思 う が ま ま に(平成21年12月)

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平 成 2 1 年 1 2 月


 <平成22年01月01日 金曜日 雪>          
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 おめでとうございます。

 この日記は下記に引っ越しました。
 ご愛読お願いします。

  http://blog.livedoor.jp/fsino/



 <平成21年12月31日 木曜日 雪>          
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 ああ、今年も、後数時間で終わりです。さーて、明日からは新しい歳です。
 「おいおい何をそんなに気張っている」
 いや、別に気張ってなどいませんが、こう書き出さなければ、後の文が続きません。

 さて、一年の決算です。
 私にとっては、今年はいい年でした。何といっても子供の頃からの夢を実現しました。
 そして、その新しい発信で、多くの新しい友が出来、そして周りの皆さんのお陰で、
 氷ついて忘れかけていた別の楽しみを、思い出させてくれました。

 こんな、真面目なだけの、私ではありません。
 やはり、博打の話が無いままでは、私の一年は終わりません。
 博徒としては、12月は競馬の有馬記念と競輪のグランプリを、楽しまないでは、
 一人前とは言えません。
 だから、私も当然買いました。そして、有馬記念は、駄目でしたが、昨日のグランプリは、
 バッチリです。そうです。年間の博打の収支決算など、関係ありません。
 「終わり良ければ全て良し」です。

 こうして、今年も暮れていきます。外は、天気予報の大きな雪だるまが語るように
 静かに雪が降っています。今年の全てを白いもので覆うように・・・

 そうそう、明日から? この日記は下記に引っ越す予定です。
  http://blog.livedoor.jp/fsino/



 <平成21年12月30日 水曜日 曇>          
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 単純な体です。沢山食べ、熱い温泉に浸かって眠ったら、風邪は直ったようです。
 さりとて、大きな家に一人居るとは、なんと退屈な事でしょう。
 弟の、「ほれんそうでも取りに行くか?」との、誘いで畑にいきます。
 例年の冬なら、雪に埋もれ掘り出す事は、困難なのですが、今年は秋に取り残された
 ほうれん草や春菊が簡単に収穫できます。

 百人一首に「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 」があります。
 さしずめ 「退屈しのぎに畑に出でて青菜積む 解けかけし雪のあいまより」 です。
 若菜ではありませんが、一度雪にあった菜ッ葉は、柔らかくそして甘くて、ことさら美味しいです。
 バケツ一杯もの菜っ葉と小さなブロコリーを収穫します。

 帰りがけに、近くの小屋の軒先に小さなつららがあるのに気がつきました。
 この時期に、このようなものが出来たり、雪を掘ることなく青菜が取れるとは、
 本当に地球温暖化なのでしょう。



 <平成21年12月29日 火曜日 曇>          
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 どうやら風邪をひいたようです。昨夜から鼻水がでて仕方がありません。
 休みになり、田舎に帰ってのんびりした気分に隙があったのでしょう。

 好きな温泉ですが、今日は朝風呂にも入らず、東京からもってきた本を読み、眠くなれば寝と、
 おばーさんの一日です。

 夏休みに私の本「笑いをふるまう親父」を、親戚の旅館の売店に置いたのを思い出し、
 ちょっとばかりの集金にでかけます。
 嬉しいことに、完売しておりました。旅館のおかみは、「第二作目も置いてやるよ」と、笑います。
 買って下さった方が誰かわかりませんが、ありがとう。

 そこで懐かしいもの見つけました。子供の頃、遊びに行って餅を焼いてもらったりした火鉢と囲炉裏です。



 <平成21年12月28日 月曜日 曇>          
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 信州の山の中の年の瀬に、雨など降ってはいけません。何か狂っています。
 本来は、「これがまー 終いの住処か 雪五尺」とまでは、言いませんが、すべてが、雪の中のはずです。
 それだのに、昼頃からの少しばかりの雨で、益々雪の無い正月になりそうです。
 こたつで”ごろりごろり”では、まずいと思い散歩をしますが、冬支度の終わった野山は、殺風景です。

 少しばかり残る雪の中の湯煙の写真です。出湯は、100度ど近くあります。
 子供の頃は、湧き出ていましたが、今は、湯量を確保するために汲み上げています。



 <平成21年12月27日 日曜日 晴れ>          
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 東京での先週のニュースでは、長野は大雪とありました。
 さぞ寒いだろうと、新幹線を降り、長野駅を出ると、どこにも雪は、見当たりません。暖かい暮れです。
 そして、車が、実家の山間いの町に入ったころに、やっと雪の田んぼにぶつかります。
 しかし、それも辺り一面雪景色というようでなく、ところどころに黒い土が見えます。

 やはり、地球温暖化の影響なのでしょうか。私の子供の頃は、この季節は、どんなに太陽が出ていても
 屋根からの雨だれはありません。それほど気温が低かったのです。
 なにやら、節分が過ぎたころの晴れた日の雪解けの風景のようです。

 ちょっとばかり拍子抜けしました。

   しかしながら、年末です。
 実家に着けば、昨日ついたという伸ばしたままの餅があり、早速、餅切の手伝いです。
 カルタの大きさに切るのですが、目検討で切るものですから、大きいのやら、小さいのやらバラバラ。
 そして、のし方も素人ですから、厚いところや薄いところで、一切れの餅といっても
 重量とカロリーの目安には、なりそうもありません。



 <平成21年12月26日 土曜日 晴れ>          
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 先ほどから少し腰が痛い。
 どうしたのだろう? 昨年の今日救急車に乗った病気の再発かと、びっくりしますが、大丈夫でした。
 原因判明です。

 日頃やりつけない仕事を、するものではありません。
 世間の人もするという年末の大掃除とばかり、朝からフル稼働です。
 それでも、夕暮れは、碁を数局打って飲み屋によります。
 ここでの今年の飲み納めです。

 飲み屋で尊敬する紳士から、一通の白い封筒を渡されました。
 「お!もしや、年末年始でに数日会えないことを、惜しんでのラブレーターかな」と、
 ときめく気持ちをいとも平静に開きます。
 「なんーだ」先日の忘年会の写真です。
 それも、葬式の写真にもならないほどの、年寄りバーさんです。写真は正直です。
 「もう一寸、ホトショップを、使って、修正してくれ」
 何枚もの修正は、無理でも、紳士とのツーショット位は、もっと若く品の良いおばさん・・・(無理だよー)
 昔のコマーシャルに「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに」が、ありました。
 それなりにと言っても、ずっこけ丸出しのような顔では、隣の美男が可愛そうです。
 「ごめんなさい。東京のにわかガールフレンドが、皺くちゃバーさんで。」
 そうです。これでは奥様に自慢できませんよ。

 競馬談義と、文化論で楽しく飲んでいると、腰の痛いのを忘れてしまいました。
 こうして、今年の荻窪飲み屋物語は、終わります。



 <平成21年12月25日 金曜日 晴れ>          
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 今日は、私の仕事納めの日です。これで表向きの仕事は、全て終りました。
 「ああ、今年の仕事も終った」 後は、有馬記念と競輪グランプリで勝つのみです。

 ほっとした気持ちからか、何時もより一本多い酒です。
 腑抜けになった体からは、何も沸いてきません。
 だから、職場の知人からのいただいた黄色い実のせんりょうで、誤魔化します。
 花は、何時見ても和みます。



 <平成21年12月24日 木曜日 晴れ>          
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 やはり、世の中は不景気なのでしょうか。
 いつもなら、ジングルベルの音楽が流れ、ケーキ屋の軒先は、クリスマスケーキの箱が、
 積み上げられているはずですが、荻窪の街は、例年にない静かなイブのような気がします。

 「やおよろずの神」を信じる私には、キリストも八百万分の一にしか過ぎません。
 だから、今夜も、もてないおばさんは、テレビに映る六本木の賑わいを見ながらの酒です。

 しかしながら、今年は一寸違います。
 昼の弁当を取りに階段を下りる私に、友が「ロッカーの前を見てね」と、囁いてくれます。
 行って見れば、汚い靴下でなく、白い袋が取っ手に下がっていました。
 開けてみれば、綺麗なクリスマスカードと、小さなケーキです。
 クリスマスプレゼントなど、ほとんど縁のない私にも、サンタがいました。

 こうなれば単純な私ですから、飲み屋の仲間に自慢です。
 友は「シャンペンは?、男性は?」と冷やかしますが、そんな、贅沢を言ってはなりません。
 こんな不景気の夜は、「ケーキは一人静かに食べるべし」です。



 <平成21年12月23日 水曜日 晴れ>          
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 冬至も過ぎ、今日から陽が伸びると思えば、なにやら嬉しいです。
 おまけに、天気は、数日の寒さを忘れ去るような暖かく、
 電車からみる富士山は、これまた素晴らしいです。
 しかし、芸術感覚の乏しい私ですから、これ以上の感覚は、持ち合わせません。

 昨日忘年会に行く前に時間を見つけて、彫刻家の知人の個展に顔をだしました。
 ところが、第一感が、「うんー、何じゃーこれ」です。
 悲しいかな、何がなんだか判りません。彼の感性が、私には理解できません。
 作者を捕まえて「ごめん!、わたしの感性の範疇を超えている。」と、弁解です。
 彼の説明を受け、「言われて見ればなるほど」で、彼は「これなら少しわかる?」と、
 何処かの教会だか、寺院からの注文品らしい製作中の作品の一部を、見せてくれました。

 こんな状態ですから、お詫びに彼の作品を紹介します。
 題名は、聞いたのですが、忘れてしまいました。



 <平成21年12月22日 火曜日 晴れ>          
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 ここ数日の寒さに比べれば、少し暖かい冬至の一日です。
    「なべ食って ゆず湯にはいる 冬至かな」
 これは、私が数年前に作ってものです。他人から見れば駄作でしょうが、
 自分では、結構気に入っています。

 ところが、今年の冬至の鍋は、湯豆腐などのようなケチなものではありません。
 鍋はなべでも荻窪の飲み仲間と一緒の「ふぐちり」です。
 もう、何年も食べていないふぐを、たらふく食べました。
 冬至の夜は、鍋を囲んでの楽しい会話で、一年の締めに相応しいひと時でした。
 これで、今年も終わりました。もう何も言うことはありません。
 一年間皆様のおかげで、楽しく過ごしてきました。これぞ正しく忘年会です。

 家に帰り一眠りをしたら翌日になっていました。
 それでもカバンの中のゆずを出して、ゆず湯です。そして日記を書く。
 リッチな気分の冬至です。
 心が豊かなためか、冬に至るような寒い気分でなく、春に至ると言いたいような暖かい夕べでした。



 <平成21年12月21日 月曜日 晴れ>          
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 「せんりょう」と言う植物は、その名にたがわず千両役者ですね。
 昨日作った門松に赤い実がなく、物足りなかったので、今日は、大枚1ッ千両近い金で、
 せんりょうを買い、昨日の力作の門松にかんざしをつけてみました。
 美的センスの皆無の私でも、「おおー。様になったー」と、にんまりです。

 写真は、昨日の写真の門松とは、違った作り方のものです。
 残りのせんりょうを、竹に挿してみました。
 出来の悪い演出家のもとでの、千両役者の演技です。



 <平成21年12月20日 日曜日 晴れ>          
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  昨日は第一小学校で、今日は第四小学校と、二日続けての子供達との門松つくりです。
 午前中に準備を終え、自分の物も一つと作りました。
 門松は、私の作品で、となりの一輪挿しは、門松の先生の作品です。



 <平成21年12月19日 土曜日 晴れ>          
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 今日は、本当に寒い朝でした。
 大工道具と飾りものを持った手は冷たく、朝早くから、この状態で「竹洗いはつらいなー」と、
 三鷹第一小学校に向います。しかし、肉体労働と背に受ける陽は、寒さを忘れさせます。
 井戸水の温かさにも助けられ、仲間の皆さんが、準備してくれた竹を大勢で洗い、
 子供達が来るまでには全て準備できました。
 休む暇も無く、子供達との門松作りです。

 訛っていた体は、急な肉体労働に驚いたのか、終わったときには、グッタリですが、
 とても心地良い疲れです。何時になく美味しい昼飯を食べました。(当然、小さなビール付きで)

 家まで帰る気力なく、碁会所に寄りソファーで一休みすると、好きなことですから
 碁を打ち初めてしまい、午後の予定は得意の先送りです。
 そして、夕暮れに酒を飲んだら、再度疲れが出て、こんな文章になってしまいました。

 でも、最後に一言。
 人間は動物です。肉体労働をすることにより、脳の活性化が出来るように思えます。
 そして、楽しんでいる子供は素晴らしい。ボケ防止には最高です。


 
 <平成21年12月18日 金曜日 晴れ>          
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 北の方からは、雪便りのある寒い日のことです。
 白髪まじりの髪を乱したまま、老婆は、薄暗い部屋のコタツの上に広げられた小銭を、数えています。
 床下の瓶にしまっていたような虎の子のお金のように、一年間、時々投げ込んでいた小銭を大事そうに、
 数えながらぶつぶつ言っております。

 「おばさん、それどうするの?」
 「そうねー、恵まれないおばさんから、恵まれない子供達へのおすそ分けにしようと・・・」
 「全部、あげたら」
 「だめだめ、ちょっと大きいのは、おばさん用、赤いのと白くて軽いのは子供用」
 「それだけかー?」
 「穴のあるのも皆あげるよ」
 「おばさん、それは、車券の自動販売機では、使えないからだろ?」
 「ピンポーン!、そして、100円玉は山分けしましょう」
 「去年並にあればいいよ」「そうしましょう」

 恵まれないおばさんは、年末の行事の一つを、終わらせました。
 ずっしりと重い、スーパーの買い物袋を、破けないように抱えて近くの郵便局に行きます。
 何時まで、出来るかわかりませんが、もう何十年も続けている、歳末助け合いへの参加です。
 何処かの国の親分のように、うん千万円の子供手当ては出来ませんが、
 恵まれないおばさんは、身の丈にあった範囲で、恵まれない子供達へのお裾分けをします。

 買い物袋の形、なんだかベニスの商人の
 ドル袋に見えませんか。  


 <平成21年12月17日 木曜日 晴れ>          
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 私の心は、五月の空のように、まこと澄んでさわやかです。
 山からは雪の便りですが、それは他国のことのように、少しも寒くありません。

 私は、大事そうに菓子箱を抱え、胸を張っての帰路です。
 (終わったー。私のノルマは済んだー。これで大きな顔をしてミニ門松作りに参加できるー)
 土曜日には、週末までの宿題を貰い、大丈夫かと気にしていたものを、終らせました。
 子供の頃、夏休みの宿題を、姉達に手伝って貰ったように、今回も職場のお姉さん達の助けで
 宿題は完了です。30羽の鶴が、はばたきました。

 折り方の手順は、覚えていたつもりだのに、上手くいきません。
 お姉さん達は、「先生失格」と、言いながら見本を見てキチンと作ってくれました。
 そして、「壊さないように、持って帰るのよ」と、空き菓子箱に入れてくれます。
 (感謝感激、雨あられ、神様・・、いや、お姉さん!)

 これで、土曜日の門松作りには、小さな胸を大きく張って参加出来そうです。
 本当に良かったです。(先生!宿題は、全部やったよー。偉いでしょう!)
 写真は、宿題の成果の一部です。



 <平成21年12月16日 水曜日 晴れ>          
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 ノミニケーションは、大切です。だから、忘年会疲れの肝臓を、休ませよと思っていても
 碁仇に誘われれば飲んでしまいます。(意思の弱い奴)

 私は、人のブログにコメントなどは、めったに書かないのですが、昨日は、二人のほんわかとした文に
 思わずキーボードを、敲いてしまいました。
 しかし、バーチャルの世界での会話は、なんだかしっくりいきません。
 やはり、会話は、声を出し、耳で聞いて、相手の目を見てするのが一番いいです。
 そこに美味しい肴と酒があれば、「これまた、他に勝るもの無し」です。
 (バーチャルより、現実がいいー)
 そうすれば、何かの間違いで、イケメンの若い男性が握手をしてくれるかもしれません。(爆)
 なんだかんだと理由をつけて、ノミニケーションを、楽しみます。



 <平成21年12月15日 火曜日 晴れ>          
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 昨日のどたばたが、嘘のような一日です。
 私が生んだシステムもようやく落ち着いたようで、先ずは一安心です。
 安堵感から腑抜けになってしまい、次の作業の工程など無視して、
 先日、一寸ひらいた本「カミさんポックリ教宣言:ビートたけし著」の拾い読みです。

 うーん、なんと軽やかで愉快な文章なのでしょう。彼の才能のなせる技には違いありませんが、
 この軽やかさと発想の面白さは、何処から来るのでしょう。
 (ああ、私もこんな文章を書きたい。でも無理だよなー、感性と発想が貧弱すぎる)

 最近の私の文は、面白くない。どうしてだろう。
 答えは簡単です。陽気のせいにしましょう。そうすれば、万民皆平和です。
 この日記を書き初めてから、10ツ月になりますが、春は、浮かれてルンルン気分の文で、
 夏などは、知人から「闊達なご様子で恐れ入ります」などの、揶揄か褒め言葉か判らないメールを
 貰うような開けっぴろげの文でした。
 それだのに、秋風と共になにやら変に落ち着いています。
 こんな調子だと真冬には、「氷雨で私の墓石を洗う」と、言うような冷たくて陰気な文になりそうです。
 (くわばら、くわばら、幼稚で、面白いものが私の文だー)

 冷え切った感性を補うべく、コタツに入り周りから体を、物理的に暖めよう。
 そして、「勘違いコタツで母の手を握り」「猫もびっくり、コタツの屁」と、嘯いていれば、
 少しは心も温まるでしょう。(そうあって欲しい)



 <平成21年12月14日 月曜日 晴れ>          
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 なんとこの月は忙しいのでしょう。
 ただ、本人が、世間並みに忙しがっているだけかも知れませんが、気持ちだけがせいています。
 「ああ、何処かの国のように13月があればいいのになー」
 (たしかエチオペア(?)のカレンダーが、13月があったような気がします)
 もう、明日であと半月で、今年も終わります。

 こんな時期になれば、「年内に、年内に・・」と先送りして来たものが吹き溜まります。
 こうなると、「えいー、いいやー」と、メモ張の今年の予定を、全部消去し、
 酔いの勢いで寝よう。(どうせ、こんな状態だと、ろくな文章しか書けない。)



 <平成21年12月13日 日曜日 晴れ>          
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 連日の忘年会疲れのためか、遅い朝になり、テレビの政治コメンテータの諸々の話を聞く。
 本当に「鳩さん、貴方は何処へ向おうとしているのでしょう」
 まるで「船頭多くして山に登り」そうな日本丸です。
 そして、本当の船頭は、日々挙動不審な眼をして、本来は参謀のはずの人が、いきいきしており、
 いったいこの国は、何処に向おうとしているのでしょう。
 マニフェストは、約束であるには間違いありませんが、無理が通れば道理が引っ込みますよ。

 ドラマ「坂の上の雲」のナレータの言葉を一言です。
 「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている。中略 坂の上の青い天に向って・・・」
 五十年体制の自民党政権からの交代を、「平成維新」と、いきばらずに、この国のありようを
 定めて向っていって欲しいものです。
 それにしても、秋山兄弟のように清貧の経験も無く、子供手当てを先取りしたようなお坊ちゃんには、
 庶民が求める青い空を求めるのは無理なのだろうか。



 <平成21年12月12日 土曜日 晴れ>          
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 私ってなんて不器用なのでしょう。これほど不器用とは、思っていませんでしたが、
 今日は余りの不器用さに、我ながら呆れてしまいました。

 竹とんぼグループが実施する12月イベントのミニ門松作りに、使う飾り物の講習会に、参加しました。
 そこで、折り紙作りや、ぼんぼり作りの指導を受けますが、なかなか上手く行きません。
 お手上げです。説明に配られたペーパーを見ても駄目で、先生に助けを借りてやっとです。
 これでは、ノルマの材料作りが、思いやられます。(どうしたものか)
 それでも歳の功(?)の処世術で、自分の出来る範囲のものだけ受け、後は、人様のお任せです。

 作業の後は、忘年会でわいわいと、騒ぎ、楽しい語らいです。

 私の不器用さを、さらけ出した今日の産物です。
 途中で投げ出しと作品もあります。


 <平成21年12月11日 金曜日 雨>          
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 雨の中の墓参りも、おつなものです。
 冷たい雨の降る中、老婦人が、左手に傘をもち、右手に花桶と線香を持って墓地を歩く姿は、
 映画の一シーンを見るようです。
 さて、この老婦人は、誰でしょう。言うまでもありません。
 それは、私こと、ずっこけおばさんです。(笑い)

 雨で出鼻をくじかれそうになりましたが、意を決して、私の本「笑いをふるまう親爺」の主人公が眠る、
 多摩墓地に行き、「皆さんが、楽しく読んでくれたよ」と、報告して来ました。
 タバコの煙をゆらしながら、墓石に刻まれた戒名を、見ていると、
 「そーかー、笑ってくれたか。だが、俺はもういい。新しい友を見つけて、笑って生きろよ」と、
 言ってくれました。

 今日、清水寺のお坊さんの書いた今年の漢字は、「新」です。
 どうやら「新政権」「新型インフルエンザ」などから選ばれたようです。
 「うーん、そうかなー」新しいと言う言葉の陰には、「希望」とか「夢」があるはずです。
 本当に今年は、希望を携えて新しくなたのでしょうか。
 新型インフルエンザは、負のイメージしかなく、さりとて、新政権になっても、
 攻守交代だけの国会運営と、相変わらずの借金予算だったし、何が「新」だったか一寸戸惑います。

 でも、よーく考えてみると私には、「ありました」
 二作目が、あるか無いか判らない新人作家(?)として、デビィーしました。
 不良在庫整理に四苦八苦していても、新人作家に間違いありません。
 「作家などとうぬぼれるな」ですって、まあまあ、今日は「新」がテーマですから多めにみてください。
 この新しい試みを介して、故人の希望どうりに、新しい飲み友達ができました。
 今年の漢字は、やはり「新」です。



 <平成21年12月10日 木曜日 晴>          
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 いくら、甘えん坊で世間の常識には疎い私でも、この歳になれば少しは、世間並のこと考えます。
 先日、職場の親睦会で、優しいお姉様に買っていただいたマフラーのお礼を、しなければなりません。
 しかし、けちな私ですから財布の中の貴重な紙幣を、使うはずがありません。
 そんなお金があったら、次回の博打代にします。
 そこで、お姉さんの一人が、私の竹とんぼサークルを聞いて、「孫のために一つ作って」と、
 言っていたことを、思い出しました。(これにしよう、でも、作るのはめんどうくさいなー)
 またまた、ずうずしいです。「材料だけ持っていって、会社の昼休みにお姉様と、一緒に作ろう」

 月曜日に、「お孫さんのクリスマスプレゼントの一品に加えたいでしょ?」と、強制です。
 博打に出かける暇があっても、竹とんぼを作る暇がありません。(阿呆)
 しかし、彼女達は、文句も言わずに、楽しそうに作ってくれました。(姉はやさしい!)
 写真は、3日間の昼休みの傑作です。まー、なんと、孫のために色付けまでしています。
 私は、これに味しめて「来週は、ミニ門松用の飾りの折り紙作りだからね」と、
 自分の作業のお手伝いの予約までします。ほどほど呆れますが、つい、甘えてしまいます。(乞う、お許し)


 <平成21年12月09日 水曜日 晴>          
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 私達高齢者は、晩節を楽しまなけらばいけません。
 それには、元気いる必要があります。
 そうです。元気で無ければ楽しく笑うことが出来ません。
 そんなわけで、子供達から元気を貰うために、第一小学校での囲碁教室に参加しました。
 小松八段と大矢九段のプロ棋手を交えての囲碁会のお手伝いをし、
 何十人もの子供達から、沢山の元気を貰いました。

日記だから、今日のイベントを書いておこう。
夜は、碁会所の忘年会に参加して、晩節を迎えた碁仇との楽しい語らいをしました。


 
 <平成21年12月08日 火曜日 晴>          
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 「みなさん、こんにちわ」
 「はい、こんにちわ」
 「私も仲間に入れてください」
 「どうぞ、どうぞ、お好きな場所に」
 こうして枯葉たちは、北風を避けたビルの蔭に、集まっています。
 「生まれは、何処ですか」
 「あそこのビルの大きな木です」
 「僕らはこっちの木です」
 小さい葉っぱも、大きな葉も一緒になって「ガサ、ゴソー」と、賑やかに会話しています。
 東京都のマークのような形をした葉が、
 「僕らは、まもなく終わりだよ、同じ火葬なら、釜のなかで無く山茶花の道端がいいなー」
 「無理みたいだよ、だから、今は皆で夕日に当たろう」
 「カサー、バサー」
 先ほど私の歩く先を、風に舞って寄ってきた葉は、もう、見分けがつきません。

 バス停の横の枯れ葉のふきだまりからは、こんな会話が聞こえてきそうです。
 足で、ちょとけ蹴散らかします。「ガサガサ・・」
 「いてー。僕らのことより、おばさんバスが来るよー」と、少し散らばります。
 バスを待つ数分のあいだ、落ち葉の山と戯れました。


     
 <平成21年12月07日 月曜日 晴>          
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 悲しいというより、ショックでした。
 仕事を終えて、バスに乗ると、シルバーシートに座っていた男性が、「どうぞ」と、立ち上がり
 席を譲ろうとしてくれました。
 やはり、私はおバーちゃんなんですね。つい、数年前までは、席を譲ってくれる人は、
 高校生や少なくとも、明らかに私よりずーと若い人でした。
 それだのに、きょうは、私の見た感覚では、同じ位の歳かと思われる人からの声かけです。
 (うーん。あまり変わらない年齢と思えるがなー)
 多分、その人の目で見ると、私は相当のおばーさんだったのでしょう。
 外の暗闇で、鏡になった窓ガラスに映る、自分も顔を見れば、やっぱりおばーさんです。
 ああ、私も皆さんから、席を譲られと歳になってしまいました。

 二十四節気の「大雪」の冷たい北風と夕闇が、より歳を意識させます。



 <平成21年12月06日 日曜日 晴>          
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 何だか疲れています。小春日和に誘われて競輪遊びに出かけるが、
 酸欠の金魚鉢の中の金魚のように、生あくびと睡魔にあえいでいます。
 こんな状態でも、日記だから書こうと、思いますが、早く横になりたいだけで、何も書けません。
 昨日の、品川水族館の写真でごまかします。



 <平成21年12月05日土曜日 曇:雨>          
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 やはり、私は、末っ子の甘えん坊でした。いつも姉達に甘えていたのが、この歳になっても同じです。

 ほとんど参加した事のない職場の親睦旅行に、出かけて、横浜中華街での昼食の後、
 街を散歩しながら、友と小物屋に入りました。
 すると、友がマフラーを買ってあげようと、相談しております。
 私より若い二人の友人を、姉のように感じ「ありがとう」と、甘えてしまいます。
 しかも、その場で彼女達は、「このように巻くのよ」と、首に巻いてけれます。
 優しいお姉さん達です。嬉しくなり、お手洗いの鏡に映る姿を見て、にんまり。

 おかげで、雨の降る初冬の旅が、暖かい豊かな気持ちで、ますますはしゃぎます。
 屋形船での宴会は、よく食べ、よく飲みました。夕餉一部の写真と、船からの夜景です。



 <平成21年12月04日金曜日 晴>          
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 月に一回の三鷹のおばさん、おじさんとの、囲碁会を終え、夕暮れの井の頭公園を
 歩いて吉祥寺駅に向かいます。
 吹き溜まりに寄り集まった枯葉を、足でけ散らし、ガサ・ガサと言う音を楽しみます。
 そして、「この枯葉で焼き芋をしたいなー」と、夕暮れの空腹がもたらす想像には、雅も色気もありません。
 おいおい、沈み急ぐ夕日を背にしての、初冬の森林公園の散策ではないか。
 「色気は、無理でも、侘び・さびぐらいは感じろ」ですが、できません。

 こうして、初冬の枯れ急ぐ木々を、楽しんで、家に帰り、昨日届いた友のメールを、開けます。
 なんと、「写真おくります」と、一言のです。
 私だって、戸籍上は立派な女です。そうです。ガールフレンド兼飲み友達へのメールではないか。
 (もう一言くらい欲しいなー)でも、「愛しているよ」は、断りますよ。
 送られた写真は、ファイル名から想像すると、彼の散歩コースの一つである石神井公園のもみじのようです。
 雅の心を持たないので、替え歌をつくり、友への返事です。
     「このたびは、恋もとりあえずおふみさん もみじのにしき君のまにまに」と、解釈して
 ネットに飾ります。



 <平成21年12月03日 木曜日 雨>          
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 朝からの雨と、ちょっとした出来事で気分が優れません。
 こんなときには、面白い本でも読もうと、昼休みに机の引き出しに眠っていた本を開いた。
 その中に、「男性のブラジャー、女性のふんどし」なる小タイトルなど見つけ、
 「なんじゃこれ!」と、読む前に、かってなことを想像します。

 最近は、その行動が男女逆転してきていると言われるが、とうとうここまできたか。
 この分だと、数回デートを重ねて、終に想いが通じて、ホテルという段取りになり、
 いざ、これからというとき、男がブラジャー姿で、女性がふんどし姿だったら、どうなんちゃうのだ。
 そして、彼女が「緊褌一番」とばかりに構えて、男性のブラジャーに手をかけ、はずしている
 「赤いおこしの紐をといて・・」ならばいいが、「褌の紐解いて・・」では、どうも様になりません。

 やはり、褌はギューとしめて、中にあるだらりとさがったモノを、締め付けてこそ意味があります。
 そして、ブラジャーをした男性なんて気持ちが悪い。どーせなら、片方だけのブラジャーにして、
 ふんどし代わりに使ったら、まだモノの収まりがいいのではないか(爆笑)

 半信半疑のまま、ネットで調べてみると、本当に「女性のふんどし」があり、人気らしいです。
 しかも、有名な下着メーカーまで売りに出ており、素晴らしい図柄の製品が紹介してありました。
 私のイメージする、紐のついた手ぬぐいのようなものではありません。
 まー、これなら、レストランの高い食事のあとに、勇んで、スカートを脱がせ男性も、
 びっくりしないかもしれません。
 でも、「緊褌一番、いざ勝負」と、いう言葉は、遠く去ってしまたようです。


   
 <平成21年12月02日 水曜日 晴>          
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 何カ月ぶりに、彫刻家の”ももちゃん”と、会いました。相変わらずの風貌を、見てほっとします。
 彼は、私を見て、「よー。しばらく」と、声を掛けます。
 「元気?」
 「うん、今日は大工道具を持ってどうしたの」と、私の手提げの白い道具袋を見てたずねました。

 私は、飲み屋のカウンターの空き椅子を見つけて座りながら、
 「竹とんぼの羽作りでね。小刀の好いのが無く、探しているの」
 「僕の切り出しの一つをあげよう。」
 「ありがとう」
 専門家の切り出しを貰っても使いこなせるとは、思いませんが、
 数日後に飲み屋に届け置かれることを期待しています。
 それにしても嬉しいです。飲み屋でたまにしか会わない知人も、私の道楽を援助してくれます。

 道楽といえば、彼は飲みながら
 「おふみさん、「この店のことを書いたた面白い本だよ」と、
 おふみさんの本が僕らの仲間から廻ってきたよ。僕は、作家から直接もらったからと、次に回した」
 これを聞いて、嬉しいのと同時に部屋の隅の不良在庫の山を、思い浮べました。
 「おーい、回し読みをするくらいなら、買ってくれよ。」です。
 そうです、先日も誰かが、「回し読み」していると言っていました。
 嬉しくもありますが、手元の不良在庫の山が気になります。
 送り人さんにお願いして、私の棺桶に入れて貰うには、少し量が多すぎます。
 (なんとかしなくちゃ)


     
 <平成21年12月01日 火曜日 晴>          
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 今年のカレンダーも残り一枚になり、銀杏の紅葉宣言が、気象庁から発表されました。
 落葉樹は、一年の営みを終えて、冬眠体制に入ります。

 今、考えてみれば、惜しいことをしました。
 折角のデート?の誘いを断ってしまった。残念なことをしました。

 夕刻、忘年会のちらしを持って、碁会所に顔を出し、碁を打っていると、
 隣で打っていた碁仇が自分の碁が終了すると、私の碁の観戦です。
 「篠ちゃん。忘年会には、来るんだろ?」
 「うん、でも、少し遅れるかも、その日は、プロを交えて三鷹の子供達との囲碁会なの」
 「そうだ!、プロと言えば、篠ちゃん、ペア戦に行くか?」
 「貴方と、ペアを組んで戦うの?。いいねー」
 「違うよ。プロのペア戦の観戦だよ」
 「そんなの詰まらない。行かない」
 「そーか、招待状がニ枚来たので、”女房に行くか”と、聞いたら、”貴方を憧れの君と、
 言ってくれる篠ちゃんと、どうーぞ”と、断われちゃった。」
 「奥さんに言いな。二人で行くなら、もっとロマンチックな処が好いと・・・」
 「わかった。女房にも、篠ちゃんにも振られてしまった。あ・は・は」
 すると、私の碁の相手が、
 「僕が行くよ。歩ちゃん(鈴木歩)か由香里(梅沢由香里)ちゃんの時がいい」
 「そうするか、男二人で歩ちゃんを、見に行こう」
 鈴木歩さんも梅沢由香里さんも、今やときめく人気の女流棋手です。

 こんな訳で、初冬の市ヶ谷の土手を、憧れの君と散歩する機会を逃してしまいました。(残念)
 (もう、何十年もあのデートコースに行ってないなー。桜の葉は、皆、落ちたかなー)
 初冬の便りと共に、私の感傷葉が落ち、冬眠体制に入りました。



 <平成21年11月30日 月曜日 曇り>          
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 ああ、今日も笑いました。お腹ががよじれるほど笑いました。
 この笑いを書こうかと思ったが、あまりにも多義に渡り、発散しています。
 ときに、政治、ときに、古典、そして、女性のことの会話は、笑いをもたらします。
 酒と友は、いいものです。 だから私の脳は、定年を迎えておりません。

 先日、知人から渡された本「定年する脳、しない脳(佐藤富雄著)を、読みました。
 内容は、脳の活性化のためには、「たのしい生活習慣」が鍵であるです。
 私は、難しいことを考える力がないが、笑って楽しく一日を終えるすべを知っています。
 こうして、キャリアや地位も関係なく、会話をしながらの笑いは、一日の疲れも憂さも飛ばしてくれます。

 「おいおい、何を書きたいのだ」
 「わかりません」
 本当は今日の笑いをと、思ったのですが、どうも睡魔も手伝って上手くいきません
 定年を迎えようとしている脳は、こんなものです。



 <平成21年11月29日 日曜日 晴>          
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 29日は「2と9でふく」の日です。それとも「ニクい」日かな?
 どっちに転ぶかを、運に任せて一ヶ月振りの立川競輪です。(わくわく)

 プラスチックカードを持って、軍資金調達に出かけると、貯金箱は、底をついており、
 「あれ!、どうして?、今月は、競輪もしていない。おかしい」
 よーく考えて、判明しました。10月からの年金は、国保も住民税も天引きです。
 入るが少なければ、出る(いずる)を抑えても、生活は、潤いません
 やはり、「入るを図り、出るを抑える」ことが必要です。

 ここ数日、マスコミを賑わしているものに、政府の仕分け作業があります。
 無駄を排除するのは、当然ですが、同時に「入る」の方針が聞きたいです。
 言うまでもなく、経済が潤えば、入るが増えます。

 まあ、難しい話は止めて、今日の賭博決算です。
 「入る」を図ったつもりですが、結局は、数人の福沢諭吉先生を、紙くずにしてしまいました。
 いえいえ、これでは、先生に申し訳ありません。そして、私は余りにも哀れです。
 福沢諭吉先生は、五日市街道の紅葉と、競輪場の見事に黄色くなった銀杏の鑑賞代に化けました。
 そう考えれば、何もかも納得します。(うーん、入るを図るのは、難しい)



 <平成21年11月28日 土曜日 晴>          
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 昨日、碁会所で「太田黒公園の紅葉が、綺麗だよ」と、碁仇が言っていたことを思い出し、
 碁会所から一足のばし、公園のもみじを愛でてきました。

 嵐山の紅葉にも劣らないくらい、しっかり赤くなっていました。
 ぎんなんを拾った銀杏も、黄色く色づいていました。



 <平成21年11月27日 金曜日 晴>          
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 昼のニュースによれば、円高です。1ドルが86円とかです。
 そして先日の政府発表では、デフレです。
 いくら政治経済に無頓着な私でも、気になります。日本経済は、どうなちゃうのでしょう。
 ところが、ここまで書いてみましたが、私の貧弱の脳では、次ガ続きません。
 「駄目だー。折角今日は、余裕があったので、碁会所に行く前に書こうと思っていたのにー」
 仕方なく、碁会所までの少し時間の余裕があるので、遊び半分に自分の本「笑いをふるまう」を、
 googleで検索をしてみます。

 どうなっているんでしょう。私には判りません。
 1カ月ほど前までのAmazon.co.jpでは、”この商品は取り扱いしていません”でした。
 それなのに、今日は、中古で出品されています。
 なんと、驚くではありませんか。それも、定価1260円の本が2500円です。
 「うんー。なんじゃこれは?」私の頭は、こんがらかってしまいました。
 「そうだー、挿絵を描いてくれた友に聞こう。彼は、この業界の人だ。でも今日は飲み屋に来るかなー」

 またまた、不思議です。飲み屋に顔を出すと、彼が居まいた。(ハートマークの以心伝心?)
 例によって尊敬する紳士と絵画の話です。それでも頃合を見計らって尋ねました。
 業界のからくりを説明して貰い、ある程度の納得はしましたが、いまいち腑におちません。
 結局、私のたどりつく場所は、私は、何も法律に違反していない、”なるように成るさ”です。
 でも、成るようにならないのが、昨今の経済情勢かもしれません。
 「鳩さま」少しは策が欲しいですよ。「なるように成るさ」は、私だけにして下さい。



 <平成21年11月26日 木曜日 晴>          
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 この時期にしては、珍しい暖かい日です。年寄りの日向ぼっこに絶好です。
 やはり、私はただのおばさんです。それ以上でもなければ以下でもないことを、再認識しました。

 午後、知人の主催する「ブログ村」などの集会に参加しました。
 内容は、ブログを通じてのコミニティへのプレゼンテーション事例などです。
 それにしても皆さんはすごい。冑を脱ぎます。
 巷に転がっているソフト(道具)を、上手く使いこなし、地域コミニティとビジネスを模索しています。
 そのためにブログを通じて、情報を発信しています。(自己満足だけの私には、無理だー)

 しかしながら、考えて見れば、私達の世代は、高度成長期に馬車馬のように働いてきました。
 その習性が体に染み付き、何かをしていなければ罪悪感さえ覚えるのかもしれません。
 「だから、皆さんは前向きなのだ」と、自分に言い聞かせます。
 (うんー、興味本位でSNSに足を踏み入れたけど、重いなー)

 例よって、皆さんの話を聞いている時は、自分の遊び中心の生き方を、反省をしたのですが、
 家に帰り、メールを見れば、雑談会に仲間からの「三鷹第一小学校での囲碁教室」のアシスタントの
 依頼です。私は何の躊躇もなく「了解」の返事です。
 遊びの話なら、直ぐ飛びつき、「コミニティだ、ビジネスだ」になると、二の足を踏みます。
 自分の責任の負える範囲で、ボケ防止に適当に遊んで、飲んで笑っているのが、何よりです。
 日向ぼっこが、恋しくなった歳になりました。



 <平成21年11月25日 水曜日 雨:晴>          
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 昨夜来の雨がぽつぽつと降る中、仕事に出かけます。
 バスの窓から見る井の頭公園の木々も色好き、風が無くともはらはら落ちる枯葉です。
 朝の天気予報では、午後は晴れ、そして気温も高いらしい。
 それならば早めに帰り、公園で枯葉のジュータンっでも踏もうかと、考えての出勤です。
 しかし、それも出来ませでした。トラブル対策と客の要求を聞いているうちに、あたりは暗闇です。

 (こんな筈ではない、私の老中は、もっと心豊かなはずだった)
 そうです。私の老中は、右手に碁石、左手に競輪の投票券、口にグルメのはずです。
 会社の定年退職のセミナーの時に、老後の生活設計という小文に書いたのは、
「老後は死ぬだけあり、老中は、囲碁と博打を楽しみ、穏やかに吟嚢を肥やす」でした。

 残り少ない人生を、こんなあくせくした生活では、疲れだけが先行し、何も沸いてきません
 だから、書きたいものは、いろいろあっても詰まらない文になってしまいます。
 「ああ、上手く書けない。このわだかまりを何処にぶつけよう」

 でも、ぶつけるも物など何処にもありません。
 まさか、藁人形を作って釘を打ち込むわけにもいきません。(あたりまえ)
 仕方なく、乏しくなった感性を補うために、若い頃に作った詩集を枕にして寝ます。
 (ああ、あのかさかさした落ち葉を踏みたかったのになー)