思 う が ま ま に(平成21年5月)

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平 成 2 1 年 5 月


 <平成21年5月31日 (日曜日) 曇り >           
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 五月の最後の日である。雨は、昨日の夕刻から止んだようだが、重い雲が空を覆っている。

 目が覚め、いつものようにメールを開ければ、なんと、義妹からである。初物にお目にかかった。
 タイトルが弟の名前、甥の名前の頭文字の入ったアドレス、そして、差出人が義妹である。
 多分、帰省した甥の指導を受けながら、作成したのだろうが、中身はただ一言。
 ”蜂の結果をおくります”である。
 三人の合作らしいメールに、連休中に花粉付けをしたりんごの結実した写真が、添付されていた。

 この中から一番よいものが一個だけ選ばれ、秋には赤くなります。


 <平成21年5月30日 (土曜日) 雨 >           
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 表は、雨である。こんな朝はいつまでも寝ていられるが、意を決っして布団から出て、
 朝食の準備でもしようと冷蔵庫をあける。
 「本当に碁会所で夜を明けたのだろうか」と、昨夜の二人と老紳士の思いやりを、思い出す。
 折角遠路はるばる師匠を尋ねてきた握り飯君である。
 朝食でも一緒にとろうかと、碁会所に電話するが、返事がない。
 高知の彼は、師匠の居ないことを知っているのでねぐらは、準備していただろうが、
 握り飯君は、多分以前と同様に師匠の家を当てにしていたのだろう。
 「古希を迎えようとしている男だ。心配ない」と、遅い朝食をとる。

 何時もの競輪仲間から、誘いの連絡があったが、「碁を打つ」と、断る。
 午後、碁会所に顔をだすとTさんは居たが、握り飯君の姿が無い。
 「彼は?」と、聞けば、「早朝、二人で師匠の墓参りして帰ったという言う。
 どうやら、彼らは、明け方まで碁を打って、仮眠をして雨の中を多摩墓地に行ったようだ。
 誘って貰らえなかった一抹の寂しさを覚えたが、「男同士の話があったのだろう」と、
 納得して、相手を見つけて碁を打つ。

 ここで、握り飯君のあだ名の由来を書こう。
 私の知らない頃らしいが、囲碁仲間と旅行したときに、カラオケが終わった時の夜食のためと
 用意していたおにぎりを、酒の飲まない彼が、「部屋で寝ている」と言って残り、
 ほとんど食べてしまったらしい。
 それ以来、碁会所では、「握り飯」と呼ばれていた。

 
 <平成21年5月29日 (金曜日) 雨 >           
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 碁会所に顔を出すと、席亭が見慣れない後姿の男性と碁を打っている。
 その男性が振り向き「おふみさん、久し振り」と、挨拶するが思い当たらない。
 しばらく考えて思い出す。
 このずんぐりむっくりした体つきと長く濃い眉毛は、にぎり飯(あだ名)君ではないか。
 「どうしたの。 足がある?」
 「師匠とおふみさんに会いたくて東京に出てきた」
 私はどうせ師匠の”おまけ”であるが、忘れないでいてくれたのが嬉しい。
 丹波笹山からでてきたらしい。
 彼は、師匠をこよなく愛した一人であり、現役引退と同時に国に帰った。
 あれからもう10年以上になるだろう。小太りの体つきは相変わらずだが、
 引っ張りたくなるような長い眉毛には白い物が見えていた。

 私は、師匠の訃報を告げ、私の本を渡し、碁を数局打つ。
 相変わらず、碁は強い。悔しいけど歯がたたない。
 若い頃に本格的に、覚えただけあって碁の質が違う。
 碁会所も彼のいた頃とは、メンバーが相当入れ替わっているが、
 彼を知る数人と近くの居酒屋で飲むことにする。
 彼は、酒もタバコもしないが、居酒屋では、昔同様にウーロン茶と握り飯で付き合う。
 またまた、不思議である。昔の囲碁仲間の話を肴にしていると携帯電話がなる。
 なんと、一年ほど前に病気療養のために、高知に帰ったはずのTさんからである。
 Tさんと握り飯君は、若い頃からの碁仇であり、彼を迎い入れて宴会を続ける。
 酔いも回った頃、二人は、「旅館は碁会所だ」と言って、再度碁会所に行く。
 それを見て、超一流会社の元役員さんが、おにぎりとお新香を包んだ袋をもってき、
 「おふみさん、彼らに渡しな」と差し出す。
 皆、現役時代の肩書きを捨てた高齢者であり、碁が仲介した友達である。

 「碁仇は憎しも憎し、懐かし」そして
 「友、遠方より来る、また楽しからずや」の夕べであった。

   
 <平成21年5月28日 (木曜日) 雨 >           
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 梅雨の走りのような降ったり止んだりの一日である。
 ずっこけた間抜けのことばかりを書いていると、尊敬する紳士はもとより、
 多くの飲み仲間、囲碁友達に愛想がつかれてしまう。
 そうならないために、私のまじめな時もあるところを、垣間見て欲しい。

 市からの委託を受けてシニアのハローワーク的なボランテア活動を、
 しているグループ「三鷹いきいきプラス」のメンバーとの、打ち合わせに出かける。
 彼等とは、最初の立ち上げ時に少しお手伝いをした程度であり、起動に乗った段階からは、
 メールでのやり取りだけになっていた。
 私は、彼らが、
 「シニアよITを持って地域にもどろう」
 「ただならぬシニアであれ」を、モットーにしての真面目な活動に対しては、斜に構えており
 現役時代に十分働いたのだからと、「お金は入らなくても遊びを楽しみながら老いるのも人生」を、
 口にしていた。
 今回は、私の考えに賛同してくれるメンバーと一緒にシニアが談笑する場所の提供を試みることにし、
 手始めに、「いきいき囲碁サークル(仮称)」を、結成することにした。
 ITや、囲碁を知らないただのおばさん、おじさんが、集まって「遊びましょう」と、
 呼びかけるつもりである。
 囲碁は、単なる話題提供の道具として使うつもりである。
 おばさん達が相手なら、お花、お茶等があるが、私が世話役となれば出来るのは囲碁くらいである。
 街の碁会所はもとより、市のコミニティーセンタにあるクラブにも行き難い人を対象とする旨を、
 チラシやメーリングリストに謳って欲しいと、お願いして帰る。

 とりあえず場所と時間は、決まった。
   場所 三立SOHOセンター内 いきいきプラス 会議室
     (三鷹市下連雀 野村病院 隣)
   日時 当面の間、1回/月 第一金曜日 13:00~16:00
      (初回 7月3日)
   会費 無料 

 いきいきプラス始め、三鷹市役所、シニアSOHOの皆さん、 ありがとうございました。



 <平成21年5月27日 (水曜日) 晴れ >           
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 先日、飲み屋の常連さんから、「博打の話をする時は、目が輝き、活き活きしている」と、言われた。
 これって、揶揄、蔑語、どっち?。どちらにしても「知的で品位がある」のような
 褒め言葉でないことは、確かのようだ。
 しかしながら、私の脳のフィルタは良く出来ており、「楽しく飲んだよ」と、良い方に改造する。
 だから今日も博打の話になる。

 博打をしてはいけません。
 「お前の口から、こんなこと聞きたくない」ですって、
 「いえいえ、私のは、博打で無くて、政府公認の遊びです。だから誰にも迷惑を掛けていません。」

 お隣の国は、また脅しの外交をしている。
 国際社会から孤立するか、認められかと核を誇示する。
 それは、まるで、一か八かの丁半博打のように・・・

 ずーと以前、かの国の外交を、猫と同じだと思ったことがある。
 猫は、犬のように鎖で縛られていないので勝手気ままに動き回る。
 主人への忠誠心などなく、可愛がれば、つけ上がって「ニャー、ニャー」と、擦り寄り
 更なるおねだりをする。
 そして、無視したり、邪険に扱えば直ぐにすねて爪を立てる。

 将軍様、、危険がいっぱいの丁半博打でなく、猫位にしておかないと、鉄火場になりますよ。
 鉄火場は、警察の踏み込みがりますよ。そこを良く理解してください
 「馬鹿者、国と猫を一緒にするな」
 「すみません。私の幼稚な頭は、こんなものです。」
 これは,評論でも「How To」本でもないのでお許しを・・・・。


 <平成21年5月26日 (火曜日) 晴れ >           
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 今日の職場での一時のお話である
 本当は、もっとまじめな話と思ったが、結局・・・

 私の職場の湯茶は、セルフサービスである。
 10時と3時の休憩時間に飲む私のお茶は、
 斜め向かいの席にいる男性が、自分のそれと一緒に準備してくれる。
 決っして逆ではありません。だって彼は課長で、私は社長(たった一人の会社)ですもの。(笑)

 私のお茶係りの課長は、「シーケンサ○○」なんていう本を見ながら、
 隣の青年のパソコンに向かってぶつぶついっている。
 どうやらシーケンサをソフトで実現させようとしているらしい。
 ちょっと覗いてみると、画面のビットパターンを指差しながら「16、32、64・・・」
 そこで、私は「親の満貫」(マージャン用語)と、茶々を入れた。
 「喧嘩売る気?ちょっと黙っていてくれ」と作業を続ける。

 彼のアルゴリズムが実証されたのか、若い部下に簡単な説明をし終わると、
 「おばちゃん、虫がいるよ」と、私に向かって叫ぶ。
 「え!」私は、びっくりして椅子から立ち上り、足元を見る。
 「ほら、ここに"うようよ"している」と、私の画面のプログラムを指差す。
 (プログラムの誤りを、バグ(虫)と言う)
 「こら!、喧嘩を売る気? じゃ、喧嘩しましょう」
 彼は、「受けようじゃないか」と、指をぽきぽき鳴らす。
 「待って! 製造部へ行ってヘルメットを借りてくるから・・・」
 「ヘルメット位じゃ、だめだよ。僕、空手の心得あるよ」
 「やーめた。負けると判っている喧嘩をしても面白くない」
 隣のビルの5時を知らせる音楽が流れてくる。
 「おばちゃん、5時だよ」

 彼が、3時に入れてくれたコップの底に残った冷めたいコーヒーを一口飲み、流しで洗って帰る


 <平成21年5月25日 (月曜日) 雨:晴れ >           
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 悲しいかな今日は、何も書く物が無い。
 そういえば、これは、禁煙日記が始まりだったことを思い出す。
 三月に体調不良を訴えた体のためにと、ここで禁煙宣言し、約二ケ月になる。
 昨年もそうだったように、体調が戻るともうだめで、友の勧めるタバコに手が出る。
 意思の弱いやつと自分ながら飽きれる。
 きっと来年もこんな禁煙も繰り返すのだろうなー(阿呆!)

 すっかり忘れていた棚の禁煙貯金の缶を開ければ、初回にいれた1800円のままである。
 もう、禁煙を止めようと、缶の中の小銭を持ってコンビニへ行こうとする。
 しかし、なにやら後ろめたいのか、
 「どうせ自分の人生だ。食べたいものを食べ、したい事をして何が悪い」と、口実を探す。
 ところが、恐ろしいことに気が付く。
 これって、連日のようにマスコミを賑わす色々な事件の犯人の言う分に似ている。
 たかが、煙草しきりのことで、こんな「ずさん」な心になるとは・・・、
 これでは、本当に哀れなおばさんになってしまう。

 そうだ!花にしよう。「花は心を捉え、心は花を捉える」。

 
 <平成21年5月24日 (日曜日) 小雨:曇り >           
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 私にもボーイフレンドが、出来た。
 相手の考えは関係なく、自分だけ勝手に思っている。(爆)

 京王閣競輪場に向かう車の助手席に、"坊や"が居る。
 年齢もさることながら、そのぶこつな風貌は、決して"坊や"と呼べるものではないが、
 あえてここでは、"坊や"と呼ぶ。そうしなければ、おばさんのボーイフレンド物語は続かない。
 坊やは、囲碁の初心者であり、昨日、手のすいた時に指導碁をした。
 そのとき、彼が「囲碁の指導もいいが、今度競輪の指導もしてください」の言葉で今日の段取りになる。
 歳の差が私の半分ほどある若い男性からこんな話があるとは、なんと嬉しいことか。

 坊やは車に乗るとポケットから、スポーツ新聞の競輪紙面とインターネットで調べたらしい競輪の紙片
 を取り出し、いろいろ質問する。
 「馬鹿者、遊びだよ、そう真面目に聞かれても、答えられない。折角のドライブではないか、
 小雨にけむる車窓のつつじの花の話でもしくれ」
 例えばこんなふうに
 「雨に濡れるあじさいも良いが、つつじも捨てたものでないね。」です。
 そうでなければ、私の何十年ぶりかの”うきうき”したデート気分が削がれる。

 競輪場でいつもの友達に「私のボーイフレンド」と紹介するが、友は「ふーん」と一言挨拶し、
 後は「オッズ、対抗」だといつもと変わりない。
 「おいおい、ちょっと位冷やかしてくれ。私のほやほやのボーイフレンドの誕生ではないか」
 彼らは、坊やと私の事など無視し、穴車券を追い続ける。(当前ですね)

 一日競輪を楽しんで荻窪に帰る。いつものように居酒屋で飲むのであるが、「一緒に飲む?」と、
 誘えば、坊やは、「僕、妻の夕食がまずくなるので・・・」と、さっさと帰る。
 競輪場の指定席で机を共にして過ごしたのに、又もやそっけない。寂しい!
 「坊や、また競輪に行こうね。そして万車券当てようね」

 おばさんの一日限りのボーイフレンド物語は、お終いです。


 <平成21年5月23日 (土 曜日) 晴れ >           
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 いつもの休日と同じように、朝風呂に入り、掃除・洗濯を終え、遅い朝食にしようと、
 テレビのスイッチをいれる。
 突然、楽天の三木谷社長が吠えている。
 プロ野球の交流戦で何かあったのかと思えば、薬のネット販売の禁止についてらしい。
 「時代に逆行している」と、怒っている。
 当り前といえば当りまえであるのに、自分の生活スタイルから「ヘー、薬もネットで買う人が居るのだ。」と、
 思いつつ、両者の言い分をしばらく聞く。

 この件についてコメントする気はさらさらないが、「ネットで売っていない商品に何があるのだろう」と、
 思う。「せいぜい棺桶位」かと、早速、「kakaku.com」等で、調べてみる。
 さすが、棺桶単独ではなさそうだが、葬儀の一部として販売されている。
 こうなれば、私には思い当たるものがない。
 ネット市場は何でもある、これでは、三木谷社長の言い分も判る。
 いやいや、薬は生命にかかわるので、役人の「副作用などの問題がある」の説にも頷ける。

 こんな一銭にもならぬことは、どうでもいい。
 「私の薬は体操と水だ」と、パソコンゲームに画面を変更すると、電話のベルがなり、
 立ち上がって窓を見る。青い空に隣のビルに差す太陽の光に気づく。
 見つけました! ネットで売ってない物を見つけました。
 それは、青空と太陽です。
 良かったー。これで今晩もぐっすり眠れる。  


 <平成21年5月22日 (金 曜日) 晴れ >            このページのトップ     前月へ   翌月へ

 初夏の便りと同時に、、両腕の湿疹もなくなり、春先に崩した体調も戻ったようだ。
 そろそろ囲碁も勝率が良くなってくる頃だが、今日は、負けが続いた。

 相手は、「いつもの切れが無いよ。今日はどうしたの?。でも、負けてくれる篠チャン好き」と笑う。
 傍らで観戦した、若者が、「ブログに"愛する君達よ"なんて書くからだ」と冷やかす。
 読んでくれたらしい。しかし、その後の言葉がいけない。
 「篠ちゃんには、"愛"より、"武田が逃げて、山崎がまくる"方がいい」と、競輪レースの展開を話す。
 「やっぱり」 私には、「愛や恋」より「本命・対抗」「死んだ・切った」のほうが似合うらしい。(笑い)

 碁は、盤上の格闘技である。
 例えアマチャのゲームであっても、集中していなければ心の隙を突かれ勝てない。
 別に、他のことを考えながら打ったわけではないが、考えるのが面倒くさくなり、
 「多分 大丈夫」と、打った手が 致命的になり、負けである。

 情けない話です。例えゲームといえ、実力相当に考えないと、相手に失礼になる。
 「負けてくれる篠チャン好き」は、最大の皮肉だったのでしょう。
 勝負は、敵に愛されては駄目ですね! 明日は勝ちに行くぞ!


 
 <平成21年5月21日 (木 曜日) 晴れ >           
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 「金は天下の回り物」と言われるが、私は背が低いためかほとんどの金は、
 頭の上を通り過ぎて行ってしまう。

 だから、高下駄を履き、精一杯手を伸ばし滴る金を受け止め、わずかに得たお金で、日々送る。
 回りの人達も「そうだろう」と、思っている。
 ところが、漢字検定協会のお二人は、どうやら違うらしい。回ってくるお金を強引に、
 しかも法律違反までして、引き込み私服を肥やす。どうしてそんなにお金が欲しい(必要)なのだろう。
 下々の人間には、理解できない。多分、彼らも最初は、こつこつと漢字文化の畑を耕していたのだろうが、
 お金が沢山回ってくるようになってから、文化の畑を耕す喜びより、お金集めが楽しくなったのだろうか。
 これ以上のことは、多くの評論家に任せることにする。

 「お金は、寂しがり屋だから、仲間多い処に集まる」そうですが、一人一人の個人持ちの仲間は、
 少なくとも「散りも積もれば山」となる。「お金さん、庶民のところに集まってください。」
 貴方の仲間は少なくとも、貴方の価値を十分に理解していますので、寂しい思いはさせませんよ。
 そして、貴方とともに、、庶民は、豊かな気持ちになって、景気浮上のためにせっせと動きまわります。
 麻生さん!。本当に必要なところに、まわしてください。
 きっと、まんが記念館より、景気対策になりますよ。(私だけ、そう思っている?)

 <平成21年5月20日 (水曜日) 晴れ >            
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 悲しくなりました。ぼけが始まったのかなー。
 昨夜と今日、こんな小さな出来事で、続けてパンチをくらいました。(ちょっと大げさかな?)

 隣席の青年から、「この式、合っている?」と、簡単な三角関数のある数式を示された。
 ミミズの這ったような文字(ギリシャ文字)には、もう何年もお目にかかっていない。
 公式は、すっかり忘れている。
 昨夜も、飲み屋で競輪の三連単(1,2,3着を当てる)賭式について、誰かが、「組合せは幾とおり」と、
 質問する。「うーん 順列だから、エヌ・ピー・アール・・・」とつまずく。
 幸いにもそこは、飲み屋である。その上、隣の紳士は、数式など好まない。
 適当に4・5百かなと誤魔化す。真剣に思い出して計算などしようものなら嫌われてしまう。(笑い)
 思い出せなくて良かった。これで酒がまずくならないし、尊敬する紳士とも飲み仲間でいられる。
 こうして、すっかり忘れていたのに、今日の三角関数である。また、思い出す。

 もう、小学生の宿題のお手伝いは、出来なくなりました。
 折角作った数少ない脳の"しわ"は、伸びてしまったらしい。悲しい!
 同じ伸ばすのなら、顔の"しわ"にして欲しいのに・・・。

 「老化は、非可逆的である」と、言われる。すなわち、老化は戻すことが出来ないのである。
 物の本によれば、いつも情報を入力し、発信いていれば、老化防止になるとある。
 それなら、私もぼけの進行を遅らせるために、囲碁、博打、そして酒から情報を得、発信し続けよう。
 数式を忘れても小銭の勘定位は大丈夫だから、これなら、出来そうである。
 「あっちが駄目なら、こっちでいこう。右脳でも左脳でもよい」」


 <平成21年5月19日 (火曜日) 晴れ >            
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  昨日のような青空はないが、良い陽気である。
 健康のためにと、バスに乗らずに井の頭公園の中を突っ切って駅まで歩く。
 公園の木々はすっかり芽吹き、その臭いはむせるほど生々しい。

 何の変哲も無い一日であるが、世間は、インフルエンザ、政権交代だと騒がしい。
 政権交代と言えば横浜ベイスターズの大矢監督が、名目は、休養であるが、解任である。
 昨年などは、首位打者とホームラン王まで出して最下位である。
 素人の私には、不思議に思えたのですが、それがチームプレーの面白さなのでしょう。
 そして、勝負は勝ってナンボの世界であり、結果で評価される。
 その結果が悪ければ、シーズン前半でも解任ですか。厳しいですね。

 勝負は,勝たねばだめである。趣味の囲碁も同じで、いろいろの手段を施して勝ちにいく。
 情に溺れない監督交代もその一つの手段なのでしょう。上が代われば空気も変わる。
 「がんばれ!横浜」「横浜ファンの知人のためにも」と、知人の顔が浮かぶ。
 どんなに負けても、大矢監督を信じて、「今年は絶対にAクラス」
 「いつも、いい試合をするが、今一歩が・・・」と、言っていたのに。
 今度、飲み屋で会ったときは、差し出された肴のお返すに、ビールの一杯でもついであげよう。


 <平成21年5月18日 (月曜日) 晴れ >           
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 10時の休憩時間に職場のビルの屋上に出る。
 青い空の所々に薄い白い雲、そしてさわやかな五月の風である。

 昔、耳にしたうろ覚えの誰かの言葉を、拝借して、
 「愛する君よ。お金のがないので、五月の青空と、さわやかな風、そして緑の香りを君に捧げよう」
 と、気取りたくなるが、私は,これほどのレディー(淑女)ではない。
 しかし、誰かに何かを捧げたくなるほど、すがすがしい。

 だから、私は、ありあわせの物で誤魔化す。
 「愛する大勢の君よ(単数でないのが寂しい!) 私の故郷のりんごの花の写真をどうぞ。
 そして、藤村の「初恋」の一節をつぶやきたもうれ。
 ”まだあげ染めし前髪の 林檎のもとに見えしとき・・・”」

 連休中の写真ですので、今頃は、花心に小豆位の小さな実を、つけていると思います。

 <平成21年5月17日 (日曜日) 曇り >            
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 目が覚めると表は、少し雨模様であり、玄関先から濡れ防止シートに包まれた新聞をとる。
 日曜日のためか新聞はぶ厚い。トップページに「国内感染8人・・」、
 その横に「民主党代表 鳩山氏」とある。
 昨夜、ニュースを聞いたときは、 「どうせ、小沢さんが院政を敷くのだろう」と、感じていた。
 そして今朝、新聞の鳩山さんの写真に目を移すと、麻生さんの顔が重なる。
 あれ!、二人とも私の若い頃の総理大臣の孫ではないか。彼らが次期政権獲得でぶつかる。面白い!
 残念!新発見と思ったが、数分後のテレビでは、それを報じている。
 「お前の気が付くことぐらい、誰でも思う」
 「そうですよね。これが、私だけなら、今頃は、荻窪でなく永田町にいます」

 新聞を読みながら友人に電話し、京王閣に行くことにする。
 やはり、私には、永田町より、「本命・対抗・穴」のある博徒町がいい。
 あそこは、当たっても、当たらなくても、「あー、面白かった」と、一日過ごせる。
 今日の京王閣は、昼間の場外競技のテレビ観戦の賭けと、ナイター競技がある。
 友達は、ナイターもすると言うが、私の生理は、テレビ観戦だけで、
 「もう十分」と訴えるので、彼らを残して帰る。
 まあ、彼らは、私以上に博打町が好きらしい。

 最後に、今日の決算をする。
 儲かった。敵のゲームの理論(?)に勝った。一日遊んで4000円も稼いだ。
 国会議員のみなさん、永田町より住み心地がいいですよ。(笑い)


 <平成21年5月16日 (土曜日) 晴れ >           
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 重い腰を上げて、この日記のデザインを整理する。
 最初は、禁煙日誌のつもりだったので、検索キーが何日目であったが、日付検索を可能にした。
 昨日の話にあるように、読んで下さる方の立場に、なるべきですね。
 自分の遊びだから、「どうでも良い」と考えていたのは、世間に対する甘えでした。

 午後は、お決まりのコースで、碁を打ち、そして飲み屋で常連さんと談笑する。
 ママは連休中に腰を痛めたとかで、なかなか出て来ない”つまみ”が、益々遅い。
 だから、退屈まぎれの話は、より盛り上がる。
 特に、今日は四面道の若旦那が居るせいか、いつになく、話に花が咲いている。
 「今日のお相撲は、どうだった?」
 「みんな勝ったよ」
 え!。おかしいな、半分は負けているはずだのに・・・
 ここでは、そんな理屈は不要です。

 動物の中で、「笑う」のは、人間だけであるそうです。
 今朝は、友人の勘違いから発生したメールで笑い、
 碁会所では、牛ちゃんの打つ手を、ダシにして笑い、
 そして、夜は四面道の若旦那の語録で笑う。
 笑いは、消化を助けてくれます。

 <平成21年5月15日 (金曜日) 晴れ >           
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 通常、金曜日には、出社しない予定であるが、  4月に納品したシステムの操作説明会に、出かける。
 納品時に、検収を兼ねて説明しておいたので、技術部などの若い人は、
 ある程度試行できたが、親会社を定年退職し、回ってきた部署の人達には無理だったらしい。
 まして、今回のように「上意下達」の多部門に亘る一連作業の電子化であれば、尚更である。
 年金支給までの繋ぎの仕事であり、現状を維持し、つつがなく終わりたい気持ちが見える。
 その上、慣れないパソコン操作である。拒否反応が出て当たり前である。
 どうしたものか・・・

 「ただならぬシニアであれ」を、モットーとしている私の知人がいる。
 彼は、有言実行し、定年後を地域社会のコミニティー活動に活躍している。
 「”ただなら無く”ても良いが、銭を貰っているのだ。もうちょっと前向きになってくれ」と、 言いたくなる。
 しかし、私もこれで銭を貰っている。
 「判からない時は、いつでも連絡ください。老人同士ですよ」と、思う。そして同時に
 「気を付けたつもりだったが、専門家の目線で物を作ってしまったのかなー」と、感ずる。
 来週は、取説の言葉と操作方法を見直そう。

 これでは、飲みながらの会話とはいえ、「上からの目線で考えてばかりいる。庶民の目線に立て」と、
 政府の批判が出来なくなる。反省・・・
 何処かの線が欠けているおばさんの脳も、時々、まとも(?)に成るようです。(一安心)    

 <平成21年5月14日 (木曜日) 晴れ >           
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 昨夜、日記を書いていると、知人からのメールが飛び込んできた。
 内容は「笑いをふるまう親爺」の本の書評(感想ではなく、まさしく書評)である。
 これまでの多くの知人からの単純な感想とは違って、秀才の彼らしく理論整然と記述されている。
 「うむー」 道楽で作ったあの拙い文章から、ここまでのことを洞察し、述べている。私には出来ない。
 ただただ、日頃の会話同様に、「さすがー」と思うと同時に、「売れない本」のために、
 オンライン書店の書評欄にでも書いて欲しいなー」などと、直ぐに銭勘定を考える。
 知識も心も豊かでない単純おばさんは、国家社会・経済・文化でなく、何もかも現実に結び付ける。(苦笑)

 少し長文の最後にPS欄があり、このサイトについて「オタッキー」とある。
 「オタッキー」という言葉は、既に死語かと思っていたのに、こんな処に飛び出す。
 今までに「オタッキー」などと、言われたことも無ければ、自分でも思ったこともない。
 なにやら、自分も気づいていなかった恥部に、触れられたようでおもはゆい。
 そこでインターネットで、「オタッキーって何だったけ」と、検索してみると
 「オタッキー度検定」なんていうサイトがある。
 ちなみに、いくつかの質問にレ点を入れて「測定」ボタンを押すと、なんと100%とでる(笑)

 「まあ、いいか!」「どうにかなるさ!」と、自分の身の丈で適当に判断し、行動する「いいかげん」な
 生き様が、閉鎖的なのでしょうね。それが、この1ヶ月の日記に顔をだした。?

 一通のメールが、、自分の日頃の行動や考え方にチクリと刺さる。少し、慎むかな。
 しかし、読み返してみれば、「これは、私の文ではない」「私は、生来幼稚な人間である」と・・・
 私には、難しいことは出来ない。「まあ、いいか」「なるように成るさ」が、相応しい。
 でも、私は、世間も人間も好きですよ。特に男性が好きですよ。だって、老いても女です。(爆)
 だから、明日からも、財布同様の空っぽの頭で、囲碁と博打と酒の中で、ずっこけて笑っているでしょう。

 <平成21年5月13日 (水曜日) 晴れ >           
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 長い休みで訛りきった脳は、なかなか戻らない。生まれつき訛っていたのかな?
 もしかしたらこの儘、ずーと戻らないかもしれない。
 そうでないこと期待しながら、仕事を早々に引き上げる。

 電車の中でかばんを開けてみれば、投函しないで数日持ち歩いている封書が二通もある。
 困ったものである。「ぼけ」が始まったのかな?
 その中の一通は、区役所への国民健康保険料の支払い方法についてである。
 今年からは、通知書払いがなくなり、口座からの引落しを希望しないかぎり、
 年金からの自動引き落しになるそうだ。
 私は、現役を引退したときに、「これからは、暇になる。する事を残しておこう」と、
 通知書払いにしておいたのに・・・
 「おばさんの仕事を奪うな!」

 確かに、年金からの自動引落しは、役所にとっては徴収漏れも無く、経費節減にもなるでしょう。
 この制度の導入に当たっては、「費用対効果」を算出し、決定したのでしょうが、
 その効果測定項目の中に、老人が、”書類の数字を読み、お金を数え、そして支払い作業をする”と、いう
 脳の活性化が無かったのでしょうか。
 役所は、認知症予防とかなんとか言っておりながら、一方では、認知症促進を図っている。

 だから、私は「引き算位は、自分でするよ」と、ささやかな反発で、口座払いにした。
 そうすれば、確定申告の時には”足し算”も出来る。
 「嘘つけ、エクセルに任せているくせに!」ですって、
 「まあ、まあ、その辺はお手柔らかに・・・」と、握手して終わりましょう。

 <平成21年5月12日 (火曜日) 晴れ >                      
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 今日の日記は、「小沢一郎代表辞任に対する所感」でも書こうかなーと、思いながらビールを口にする。
 「あれ!。美味しくない。どうして?」
 何時もなら一杯目のビールは、「美味しいー。グイ」と、飲みこむのだが、今日は違う。
 「そうだ、あのケーキのせいだ」
 四時ごろ、ネット囲碁のお友達と三鷹の喫茶店で談笑したとき、
 メニューの写真に、目が惚れてチョコレートケーキを食べた。
 帰りの電車の中で胃もたれを覚え、散歩までして夕食時間をずらしたのに・・・

 歳を感じました。
 若い頃は、ケーキと食事は別腹と言って平気だったのに、年齢は体質を少しずつ変化させていく。
 若い人が、ダイエットのために食事制限をしているが、無理にすることは無いでしょう。
 歳をとれば自然に食べれなくなりますよ。食べれるときに食べておきなさい。
 どんぶり飯の食べれるのも今ですよ。大食い競争のような「馬鹿食い」でなければ食べましょう。

 人間も動物の一種である。本当にそう思う。
 「甘い物を欲しいなー」と思うときは、疲れている体が要求する。
 人間も他の動物と同じように、必要なエネルギー以上は求めない。
 医者でないから、この理論(?)が正しいかどうかは、判らないが、私なりの結論である。

 もう、食べ物もお金も必要以上の物は、いらなくなりました。
 「悟りの心境」とまではいかないが、一つのケーキから、「なすがまま」を覚える。

 <平成21年5月11日 (月曜日) 晴れ >           
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 半月ぶりに仕事場に顔をだし、まずは、溜っていた書類やメールを整理する。
 仕事へのエンジンは、なかなか係らない。
 そんな状態だのに、「待ってました」とばかりに、幾つかのシステムトラブル相談の連絡が入る。
 自分の存在を認めて貰って嬉しいのやら、面倒くさいのやらと複雑な気持ちになる。
 「取説を読め」と、言いたくなる相談もあるが、とにかく対応する。仕方がない。
 小遣い稼ぎと起業し、高い家賃を払うよりと、長年付き合っていた会社に机とパソコンを置かせて貰い、
 適度の仕事を頂いている個人企業である。

 バタバタしているうちに昼休みになり、自宅へのメールを個人管理サーバから覗く。
 早朝に出したメールの返事が、奈良の紳士から届いている。
 「連休中に奈良の由緒ある神社仏閣を訪ねたが、娑婆に未練があるのか、うんぬん・・・」と書かれている。
 いつまでも娑婆に未練を持つのが、当たり前で、それが凡人の生きる知恵ですよ。
 立派な紳士に向かって「凡人」呼ばわりは、失礼かな?。お許しください。

 「娑婆」に未練があればこそ、「賭場」に楽しみがあるのです。(笑い)
 「娑婆」と「賭場」も、「ドロップにストップ」「向う脛に義経」と同じである。
 私の知り合いに「ドロップにストップ」「向う脛に義経」と、いう言葉の好きな親爺(故人)がいました。
 彼は、「似たもの同士」および「月とすっぽん」のように全く異なる物の例え話の時に重宝に使っていました。
 私もこれからは、「娑婆と賭場」を重宝に使おう。
 こんなふうに
 「それは、娑婆と賭場くらいの大きな違いだよ」
 「そうよ。娑婆と賭場と同じで、似たようなものだ」

 紳士、ありがとう。久しぶりに言葉遊びを、させていただきました。
 「娑婆」の語呂から「賭場」を、連想してしまった博徒おばさんを寛大に・・・。
 最後はどっちで閉めよう。お任せする。
 「ゴーン」寺院の鐘の音色。「ジャラジャラ」換金の小銭の音。

 <平成21年5月10日 (日曜日) 晴れ >           
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 有難いものです。
 昨日、東京に戻ると「生きていますか」のメールが仕事関係の仲間から数通ある。
 そして、今日、久しぶりに碁会所に行くと、「お帰りなさい」と、皆さんが挨拶してくれる。
 「東京の方が、友達が居ていいだろう?」と、仲間は、私の帰りを待っていてくれました。
 歳のせいか、こんな一言で「ほろり」とくる。

 午前中は、旅の汚れ物の洗濯と数日さぼったこの日記を整理する。
 日記に写真などを挿入していると、「私の連休は、終わった」と実感し、  明日からの仕事を思い出す。
 たしか、新規に受注している物件はないはずであるが、「メールには11日は必ず出社せよ」とある。
 休み前に提出した「見積書」の物件かな。もう余り大きな仕事をしたくないが、
 工程に対する私の希望を聞いていただけるのなら、遊び代を稼ぐことにしよう。
 「生活」と言う文字は、「生きる」と「活きる」から成るが、年金は「生きる」を保障してくれるが、
 「活きる」までは無理である。
 そこで、「活きる」のために少し仕事をしよう。

 だんだんと、心はいつものパターンに戻ってきました。  

 <平成21年5月9日 (土曜日) 晴れ >           
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 久しぶりに太陽のでた朝である。
 早朝、風呂から上がってくると、弟が「これ持って行け」と手に竹の子をぶら下げている。
 東京へ帰る予定である。
 山菜は、私でも摘むことが出来るが、竹の子は無理と思ったのか掘ってきてくれる。
 居候としては、皆の手を煩わしたくないと思っており、竹の子は、予定していなかった。
 子供の頃は、喧嘩ばかりしていたのに、歳をとると優しい(笑い)
 家からざると包丁を持ってき、こごみ、うど、など摘む。にらを手で摘んでいるとまたまた弟が、
 鎌で「ばっさ、ばっさ」刈り取る。
 「これの方が早い、あとで雑草とより分けろ」
 雑草の中に生えているからより分けるのが大変であるが、なるほどー・・・

 「採るのが楽しくて」といえば、格好良いが、欲もからんで沢山摘む。
 車の前に並べると八百屋ができそうである。どうしようー(爆)
 師匠(囲碁の)が生きていたときは、碁会所の仲間と山菜パーテーをしたが、もう出来ない。
 思い出しました。沢山いた叔父・叔母でただ一人になった90歳位の叔母が横浜にいる。

 東京に戻り、少し休憩し、横浜にむかう。
 叔母の家で、「亡きおジーちゃんの実家の山菜だよ」と言って従姉妹達と食す。

 私の連休も、明日一日になりました。
 長い休みにと思っていた「ずっすりとした重い本」には、とうとう手付かずに終わりました。
 やっぱり!(笑)

 <平成21年5月8日 (金曜日) 曇:時々晴れ >           
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 蜂になりました。
 弟夫妻が準備してくれた、耳掻きの頭のような綿棒に細い竹を繋いで長くした道具をもって、
 りんご畑に車で向かう。
 花一輪毎に、花粉をつけた綿棒でたたく。
 「おばちゃん、適当でいいからね。いつもの歳はしないのだから・・・」
 「うん、”三とこ、半とこ”だよ」
 「”三とこ、半とこ”だと8割だぞ。そりゃ大したものだ」など、会話しながら二時間ほど作業する。
 「疲れた。残りと高い所は、明日俺がするから帰ろう」と、弟の合図で作業は終わる。
 りんご作りは、これからが忙しい。自然を相手にし、「花摘み」「てっか」「袋かけ」と作業が続く。
 「しょうちゃん、これで秋には、幾らになるの?」
 「判らない。売ってみないと、その時の相場だから・・・」
 ”随分のんびりした商売だなー”と、思いながら車に乗る。

 訛りきった私の体は、少し疲れを訴えたので、昼風呂を浴び、一眠り。


 <平成21年5月7日 (木曜日) 曇:小雨 >           
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 りんごの花は、やっと咲き始めたばかりである。
 今年は、蜂が少なく、弟は、「今日は蜂になる(人工花粉付け)予定だ」と言ったが、天候不順で中止する。
 降ったり止んだりの天気の中、近くの野原で一握りの蓬を摘み、妹と草団子を作る。
 あずきは、昨夜、「草もちを作りたい」と言った、私の言葉で、妹が既に準備してくれてあった。
 米の粉(上新粉)を湯で溶き、丸めて熱湯でゆでる。そして、一湯でした蓬をい入れてこねる。
 手を真っ赤にしながら、「買ったおもちのような形にする?」、「ううん。かーちゃんの形のほうがいい」
 「我が家独特な形ね」と、言いながら餡子を草もちに塗りつける。
 我が家の草もちは、ちぎったもちを軽く握り、指の後を残し、そこに餡子を塗るつける。


 夕食後、風呂に行くと近所のおばさんと一緒になる
 「ふみちゃん、今晩は”団子撒き”だよ」と、言われ、気づく。
 そういえば、今朝から大湯(共同風呂)に紅白の幕が飾れてあった。
 故郷を離れて約五十年になる。まだそんな祭りが残っていたのだ。懐かしい!。行ってみよう。
 私の田舎では、春と秋に「温泉まつり」と言って小さな薬師堂で、坊さんのお経とお説教を聴き、
 お経のバックグランドミュージュック(?)で数珠をまわし、最後に団子を祭りの世話役さんが投げる。
 参拝者(主に子供達)は、それを拾い集める。温泉祭りの前夜祭の行事である。
 こんな祭りに遭遇することを知っていたら、子供達が村を回り、お米を集め、
 そして前日は、村の当番宿で隣近所のおかーさん達が団子をつくる。
 残念!。それも味わいたかったのに・・・

 それにしても驚きました。40軒足らずの集落だのに、子供達が沢山いる。
 昨今は、限界集落と言う言葉を耳にする。私の故郷も当然と思っていたのに、びっくり!
 弟に、「旅館のお客?」と聞くと、「違う。あの子は、誰々の孫だよ」と言う。
 私が野山を駆け巡った頃の友達の孫や甥子が、ほとんどであった。
 子供達の団子を拾うスタイルは、身なりこそ立派になっているが、私の子供のころと変わっていない。
 私も、子供達に負けないように、真剣に拾う。50年前の童心に帰る。




 <平成21年5月6日 (水曜日) 曇:小雨 >           
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 早朝、鶯の声を聞きながら、風呂桶と着替えを持って風呂にいく。
 湯船からあふれる湯は、足の裏を焼けどさせそうなほど熱い。急いで水をたっぷり入れる。
 誰もいない風呂に一人したり、ぽかぽかした気分で表にでると、
 「おばちゃん、温泉卵を作りに行こう」と、妹の声である。
 昨夜、誰かがインターネットに載せた故郷の写真を見せて「ここどこ?」と尋ねた所に案内された。
 なーだ 行ってみれば子供のころ遊んだ源泉場である。写真にすればなんと素晴らしい。
 三つの共同浴場への分配用の湯枡に、卵をつける。
 出来上がるまでの時間を、大観さん(元横山大観の別荘)の庭を散策する。
 手入れがされていないためか、随分荒れているが、子供の頃の遊び場の形状はそのままである。
 五十年の歳月が、止まったような空間である。
 当然、温泉卵は、朝食のおかずの一品である。

 うすら寒さも手伝って、午前中に二回、午後二回、そして寝る前にもう一度風呂に入る。
 こうなれば、石鹸など必要ない。誰もいない大きな湯船で、手足を精一杯伸ばす。
 泉質は、温泉特有の硫黄臭さもない無色透明である。舐めてみれば少しショッパイ。
 これが私の「産湯」だったのでしょう。(笑い)

 実家から10数メートルの所にある「林芙美子記念館」の前で、白い藤をみました。
 藤は紫とばかり思っていたのに、珍しいですね。



 <平成21年5月5日 (火曜日) 晴;曇り >           
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 故郷の温泉に浸かり、墓参りと、のんびりする。
 昨日の日記を書こうと、義妹のパソコンにむかう。
 ネットに繋がらない。いろいろ試みるがつながらない。
 「ルータ」「無線LUN」の接続をチェックするが、当然、全て正しい。
 ソフトの設定を、変えてしまった?。でも、おかしな所がない。
 今回は、義妹のパソコンを当てにし、モバイルPCを持参しなかった事を悔いる。
 仕事から帰った妹に聞くと、「10日前頃から接続出来ない。東京の息子(甥)に電話してくれ」と言う。
 甥といくつかの会話をしながら復帰させる。
 やはり自分で世話をしているパソコンであるらしく、癖を知っている。
 PCも生き物みたいに性格があり、怠け心をもたげたらしい。

 PCの復帰に安心し、一風呂浴び、近くの野原のような畑で摘んできた山菜のてんぷらで飲む。
 こごみ、山うど、わさびの葉、アスパラ、タラの芽をてんぷらにし、土の匂いがぷんぷんするニラの卵とじ。
 何もかも寸前に摘んだできたものである。栄養はなくとも新鮮さが栄養になる。(本当?)
 野菜づくしの夕食をしていると、パソコンなど、どうでもよくなる。
 義妹は、「おばちゃん、菜っ葉ばっかりでごめんね。東京でおいしいもの食べて」と、言ってくれるが、
 私には、これが一番いい。何故なら、子供の頃の春の味である。
 田舎にいる間に、蓬でも摘んで、草もちでも作ろう。



 <平成21年5月4日 (月曜日) 晴 >           
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 千円高速料金の渋滞を避け、午後から東京を離れることにする。
 準備完了と思った時、ベランダの花を思い出し、
 「そうだ、いけない!一週間ちかくも水をあげないと枯れてしまう。」
 駐車場のあばさんに、預けてお願いしようかな、それとも風呂桶の底に水をはって・・・
 うむー。結論をだしました。
 故郷まで連れて行き、実家の花壇の隅にでも植えてこよう。
   「紳士、ごめんなさい。貴方からのお花を東京に戻ったら、毎日、愛でることが、出来なくなります。」
 花が咲いているうちは、大切にするかも知れませんが、散ったあとは、不精者の私だから、きっと・・・。
 「生きているものを、無残に殺すことは、出来ない」と、勝手に理由付けをする。

 あじさいの花を車から降ろし、「何処にしよう」と、数々の花の咲いている実家の花壇を眺める。
 丁度、土を掘り起こしたばかりの一角がある。
 「ここにしよう」と、鉢をはずし、バケツ一杯の水を使って植える。
 そこへ戻ってきた弟は、「先に使われてしまったか」と、その隣に鍬を入れる。
 どうやら、彼が何かに使う予定の場所だったらしい。  姉は、強い。

 きっと、深い雪にも耐えて、来年の今頃は芽吹き、そして咲いてくれるでしょう。



 <平成21年5月3日 (日曜日) 晴 >           
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 いつもの休日と何の変わりもなく、朝風呂に入り、掃除・洗濯などの午前中である。
 午後は、NHKの囲碁番組を見、碁会所・・・。 変化のない一日である。

 夕刻、近くの食堂によると、客は久しぶりの友人が一人、
 彼は相当出来上がっており、空の徳利を前にしてマと談笑している。
 ママが、私が顔をだすと、「あれ!、温泉ではなかったの?」
 「明日からね。ママは11日からお休みでしょ?、ママの休み明けまで、しばらく会えないね」
 このお店は、定休日がなく、お芝居や、旅行などで、休む予定日をカレンダーに赤印がしてある。
 今月の予定は、海外旅行らしく数日連続的に赤くなっている。
 「それが、キャンセルになったの。新型インフルエンザで、幹事が中止したの」

 この連休は、新型インフルエンザが話題の中心になっているが、「こんな所にも影響しているんだ」
 確かに未知のウイルスだから怖いと思うが、死亡率からすれば、結核や交通事故の方が、多いはずでだ。
 それだのに、マスコミの報道と、政府(桝添大臣)の狼狽した深夜のコメントが不安を募らせる。
 まずは、お国が、ドンーンと構えて、「考えられる全ての対応・対策を施するから・・・。」と、言って欲しい。
 そうすれば、国民は、お国を信じ、「手払い」と「うがい」を、励行しますよ。

 初夏の香りを肴にして、ビールを飲むおばさんの独り言。おわり。  

 <平成21年5月2日 (土曜日) 晴 >           
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 音痴の私でさえ「夏も近づく八十八夜・・・」と、歌いたくなるような気持ちの良い季節になった。
 午前中、善福寺川のほとりを、ぶらーり、ぶらりと、家々の軒先に咲く花を見ながら散策する。
 ジョキングする人、犬を連れて散歩する人、そして、
 「おはよう」と挨拶する人、無言で過ぎる人、「邪魔だ」と言う人、いろいろな人とすれ違う。

 小一時間ほど歩いただろうか、日頃の運動不足がたたり、体は、喉の渇きと疲れを訴えだした。
 商店街に向かい、行きつけの喫茶店に立ち寄る。
 差し出された水を、「うんー、旨い」と、一気に飲み、スポーツ新聞を読みながら・・・
 最後は、駅前のマーケットで新茶を買い、家に戻る。

 ここは、新型インフレエンザ、高速道路の渋滞などとは、全く無縁の空間でした。
 「まー、なんと素直な一時なのだろう!」
 ついでに、あの生々しく、甘い新茶の香りを、舌に乗せよう。(ちょっとキザかな?)



 <平成21年5月1日 (金曜日) 晴 >           
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 五月一日です。今日は、メイデーですよね。最近も代々木公園あたりで祭典をやっているのでしょうか。
 全く聞きませんね。私の若い頃とは随分変わったようです。
 製造会社に勤務していた私は、29日〜5日の連休の中間で、労働組合の狩り出しから逃れていました。

 私の長いGWも一週間たち、始まる前は「あれもしよう。これもしよう」と考えていたのですが、なかなか・・・
 ただ、一番の大物である大掃除だけは、済ませました。
 後は、小物だからぼちぼちと 考えるが、後半は故郷の温泉でのんびりになりそうです。
 人は、忙しい時ほど、寸暇を惜しんで、「よく学び、よく遊ぶ」と言いますが、本当ですね。
 暇だと、つい先送りしてしまいます。「先送り」の得意な政府と同じ?(笑い)

 しようと思っていた一件について、友人から電話があり、
 「どうしよう」「諦めて連休明けにしようか」と、長電話です。
 若いころは、「思った時が吉」と直ぐに行動したのですが、互いに歳をとると腰が重くなります。
 終に、完全先送りに決定です。こんなことをしていたら益々老けてしまうではありませんか。
 こうして、人は行動範囲を狭めていく。寂しいー!。    

 <平成21年4月30日 (木曜日) 晴 >                       このページのトップ

 この日記を書き始めて約1ヶ月になる。
 はじめは、禁煙日記のつもりが、数日書いているうちに楽しくなり続いた。
 我ながらびっくりしている。仕事が暇になると、こんな楽しみも見つけるもんだと改めて知る。

 過去の文章を読み直すと、自画自賛したくなるほど良い文と、消去したくなるような文が混在している。
 これが素人の文だ。だから、削除は止めることにする。
 それにしても、私の文章は、子供の作文みたいに幼稚である。どうして、硬い文章が書けないのだろう。
 本職のシステム仕様書は、理詰めに書けるのに・・・。(本人は勝手に思っている?)
 生来のお茶らけ人間のせいか、それとも、思考力の貧弱のせいか。
 どちらでもいい。商売ではない。何もこの歳になってまで背伸びの必要性はないでしょう。
 思うがまま、素直に書こう。それならこれからも続きそうである。


 話は変わるが、ひょんなことから私の故郷のサイトを見付けた。覗いて見てください。
         角間温泉大湯
 私は、この大湯のそばで育ち、「大観さん」(私たちはこう呼んでいました)は、遊び場でした。

 <平成21年4月29日 (水曜日) 晴 >                       このページのトップ

 「昭和の日」だそうです。今日も「晴れ」の特異日だけあって、抜けるような青空である。
 確か数年前までは、「緑の日」だったと記憶するが、
 緑の日は、来月4日になり、昭和天皇の誕生日が「昭和の日」になったとか。
 それにしても、11月3日が明治天皇の誕生日で「文化の日」である。
 あれあれ、大正天皇の国民の祝日がない。
 まあいいか。基準は判らないが、これから和暦の代わる毎に祝日が増えたら、
 どの位で、毎日が国民の祝日になるのだろう。
 うむ!「平均50年の在位、年52週で土日を除いて」と、考えて・・。
 だめだ! 両手・両足の指では計算できない。止めよう。

 私の60余年の人生で一番楽しかった時代が、昭和であった。
 戦争は、小さかったので記憶にないが、
 東京オリンピック、経済の高度成長期と若い時のことが脳裏を横切る。
 私にも青春がありました。 あの頃が懐かしいなー
 

 <平成21年4月28日 (火曜日) 晴 >                       このページのトップ

 禁煙日誌が転じて日記になってしまった。
 タイトルとページの組み直しを、しなければと思うが面倒くさい。
 しばらくこれでいこう。 所詮は、私の暇つぶしの遊びである。
 現役時代の仕事なら設計変更であって、周りに迷惑をかけるが、遊びとなれば気楽なものである。

 この日記もいつまで続くか判らない。今日など何も書くことが見あたらない。
 しかし、これも見方によっては”よい事”かも知れませんね。!
 だって、「太陽が東から昇り、西に沈む」ように一日が、自然の摂理に従って終わったということですよ。
 「感受性の乏しくなった老人だ」と、哀れに思われても仕方がありません。

 「朝の目覚めに一日の始まりを喜び、そして、夜、眠るときに一日に感謝する」
 なんていう聖人君主では無いので、何も感じず、ただただ呼吸をしているだけある。
 若ければ、「こんな人生、詰まらないよ」と、思うかもしれないが、今は「これでいい」と、納得する。

 「愛も恋も」忘れたおばさんの一日である。