私のエッセー集

・インターネットって丸いもの

・インターネットは嫌い

・壊れた雨樋の下

手首のこぶ
ご苦労さん旅行
・最後の一日
・職業欄は無職

・竹トンボ

 


ご苦労さん旅行             平成13年2月9日

  雨がしとしと降っている寒くて暗い早朝、しのは、愛車のエンジンをかけ、友達の愛称ベンツの到着を待っていた。暗闇の向こうからまっちゃんのベンツが、悪友を伴って白い息を吐きながら到着し、しのの駐車場に車をいれた。

 しのは、一泊二日の卒業記念旅行に出かけるのです。まっちゃんと、師匠と吉野さんが、しのに「ご苦労さん」とゴルフを楽しみながら,30年の会社生活の垢を伊豆の温泉で洗い落とす旅を企画してくれた。。

 冬の雨は、冷たく、こんな中でゴルフするのかなと話しながら車は、東名高速を伊豆に向かった。出るときは小降りだった雨は、着く頃にはやむかも知れないという期待に反して、目的の沼津インターに近づくにつれてますます強くなった。
 沼津インターを出たところで車を停めてゴルフ場に中止を連絡し、宿には、チェックインの時間を確認した。時計はまだ9時を回ったろころである。どうやって時間をつぶそう。天気が良ければ観光もあるが、この雨では、どうにもならない。師匠が、
「30分おきにお金をくれるところを探そう
そうだ沼津競輪があるかも」と日頃からばくち好きの仲間である。
「今日は、開催しているかな」
「平塚は、開催しているよ」と、吉野さんがポケットから取り出した関東地区年間開催予定表を見ながら言った。
「これから平塚まで戻るの、いやだよ」
「伊東競輪は?」
別に競輪でなくととも、競艇でも、オートでも」
どうも、ばくちであればなんでも良いらしい発想の貧弱な仲間である。しのは、そこでちょっと格好をつけて、
君達は、”雨の伊豆の海を愛でる”くらいの発想できないの?
「海を見ても銭にはならないよ。ここで一番ばくちの好きなのは、おまえだよ」と。師匠の言葉でばくち場を探すことにした、しのは、車を走らせながら、どうやって探そう、まだ観光案内所は開いていない。しのは、気が付きました。コンビネでスポーツ新聞を見れば判る。車をコンビネの前に停め、新聞を買った。

 神は、しのの記念すべき卒業旅行をばくちで損させないためか、近在の開催はどこにもなっかた。
「どこも開催してないよ。どうする」と吉野さんの言葉に
「仕方がないね。戸田に行ってタカシガニでも食べましょう」と、いうことになり、とにかく計画ができた。ここで道に明るい吉野さんに運転を変わった。

 車の中でまっちゃんが
しの、どうして伊豆旅行なんて思いついたの」と尋ねた。
しのは、会社が定年慰安のためにくれた5万円を手にしたとき、会社生活の終わりの寂しさを実感し、30年前入社した頃を振り返っていた。あの頃のしのは、ばくちやゴルフの面白さを知らなく、余裕の出たお金を持って伊豆に魚を食べにくるのが好きだった。30年の歳月は、しのの趣味も、環境も変えていた。伊豆でさかなを食べにきた友は、もういない。お互いに仕事が忙しくなり、年々疎遠になり、数年前に風の便りで彼の死を知っただけだった。しのは、車の助手席で、30年前の下田の海、土肥の魚、りっくを背負っての天城峠を思い出していた。

 しのの車には、カーナビは無く、あいにくいつもあるはずの道路地図もない。戸田までのナビゲータは、しのであるが、それは、30年前の記憶が頼りでは当てにならない。吉野さんの記憶地図と道路標識が頼りだから、曲がり角を間違えて、行き過ぎては戻るを、数回繰り返しながら峠道たどり着いた。峠道の両端は、数日前の雪が雨に打たれていた。美しい戸田の海は、霧の向こうで見ることも出来ないままどうにか戸田に着いた。

 戸田の港の風景は、あまり変わっていなかった。吉野さんは、余りきれいでない食堂の前で車を停めた。「ああ、ここは、しのもかにを食べたところだ」と思い出しながら、店のドアをあけた。「こんな小さな店をどうして知っているんだ」と師匠の言葉に、「まっちゃんと一緒になる前に魚を食べによく来たんだ」と、しのと同じようなことを言った。こうして大きなかにの足を折りながら、吉野さんとしのの若かりし頃の伊豆物語が、会社卒業旅行の1ページを埋めた。

 その夜、まっちゃんが予約してくれた伊豆長丘温泉の宿で「しの、長い間ごくるさん。4月からは365連休だね」と、師匠は、しのに酒をついだ。

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