<平成21年5月31日 (日曜日) 曇り >
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五月の最後の日である。雨は、昨日の夕刻から止んだようだが、重い雲が空を覆っている。
目が覚め、いつものようにメールを開ければ、なんと、義妹からである。初物にお目にかかった。
タイトルが弟の名前、甥の名前の頭文字の入ったアドレス、そして、差出人が義妹である。
多分、帰省した甥の指導を受けながら、作成したのだろうが、中身はただ一言。
”蜂の結果をおくります”である。
三人の合作らしいメールに、連休中に花粉付けをしたりんごの結実した写真が、添付されていた。
この中から一番よいものが一個だけ選ばれ、秋には赤くなります。
<平成21年5月30日 (土曜日) 雨 >
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表は、雨である。こんな朝はいつまでも寝ていられるが、意を決っして布団から出て、
朝食の準備でもしようと冷蔵庫をあける。
「本当に碁会所で夜を明けたのだろうか」と、昨夜の二人と老紳士の思いやりを、思い出す。
折角遠路はるばる師匠を尋ねてきた握り飯君である。
朝食でも一緒にとろうかと、碁会所に電話するが、返事がない。
高知の彼は、師匠の居ないことを知っているのでねぐらは、準備していただろうが、
握り飯君は、多分以前と同様に師匠の家を当てにしていたのだろう。
「古希を迎えようとしている男だ。心配ない」と、遅い朝食をとる。
何時もの競輪仲間から、誘いの連絡があったが、「碁を打つ」と、断る。
午後、碁会所に顔をだすとTさんは居たが、握り飯君の姿が無い。
「彼は?」と、聞けば、「早朝、二人で師匠の墓参りして帰ったという言う。
どうやら、彼らは、明け方まで碁を打って、仮眠をして雨の中を多摩墓地に行ったようだ。
誘って貰らえなかった一抹の寂しさを覚えたが、「男同士の話があったのだろう」と、
納得して、相手を見つけて碁を打つ。
ここで、握り飯君のあだ名の由来を書こう。
私の知らない頃らしいが、囲碁仲間と旅行したときに、カラオケが終わった時の夜食のためと
用意していたおにぎりを、酒の飲まない彼が、「部屋で寝ている」と言って残り、
ほとんど食べてしまったらしい。
それ以来、碁会所では、「握り飯」と呼ばれていた。
<平成21年5月29日 (金曜日) 雨 >
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碁会所に顔を出すと、席亭が見慣れない後姿の男性と碁を打っている。
その男性が振り向き「おふみさん、久し振り」と、挨拶するが思い当たらない。
しばらく考えて思い出す。
このずんぐりむっくりした体つきと長く濃い眉毛は、にぎり飯(あだ名)君ではないか。
「どうしたの。 足がある?」
「師匠とおふみさんに会いたくて東京に出てきた」
私はどうせ師匠の”おまけ”であるが、忘れないでいてくれたのが嬉しい。
丹波笹山からでてきたらしい。
彼は、師匠をこよなく愛した一人であり、現役引退と同時に国に帰った。
あれからもう10年以上になるだろう。小太りの体つきは相変わらずだが、
引っ張りたくなるような長い眉毛には白い物が見えていた。
私は、師匠の訃報を告げ、私の本を渡し、碁を数局打つ。
相変わらず、碁は強い。悔しいけど歯がたたない。
若い頃に本格的に、覚えただけあって碁の質が違う。
碁会所も彼のいた頃とは、メンバーが相当入れ替わっているが、
彼を知る数人と近くの居酒屋で飲むことにする。
彼は、酒もタバコもしないが、居酒屋では、昔同様にウーロン茶と握り飯で付き合う。
またまた、不思議である。昔の囲碁仲間の話を肴にしていると携帯電話がなる。
なんと、一年ほど前に病気療養のために、高知に帰ったはずのTさんからである。
Tさんと握り飯君は、若い頃からの碁仇であり、彼を迎い入れて宴会を続ける。
酔いも回った頃、二人は、「旅館は碁会所だ」と言って、再度碁会所に行く。
それを見て、超一流会社の元役員さんが、おにぎりとお新香を包んだ袋をもってき、
「おふみさん、彼らに渡しな」と差し出す。
皆、現役時代の肩書きを捨てた高齢者であり、碁が仲介した友達である。
「碁仇は憎しも憎し、懐かし」そして
「友、遠方より来る、また楽しからずや」の夕べであった。
<平成21年5月28日 (木曜日) 雨 >
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梅雨の走りのような降ったり止んだりの一日である。
ずっこけた間抜けのことばかりを書いていると、尊敬する紳士はもとより、
多くの飲み仲間、囲碁友達に愛想がつかれてしまう。
そうならないために、私のまじめな時もあるところを、垣間見て欲しい。
市からの委託を受けてシニアのハローワーク的なボランテア活動を、
しているグループ「三鷹いきいきプラス」のメンバーとの、打ち合わせに出かける。
彼等とは、最初の立ち上げ時に少しお手伝いをした程度であり、起動に乗った段階からは、
メールでのやり取りだけになっていた。
私は、彼らが、
「シニアよITを持って地域にもどろう」
「ただならぬシニアであれ」を、モットーにしての真面目な活動に対しては、斜に構えており
現役時代に十分働いたのだからと、「お金は入らなくても遊びを楽しみながら老いるのも人生」を、
口にしていた。
今回は、私の考えに賛同してくれるメンバーと一緒にシニアが談笑する場所の提供を試みることにし、
手始めに、「いきいき囲碁サークル(仮称)」を、結成することにした。
ITや、囲碁を知らないただのおばさん、おじさんが、集まって「遊びましょう」と、
呼びかけるつもりである。
囲碁は、単なる話題提供の道具として使うつもりである。
おばさん達が相手なら、お花、お茶等があるが、私が世話役となれば出来るのは囲碁くらいである。
街の碁会所はもとより、市のコミニティーセンタにあるクラブにも行き難い人を対象とする旨を、
チラシやメーリングリストに謳って欲しいと、お願いして帰る。
とりあえず場所と時間は、決まった。
場所 三立SOHOセンター内 いきいきプラス 会議室
(三鷹市下連雀 野村病院 隣)
日時 当面の間、1回/月 第一金曜日 13:00~16:00
(初回 7月3日)
会費 無料
いきいきプラス始め、三鷹市役所、シニアSOHOの皆さん、 ありがとうございました。
<平成21年5月27日 (水曜日) 晴れ >
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先日、飲み屋の常連さんから、「博打の話をする時は、目が輝き、活き活きしている」と、言われた。
これって、揶揄、蔑語、どっち?。どちらにしても「知的で品位がある」のような
褒め言葉でないことは、確かのようだ。
しかしながら、私の脳のフィルタは良く出来ており、「楽しく飲んだよ」と、良い方に改造する。
だから今日も博打の話になる。
博打をしてはいけません。
「お前の口から、こんなこと聞きたくない」ですって、
「いえいえ、私のは、博打で無くて、政府公認の遊びです。だから誰にも迷惑を掛けていません。」
お隣の国は、また脅しの外交をしている。
国際社会から孤立するか、認められかと核を誇示する。
それは、まるで、一か八かの丁半博打のように・・・
ずーと以前、かの国の外交を、猫と同じだと思ったことがある。
猫は、犬のように鎖で縛られていないので勝手気ままに動き回る。
主人への忠誠心などなく、可愛がれば、つけ上がって「ニャー、ニャー」と、擦り寄り
更なるおねだりをする。
そして、無視したり、邪険に扱えば直ぐにすねて爪を立てる。
将軍様、、危険がいっぱいの丁半博打でなく、猫位にしておかないと、鉄火場になりますよ。
「馬鹿者、国と猫を一緒にするな」
「すみません。私の幼稚な頭は、こんなものです。」
これは,評論でも「How To」本でもないのでお許しを・・・・。
<平成21年5月26日 (火曜日) 晴れ >
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今日の職場での一時のお話である
本当は、もっとまじめな話と思ったが、結局・・・
私の職場の湯茶は、セルフサービスである。
10時と3時の休憩時間に飲む私のお茶は、
斜め向かいの席にいる男性が、自分のそれと一緒に準備してくれる。
決っして逆ではありません。だって彼は課長で、私は社長(たった一人の会社)ですもの。(笑)
私のお茶係りの課長は、「シーケンサ○○」なんていう本を見ながら、
隣の青年のパソコンに向かってぶつぶついっている。
どうやらシーケンサをソフトで実現させようとしているらしい。
ちょっと覗いてみると、画面のビットパターンを指差しながら「16、32、64・・・」
そこで、私は「親の満貫」(マージャン用語)と、茶々を入れた。
「喧嘩売る気?ちょっと黙っていてくれ」と作業を続ける。
彼のアルゴリズムが実証されたのか、若い部下に簡単な説明をし終わると、
「おばちゃん、虫がいるよ」と、私に向かって叫ぶ。
「え!」私は、びっくりして椅子から立ち上り、足元を見る。
「ほら、ここに"うようよ"している」と、私の画面のプログラムを指差す。
(プログラムの誤りを、バグ(虫)と言う)
「こら!、喧嘩を売る気? じゃ、喧嘩しましょう」
彼は、「受けようじゃないか」と、指をぽきぽき鳴らす。
「待って! 製造部へ行ってヘルメットを借りてくるから・・・」
「ヘルメット位じゃ、だめだよ。僕、空手の心得あるよ」
「やーめた。負けると判っている喧嘩をしても面白くない」
隣のビルの5時を知らせる音楽が流れてくる。
「おばちゃん、5時だよ」
彼が、3時に入れてくれたコップの底に残った冷めたいコーヒーを一口飲み、流しで洗って帰る
<平成21年5月25日 (月曜日) 雨:晴れ >
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悲しいかな今日は、何も書く物が無い。
そういえば、これは、禁煙日記が始まりだったことを思い出す。
三月に体調不良を訴えた体のためにと、ここで禁煙宣言し、約二ケ月になる。
昨年もそうだったように、体調が戻るともうだめで、友の勧めるタバコに手が出る。
意思の弱いやつと自分ながら飽きれる。
きっと来年もこんな禁煙も繰り返すのだろうなー(阿呆!)
すっかり忘れていた棚の禁煙貯金の缶を開ければ、初回にいれた1800円のままである。
もう、禁煙を止めようと、缶の中の小銭を持ってコンビニへ行こうとする。
しかし、なにやら後ろめたいのか、
「どうせ自分の人生だ。食べたいものを食べ、したい事をして何が悪い」と、口実を探す。
ところが、恐ろしいことに気が付く。
これって、連日のようにマスコミを賑わす色々な事件の犯人の言う分に似ている。
たかが、煙草しきりのことで、こんな「ずさん」な心になるとは・・・、
これでは、本当に哀れなおばさんになってしまう。
そうだ!花にしよう。「花は心を捉え、心は花を捉える」。