠慮します。そうです!「でたらめ」は、お断りです。

 眠くなりました。そこで、赤ちゃんの澄んだ綺麗な目を、赤く腫れた瞼に浮べて眠ります。
 お休みなさい!!

 後ろが春菊で手前が岡山菜です。
 ハイドロカルチャーに適した野菜で
 20毛作位できるようです。

 <平成21年7月4日 (土曜日)晴れ >           
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 何年振りに「ずっしり」というか、私の貧弱な語彙では、
 表現できないような本「朗読者」を読みました。
 それも、洗濯の合間にちょっと開いたつもりだったのに、午前中に、
 読み耽ってしまい一気に読み終えました。
 そして、競輪で万車券を当てた時とは、違った何とも言えない興奮を覚え、
 再度ぺらぺらと拾い読みです。

 読み始めたときは、「ストッキングを履く彼女を垣間見る」場面などの描写は素晴らしく、
 老いて乾ききった私の体さえ濡れてくるのではと思うほどです。
 最初は、「なーんだ。単なる恋愛小説」ではないかと、思いつつ読むが、
 章が変わってからはまったく違い、読み終えてみれば、舌を巻くような傑作で、
 切なく残酷な物語が、私の心を震わせ、目頭が少し熱くなりました。

 実は、この感慨をエッセー風に書いたのですが、余り長文なので、要所数行に留めました。
 そこで、最後に昨日のもう一つのイベントについて書きます。

 道楽の「いきいき囲碁サークル」が、スタートしました。
 最初は、参加者が無いのではと、荻窪の囲碁仲間に、”さくら”をお願いしたのですが
 なんと、そんな心配をよそに10名も集まりました。
 それも、前日、当日申し込みを、断ったほどでした。

 三鷹市の人口がどの位かは、判りませんが、約1000人ほどのメーリングリストでの案内で
 これほどの反応です。
 私のマンションの郵便受けに、投げ込まれるごみにしかならないチラシより効果がある?
 とにかく、おじさん、おばさんを相手に囲碁の面白さを、話してきました。


 <平成21年7月3日 (金曜日)曇 >             
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 涙のでるほど嬉しかった。いや、感きわまりて既に目は潤んでいます。
 やはり、昔、喜びと苦労を共にした仲間は、何時になっても仲間です。

 夕刻、長年勤めていた同僚の定年退職の祝いの会に出席しました。
 こんな私を忘れないで、誘いを掛けていただくなんて本当に嬉しいです。
 集まったメンバーを見れば懐かしい顔ばかりであるが、すでに会社をやめた人、
 まだ会社にいるが、ほとんど部署は変わっていました。
 しかし、かっては、コンピュータグラフィック技術においては、業界標準を作りあげた同僚です。
 あの時代は良き時代でした。今は、パソコンに座を奪われましたが、
 キャラクタディプレーしかない時代に、グラフィックディスプレーの技術を確立し、製品をつくり、
 意気揚々としていました。
 今日は、その技術の卵の時代から死亡するまで、中心的な立場の二人の技術屋さんの
 定年祝いです。それぞれ、立場は異なっても、新しい技術に向っていく若い人をみていると
 私は、10歳くらい若返りました。

 懐かしさで、酔いが回ってき、別れ際に私の顔を見て、こんな挨拶をしてくれました。
 「篠原さん、申し訳ありません。篠原さんが退職するとき、
 ”株価をあげる努力をして下さい。私の配当のために” と、言われましたが、それがこのざまで」
 時代の波に押し流されて、決して彼のせいではないのにと、ここで”ほろり”ときました。
 退職して随分たつのに、私を忘れないでいてくれました。

 元気でいれば、みんなに会えるかも知れない。
 そして、今日参加出来なかった仙台の友、営業の友にも会えるかも知れない。
 何時までも元気でいたい。


 <平成21年7月2日 (木曜日)雨:曇 >           
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 今日は、半夏生です。昨夜、飲み屋で常連が、半夏生だと、話をしたとき、一瞬何のことかと詰まった。
 しかし、言葉を思い出すと同時に、遠い昔の母を思い出す。

 私の家は、信州の山の中の貧しい百姓であり、
 母は、農作業をするとき、暦を見て、種撒きなどの日を決めていた。
 そうです。半夏生も農作業の一つの目安だったのである。
 八十八夜までは、霜が降る危険性がある。だから、そのつもりの準備をする。
 そして半夏生までには、春の農作業は全て終わらせておかねばいけないなど、暦をよく見ていた。

 私の子供の頃の百姓は、現在のように、化石エネルギーの援助やバイオテクノロジーもないので
 本当に自然の力だけを頼りに営んでいた。その目安の一つが、半夏生であった。
 今、思えば、端午の節句等の5節句より、雑節を目安にしていてような気がする。
 半夏生は、雑節の一つであり、梅雨の半ばの節である。
 節句は、桃の節句をはじめ楽しく明るいものが多いが、半夏生だけは、異なる。
 これを境にして梅雨は「荒梅雨」になると言われており、豪雨をもたらす。
 また、季節がら物も腐り易くなり、体調を崩し易い。
 地方によっては、この日には、特別食べるものがあるらしいが、私の田舎ではなっかった。
 ただ、これから土用も過ぎて旧盆までは、大きな作業もなく、農閑期として少しはのんびりできる。

 やはり、日本人は、農耕民族なのです。
 狩猟民族とは異なり餌を求めて移動するのではなく、一箇所に留まり、自然の営みにあわせて
 餌をつくる。


 <平成21年7月1日 (水曜日)曇 >              
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 早いもので今年も半年過ぎた。
 こんな日記を書いていると、良いこともある。毎日、「今日のことを思い出し」
 月末には、1ヶ月を振り返るようになる。
 認知症の先生は、予防のためには「日記を書くのも一つです」と、講演されたが、
 本当にそうかもしれませんね。
 これを始めて3ヶ月たった。3日、3月、3年と言われるが、一つの区切りである。
 3年は無理だろうが、1年は続けたいと、目途をたてる。

 水は高いほうから低い方に流れ、お金は少ない方から多い方になびき、人は、
 苦痛を避けて、楽な方へ楽な方に流される。
 若いころは、「よく遊び、よく学び、よく働く」をモットーとしていたが、
 最近は、学ぶことも働くことも少なくなり、「よく遊び、よく遊ぶ」になってしまっている。
 とにかく一日を持て余していないだけが、幸せかと思ったりしている。

 四股名に「右肩上がり」をつけたお相撲さんがいるようだが、
 経済も成績も右肩上がりであって欲しい意味だとか。
 私は、自分の生活の右肩上がりは期待しないが、脳の右肩下がりだけは、緩やかであって欲しい
 よく遊びながら一日を食いつぶしていく。それがいい。
 でも、時には感情を露にすることも欲しい。幼稚で面白い文章のために。


 <平成21年6月30日 (火曜日)雨:曇 >              
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 便利な世の中になりました。
 いよいよ、私の道楽の囲碁雑談会の初回の予定が今週末になり、
 最後の準備として「碁罫紙」(囲碁記録用紙)と、初日用のテキストの準備をする。
 碁罫紙は、1冊もあれば1年はもとより数年もちそうである。300円前後のものを、
 電車賃をかけても準備するのは、ばかばかしい。ネットで買っても送料がかかる。
 これこそ、槌より柄の方が太くなっていまう。
 ネットで無料の碁罫紙を探し、とにかく見つけダウンロードする。
 少し、追加したいことがあったので、友の力を借りて、適当に手を加える。
 あとは、初心者用の書き物を探し、一日分のペーパーニ枚を作る。
 何だかんだと午前中は、本職無視の作業であるが、電車賃をかけてわざわざ市谷に行かなくとも、
 机に向かって全部できる。便利になった。でも、ますます運動不足になってしまう。(笑い)

 夕刻より職場の同僚の送別会に参加する。
 とうとう、こんな小さな会社にも、派遣きりが波及してきた。
 景気の底はつき、株価が、一万円をつけたというのに、まだまだ、製造業は厳しいようである。
 今日の彼は、私が親会社に居た頃、東京都下水道局のマッピングシステムのときに、
 課金端末の電気設計を担当して貰った。一般の製造者派遣とは異なるが、時代の流れである。
 それにしても悔しい。彼は、小さな会社としては、珍しくきらりと光る技術屋である。
 会社の将来を考えれば、勿体無い感じがするが、仕方が無いのでしょう。
 しかし、彼のことだから何処かで活躍することだろう。


 <平成21年6月29日 (月曜日)晴れ >              
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 先週の文を読み返してみれば、「書かねばならぬ」になっている。だから面白くない。
 「いとおかし」が無いのは、気負いがあるためだ。こんな状態だと長続きしないだろう。
 だから、今日は淡々と書く。
 太陽が東から昇り、西に沈みました。
 素直な月曜日であった。

 ただ、最近のテレビで思ったことを一言。
 最近の自民党は、なにやら”どたばた”している。
 まるで、私の碁と同じように、序盤の1手が狂って、それからは策する手が、功をなさず、
 反って悪手になってしまっているように見える。
 ゲームなら簡単にリセット出来るのになー

 「じたばたするな、鶏裸足だ」と、言いたい。(使い方が間違っているかな? 許されたし)


 <平成21年6月28日 (日曜日) 曇:雨 >              
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 日曜日は、ゆったりした気分になる。
 ここ数日、詰まらない文になってしまったが、休日は、脳も柔らかくて優しくなるらしいので
 「めだかの学校」のお話をしよう。

 私は、ペットが欲しい。いけめんの坊やをペットにしたいが、そんな物好きはこの世にいない。(当然)
 ならば、犬猫はどうだ。それも家には、寝に帰るだけの私だから無理である。

 碁会所に、私と同年代の温厚な紳士がいる。彼は、昨年の今頃、テレビ撮影が来る程の愛犬を亡くし
 「今度は、めだかを飼うことにした」と言っており、水槽など道具を準備していた。
 先日、彼が、碁を打ちながら、「女房の話だと、”荻窪めだか”があるそうだ。どこで手に入る?」と、
 席亭や、みんなに聞く。
 席亭が、「川南あたりにあるようなことを、聞いたことがある。」と、言うが定かではない。
 「荻窪で生まれた”めだか”かー」
 「善福寺川で生まれて育ったのかな?」と、ひとしきり”めだか談義”がはじまる。
 結論は誰もわからず、「しのちゃん、ネットで調べろ」で落ち着く。

 そうだ、めだかなら、私のペットになるかもしれない。彼の奥さんの薦めもあることだし。
 よし、”荻窪めだか”にしよう。私の愛する荻窪生まれとは、最高ではないか。
 ちなみに、奥さんも囲碁仲間の一人である。

   「荻窪めだか」をキーにして調べてみると、確かに、荻窪めだかはあった。
 誰でも一度は、口ずさんだ童謡「めだかの学校は、川の中」を生んだメダカが、荻窪めだかである。
 ところが、よく見ると荻窪は荻窪でも、小田原市荻窪にある荻窪用水のメダカである。
 これが、”荻窪めだか”として、ペットショップで売られているらしい。

 ついでに、受け売りであるが、童謡誕生の逸話を紹介しよう。
 作詞者が買出しの途中で荻窪用水に寄ったとき、息子が大きな声を出したら、メダカが逃げた。
 それを見て「大きな声を出すから、めだかが逃げてしまったではないか」と、息子に言うと、
 「大丈夫、ここは”めだかの学校”だから、直ぐ戻ってくる」の、息子さんとの会話が基らしい。
 それにしても、子供の発想は素晴らしい。
 また、善福寺川生まれの”めだか”が居るのなら教えて欲しい。


 <平成21年6月27日 (土曜日) 晴   >              
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 梅雨の中休みというのか、今日も真夏日と呼ばれる暑い日であった。

 また、荻窪の名物が無くなるそうです。
 荻窪駅の改札を出て階段を上がると、焼き鳥の匂いがする。
 終戦直後の映画に出てくるような、ビールケースを並べ、その上に板を載せたようなテーブルに
 色々の風税の人たちが表に向って飲んでいる。
 私は、入ったことがないので、中の様子は知らないが、荻窪庶民の憩いの場所として愛されていた。
 「子供の頃は、大きくなったらここでお酒を飲むのが夢だった」と、
 荻窪で生まれ育った知人の言葉がそれを物語る。

 荻窪は、中央線の下町と言われるほど庶民的な街であり、その駅前は、他の中央線の駅前とは、
 雰囲気が異なる。私が荻窪に住むようになったのは、昭和40年代であり、
 当時はルミネやタウンセブンもなく、アメ横のようなマーケットがあった。
 そのマーケットは、日常雑貨品からダイヤモンドを商うような宝石店まであり、会社の帰りに
 ぐるーと一回りし、生活必需品を調達した。マーケットの日常雑貨は、会社の生協より安かった。
 そこも今は、タウンセブンのビルになり、荻窪夫人と呼ばれ奥様方が、喜ぶように駅前はきれいになり、
 代償として物価が上がった。

 これで、未だ、残っていた雑然とした一角が無くなる。焼き鳥屋、ラーメン屋、そしてその隣の果物屋が
 なくなり、駅前ロータリーとなるそうだが、寂しさを感ずる。
 これが、時代の流れであると思うが、庶民の息使いを感ずるような、温もりのある空気が消えていく。
 なにやら、昔を懐かしむのも歳なのでしょうか。

 
 <平成21年6月26日 (金曜日) 晴   >              
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 この時期にしては、珍しく湿度の低い晴れた日であった。

 昨夜、飲み屋で常連の紳士から一冊の雑誌(ダイアモンド)を渡された。
 「私に読みなさい?」「そうかー。」いつも博打の話ばかりして、たまに世間話をすると、その内容の
 教養の無さに呆れていたのでしょう。これの何を読めばいいのだろう。
 確か、渡された時に一言あったと思うが、何を食べようかが先で聞きそびれた。(阿呆!)
 大見出しの「自動車100年の・・・」または、小見出しの「改正薬事法・・」だろうか、
 それともこれを読んで株で「一儲けせよ」かな。 とにかく、うやうやしく頂いて帰る。

 世の中の人は、自分の実力を高めるために「専門馬鹿になれ」というが、私はこの言葉を余り
 好きではない。
 専門馬鹿になるには、ノーベル賞とは言わないが、それなりの道を究めなければならない。
 そんなことは、IQの低い私には無理である。
 私は、現役の頃、「技術の柱でなく、技術の山を作ろう」と、同僚と良く話した。
 その山の頂点が、たまたま今の自分の専門であるようにしたい。
 私が行っている仕事で必要とする程度の柱は1センチ伸ばすのは、それほど難しくないが、
 山を1センチ高くするには、裾野から高くする必要がある。
 裾野の広い山にするには、仕事に全く関係のない教養や遊びも必要とする。
 柱を1センチ伸ばした面積と山を1センチ高くした面積は、大きな差があり、
 投資エネルギーは、比べ物にならない。そして、柱は、倒れる危険性をもつが、山は簡単に倒れない。
 こういう屁理屈で専門知識の無いのを誤魔化す。
 そんな訳で、「ザー」と読んだ内容を、私の建設中の山の裾野にばら撒く。

 なにやら、小理屈の話になったが、折角頂いた雑誌である。
 彼の期待する記事に対する考察は、書けないが、面白い記事を見つけた。またまた、博打の話である。
 証券アナリスト「やまざき・はじめ」氏の書き出しの言葉である。
 「債権運用や外国為替は、競輪に似ていて、株式投資は競馬に似ている・・・」と、ある。
 「うんー、まとを得ている」 私は、競輪・競馬を、兜町の営みに例えるほどの発想は出来なかったが、
 私も、競輪と競馬の違いを聞かれたときは、「競馬は畜生が走り、競技に対する変量が多くて読めない。
 競輪は、選手の政策や行動を考慮してレースの展開を読むが、人間の心理は、深くて読めない」と、
 答える。 同じようなことを、1枚のぺーパーで語っている。これ以上の細かいことは、省略する。
 多分、執者も知識の山の1合目か2合目に、競馬・競輪があったのでしょう。

 「山を作る専門家になろう」は、私の持論である。
 しかし、糧としている物を頂点にして、ほんの少しで良いから山を高くしたいが、なかなかできない。
 これも歳のせいでしょうか。寂しいです。

 
 <平成21年6月25日 (木曜日) 晴   >              
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 権利と義務は、対として語られることが多い。
 権利を行使すると言うのなら、義務は何だろう。果たすである。
 私の年に2回の行事である義務の一つを果たしてきた。
 これで、今年のはっきりした義務は済んだ。
 義務の一つである所得税納付は、二月の確定申告で済んでおり、六月は、地方税、国保の納付である。
 私は、住民税等の公的機関への支払いは、一括払いとしている真面目(?)な人間である。

 地方税、固定資産税と支払うべき物を足し算してみると、去年より随分少ないような気がする。
 勘違いかと思い、去年の記録を出して比較すると、やはり大幅に少ない。
 「あーそうか、健康保険は10月から、年金引き落としだったな」と、
 思い出し、その分を引き算しても少ない。減税の話は聞いていないのにおかしい。
 「役人さんが計算間違いをしてくれたかな、うふふ・・」と、地方税の通知書に同封された印刷物を読む。
 なんと、地方税も10月からは、年金引き落しとある。

 「お役人さん、何を考えている。国保は、後期高齢者問題の時に、マスコミにたたかれて
 口座振込みを急遽認めたのに、所轄局が違えば関係ないのか。・・・」と、縦割り行政に不満を抱く。

 この辺までは未だ許せたが、合計したら去年より高い。収入は、ほとんど変わっていないはずだのに。
 少し腹がたった。しかし、「僕は、もう税金を払わなくても良くなった。寂しいよ」と、
 語った先輩を思い出す。 「私は、まだ税金を払える身分である。幸せではないか。」と、
 自分に言い聞かせて義務をはたす。

 さー、義務を果たした。後は権利を主張しよう。でも、国や地方に対する権利って何があるのだろう
 選挙権?。しかし、私にしてみれば、選挙は、選択を許された義務にも思える。後は何?
 高校時代に「国民は、健康で文化的な生活を営む権利を有する」と、習った覚えがある。
 何を以って文化的と言えるのか判らないが、とにかくそれなりの生活をしている。
 でも、その時、「公務員は国民の奉仕者である・・・」と、言うようなこともで習った。

 お役人さん、私達は、大した文句も言わずに義務を果たしているのです。だから無駄使いは止めて
 庶民に奉仕して下さい。国民の健康で文化的な生活のために、そして貴方も国民の一人ですよ。
 だから、権利と義務を上手に使いましょう。